第3話 初めての休日
清那たちが過ごしている”家”は、古い洋館のような造りになっている。広々とした玄関から続く廊下には臙脂色の絨毯が敷かれ、壁紙には花や植物の柄があしらわれている。日の光というものがないため全体的に薄暗いが、点在しているランプシェードの柔らかな光が安らげる雰囲気を作り出している。
談話室や食堂などの共用スペースはもちろん、清那たちの個室も隅々まで凝った意匠が施されている。
清那が初めてここを訪れたとき、まるで明治の頃に建てられたの洋館をそのままホテルにしたようだと思った。
研修が終わり、この家で初めて過ごす休日。清那は談話室のソファでくつろいでいた。
談話室はこの家にいる全員が集まっても余裕があるほど広く、趣味のよい調度品で整えられている。ぼんやりと過ごしているだけでリラックスできるような空間だ。
執行人となってから、1日何もなくゆっくり過ごせるのは初めてだ。宵からは好きなように過ごせばいいと言われているが、特にすることも浮かばない。とはいえ自室にこもっているのも気が進まず、書斎から適当な本を見繕い談話室で読むことにした。
本をめくりながら、まるで生きていた頃と変わらないような過ごし方に不思議な感覚がよぎる。この家にあるものは触れるし、ご飯を食べればちゃんと味を感じられる。今のところ清那は体験していないが、怪我をすれば痛みも感じるらしい。
この家にいて、現世に行かなければまるで生きているかのように過ごせる。我ながら不思議な存在になったものだ。
本から思考が完全に離れてしまい、本を閉じてソファに寝転ぶ。そのままうつらうつらとしていると、不意に談話室の扉が開いた。
「お、ここにいたのか」
「惣介さん……そういえば今日は惣介さんもお休みでしたっけ」
体を起こして惣介を見れば、普段の袴ではなく胴着姿だった。手には竹刀を2本持っている。
「清那、今暇か?」
「まあ、何もしてなかったですけど」
「じゃあ、ちょっと稽古に付き合ってくれよ」
そう言いながら惣介は竹刀を清那に差し出した。
「ここ、道場もあったんですね」
惣介に連れて来られたのは、家の離れにある道場だった。それなりに広く、剣道や柔道など一通り武道が練習できるよう各武具も揃っている。
「和彦や千代たちもよく稽古してるぜ。あと、レイさんもめちゃくちゃたまにだけど来る」
「え、レイさんって運動できるんですか」
「……どんな人だと思ってるのか知らないが、あの人、割となんでもできる人だぜ」
疑いの目で見る清那に惣介は苦笑する。確かに、いつも動きにくそうな黒衣をまとうレイは体を動かすこととは無縁に見える。家では自室にこもっていることが多いし、時折談話室でくつろいでいるときのやたら優雅な姿からは体を動かす様子が想像できない。
「そういえば、レイさんって何の得物を使ってるんですか?」
研修前、武器は執行人の力を使いやすくするためのものだと宵から説明を受けた。執行人は生きている人に干渉できず、執行人の使う武器も現世を彷徨う霊にしか通用しない。研修最後の任務で、生きている子どもたちを考慮せずに男の子の霊を撃ったのも、子どもたちには影響しないと分かっていたからだ。
清那が拳銃を使っているように、執行人は霊を殺すためにそれぞれ得物を使う。それぞれ生前に馴染みのあった武器を使っており、惣介は日本刀、千代は薙刀、瑞樹は弓、和彦は銃と日本刀を使い分けている。ただ、レイが何かを使っているのを見たことがない。研修中は基本的にずっと清那の隣で見ているだけだったうえに、一度見本として霊の処刑を行ったときも何も武器を使っていなかった。
そもそもレイのことを清那はほとんど知らない。いつもまとっている黒衣は狩衣と呼ばれる装束で、生きていたのは1000年以上前らしいと惣介から聞いたことがある。それならレイに馴染みがあると得物は刀や弓だろうかと思ったが、結局研修中には武器を持つ姿を見なかった。
「俺もあんまり分かってないんだが、なんというか、得物を使わずに力を霊へぶつけてる、みたいな感じだな」
「念力みたいなことですか?」
「まあそんなとこだな。やろうと思えば執行人なら誰でもできるらしいけど、実際にやってるのはレイさんくらいしか見たことがない。ほら、やろうぜ」
防具を着け終えた惣介が竹刀を構え、清那と向き合う。雑談は終わりということだろう。
「面はなし、それ以外ならどこを狙ってもいい」
力を抜いて構えているように見えるが、好戦的な表情で向き合う惣介には一切隙が無い。清那よりも断然強いことは一目でわかる。けれど、稽古であればそのほうが断然良い。
深く息を吐き、竹刀を握り込む。一気に間合いを詰めて竹刀を振り下ろせば、やすやすと受け止められ、さらに打ち込むがそれも受け流される。清那が距離を取ろうと下がれば、惣介はぴったりとつけて素早く打ち込んだ。打ち込む仕草の割に重い一撃。思わず竹刀を取り落としそうになり、清那は竹刀を握る手に力を込めた。
「やけにきれいな打ち方だな」
「え?」
「悪くないが、刀は使えなさそうだな」
どういうことかと気を取られた瞬間にさらに打ち込まれ、今度こそ清那は竹刀を取り落とした。
「……会話で気をそらすのは反則じゃないですか?」
「実際の戦いだったらそんなの関係ないだろ」
「実際に戦うことってあるんですか?」
「ん、まあそのうちあるだろ」
竹刀を拾おうとしていた清那は、惣介のはぐらかすような言葉に顔を上げた。惣介はいつもと変わらない表情で清那を見返していた。
「さっきの、どういう意味です?」
「ん?」
「刀は使えなさそうって」
「ああ、今の竹刀の打ち込み方だと、刀を扱うのは苦労しそうだなと思って。和彦はその辺うまいんだが」
「……もう一度、お手合わせ願います」
そう言いながら清那は竹刀を構える。心なしか先ほどよりも目つきが剣呑だ。
「はいよ。いつでも来い」
苦笑しながら気楽に構える惣介を前に、清那は竹刀を握り直した。
「いやー、やっぱり体動かすとすっきりするな」
「……惣介さん、容赦ないですね……」
稽古が終わり二人で談話室に戻る道すがら、すっきりとした表情で伸びをする惣介の横で清那はぐったりとしていた。警察学校や警察署の訓練でしごかれることはあったが、惣介のしごきはそれ以上だ。
「今日はまだ様子見程度だぞ」
「それ、聞きたくなかったです」
あれで様子見程度ということは、本来ならもっとしごかれるということか。まさか死んでからの稽古のほうが辛いとは。
「最後のほうは結構良い感じだったぜ。またよろしくな」
嫌味なく笑う惣介に、次までに自主練をして備えようと心の中で誓いつつ、なんとか頷き返した。
談話室の扉を開けると、中では和彦と千代がくつろいでいた。二人とも早々に任務を終えて帰ってきていたようだ。
「お、二人とも早かったな。お疲れさん」
惣介と清那が談話室に入ると、和彦は開いていた本から顔を上げた。
「お疲れ様です。今、お二人のお茶も淹れますね」
そう言って千代が席を立ち、談話室横の小さなキッチンに入っていく。和彦は本を閉じて惣介と清那に座るように目で促した。
「この本、あなたが読んでたんでしょう」
二人が座ると、和彦は持っていた本をローテーブルに置きながら清那を見た。持っていたのは清那が稽古に出かける前に読んでいた本だ。
「今更死について考えているんですか?」
「別に、そういうわけじゃないです」
清那は和彦のはす向かいに座り、本を見る。生前には読んだことのない、死生観に関する本だ。図書館で適当に選んだもので、特に深い理由があるわけではない。惣介は和彦に近いほうのソファに座りながら本を手に取った。
「これってどんな本なんだ?」
「外国のお坊さんが死について書いた本ですよ」
「……なんか、ちょっと違いません?」
「たいした違いじゃないでしょう」
読んでいたのはキリスト教の聖職者が書いた本だ。『お坊さん』と表現されるととんでもなく違和感がある。
惣介はあまり気にしていないのか、本をパラパラと適当にめくっている。
「図書館にはいろいろな本がありますから勉強になりますよね。今日はお二人ともお休みだったのでしょう?ゆっくり過ごせましたか?」
お茶を淹れて戻ってきた千代が和彦の隣に座る。清那はお礼を言って千代から湯飲みを受け取りながら、惣介にチラリと視線を投げた。
「惣介さんに剣道の稽古をつけてもらってました」
「へえ。どうでした?清那さんの腕前は」
「きれいな打ち方をしてたぜ。今度和彦も一緒にやろう」
「そうですね。楽しみにしていますね、清那君」
にっこりときれいな笑顔を向けた和彦に、清那は顔を引きつらせた。絶対ろくなことにならない。和彦の表情を見て、千代がたしなめた。
「和彦さん、あまり意地悪はしないように」
「人聞きが悪いなあ千代、若い子に意地悪をするようなことはしないよ」
肩をすくめて飄々と答える和彦に、千代はやれやれと首を振った。
「清那さん、お稽古のときは私も誘ってくださいね」
「よろしくお願いします」
「信用ないなあ」
和彦と稽古をするときは、絶対に千代にも声をかけよう。清那はそう心の中で決意した。
時計をみると、すでに夕方になっている。夕食は当番制で作っており、今日は清那の担当日だ。清那は残りのお茶を飲み干し、空になった湯飲みを持って立ち上がった。
「そろそろ夕食の時間ですよね。私、作ってきます」
「お手伝いしましょうか?」
「千代さんは勤務後なんですからゆっくりしててください。できたら声をかけますね」
そう言って湯飲みを片付け、キッチンへ行きかけた清那は、ふと思い立って三人を振り返った。
「あの、皆さんって私たちと会話のできる幽霊を処刑したことってありますか?」
「ああ、あるぜ」
「何度かありますよ」
「知り合いがそうだったこともありますね。それが何か?」
三人とも当然のように答える。その答えに少し沈黙をした後、清那は首を横に振った。
「……いえ、何でもないです。では」
それだけ返し、清那は談話室を後にした。
談話室に残された三人は、清那が出ていった扉を眺めてしばし沈黙した。和彦が静かに呟く。
「研修最後に、まだ会話ができる霊を担当したそうですね」
「まあ、研修中に一回はそういう幽霊に会わせるって宵さん決めてるしな」
「レイさんが問題ないとおっしゃっていたそうですから大丈夫なのでしょうけど、やっぱり気に病まれているのでしょうか」
千代は眉を下げて首を傾げる。意思のある幽霊はそれほど少ないわけでもない。三人ともこれまで何度も処刑してきたし、きっと清那も今後いくらでも出会う。そのたびに気を病んでいては身が持たないだろう。
「あの子は、物わかりが良すぎますね」
和彦のため息交じりの言葉を、千代も惣介も否定しなかった。
清那が初めてここに来たとき、自分が死んだことも、現世と常夜のことも、執行人の存在も、幽霊を処刑する仕事も、清那はすんなりと受け入れていた。執行人となることも悩まず、ここでの生活にもすぐに馴染んだ。まるで水を飲むかのように、すべてを当たり前のこととして受け入れている。
「清那ってちょっと和彦に似てるよな」
「そうですね」
「は?どこがです?」
怪訝な顔をする和彦をよそに、惣介と千代は頷きあった。
「和彦も何でもすぐ受け入れるだろ。順応力が高いというか」
「きっと清那さんも、仕事は仕事で割り切れる人ですよ」
「……執行人はみんなそうでしょう。千代も、惣介さんも。瑞樹君は優しい子だと思いますけど。それに、清那君は私よりもレイさん似でしょう」
「レイさんですか?」
意外な名前に千代は首を傾げた。
和彦はその問いに答えず、テーブルに置かれた本を手に取って立ち上がった。トントン、と指先で本の表紙を叩く。
「これ、しまってきますね。どうせあの子はもう読まないでしょうし。夕飯まで図書館にいるので、時間になれば声をかけてください」
「わかりました」
もともと答えが返ってくるとも期待していなかった千代は、和彦が答えないことは気にせず頷いた。惣介も立ち上がって伸びをした。
「俺も部屋に戻るよ。千代、お茶ありがとな、美味しかった」
「ふふ、どうも。惣介さんも、お夕飯ができたらお呼びしますね」
「おう、頼んだ」
和彦と惣介が出て行くと、千代は少しだけ残るすっかり冷えてしまったお茶を飲み干した。そして、テーブルに残された和彦と惣介の湯飲みも一緒に片付けようと立ち上がる。清那は自分で湯飲みを片付けていたから、残っているのは三人分だけだ。
清那は、自分のことは何でも自分でしたがる。ここでの共同生活を始めるときに清那が話してくれたが、両親を早くに亡くし、弟と二人で生活していたから家事全般はできるらしい。実際、何を頼んでもきちんとこなしてくれる。
自立している、といえばその通り。
けれど千代には、少し違って見える。『あの子』と呼んでいた和彦も、きっと同じように思っているのだろう。
(それにしても、和彦さんはもう少し優しくできないものかしら……)
夫の清那への態度を思い出しつつ、千代は小さくため息を吐いた。
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