第2話 研修(2)

 次の日、予定通り宵からは今日で研修が終わりであることを告げられた。任された仕事のうち1件は少し特殊な内容らしく、宵は清那とレイに資料を見せながら事の顛末を説明した。

「担当していただくのは子どもの霊です。もともとあちらにしばらく留まって、人にいたずらするのを楽しんだら自然とこちらに来るだろうとみていたのですが、どうもいたずらの度が過ぎるようです。このままではいずれ誰かを道連れにしかねませんので、その前にこちらに送ってください」

 渡された資料に載っていたのは、小学生の男の子だった。享年8歳。元気そうな姿を収めた写真を横目にプロフィールを確認する。死因は交通事故だった。

 宵曰く、死者の魂の情報は常世の管理人たちが分担して管理しているらしい。宵はその一人として、死者の魂のなかでも現世に留まっている魂の情報を管理している。

 では生者の魂の管理人もいるのかと聞いてみたが、明確な答えが得られなかった。宵は知らなくてよいことは基本的には話さない主義だと千代が話していたので、そういうことだろうと深く追求するのは諦めた。

 留まり続けている死者の魂はいろいろと分類されているようで、宵は清那たちが対象を間違えないようにいつも任務前に対象者をまとめて知らせている。

「しばらく留まってからこっちに来るってどういうことですか?」

「たまに、死んだことを自覚したうえで、霊になったからこそできることをしたいという方々がいらっしゃるんですよ。霊が見えない人をからかって驚かしたいとかね」

「ポルターガイストみたいなものですか? なんだかはた迷惑な霊ですね……」

「こういう奴は別に珍しくはない。大抵は悪戯程度で、満足したら寿命で死んだ人間の魂にくっついて常世に渡るか、変わった奴なら俺たちに殺してほしいと頼んでくる」

 わざわざそんなことを頼む人がいるのか。

 興味なさそうに話すレイと、レイの言葉に苦笑しながらも頷く宵を見た限り嘘ではなさそうだ。

「レイの言う通り、そういった方は大抵満足したら自然とこちらに来るんですよ。ただこの子はその按配がうまくできないようなので、早急に対処することにしたんです。この子は夕方、生前よく遊んでいた公園に現れます。そこで対応をお願いしますね」

「了解です。じゃあ行きましょうか。今日もお願いします、レイさん」

 研修を始めてから毎日言っている決まり文句を言って隣に立つレイを見る。レイはいつも通り、関心なさそうに、でも小さく頷き返してくれた。


 宵が子どもの霊が出ていると話していた公園は、小学校の近くにあった。

 目の前には、元気に遊ぶ小学生のなかに混じり、子ども達の間を駆け回る小さな男の子の霊。

「あの子ですよね」

「そうだ」

 まるで、生きているかのようにはっきりとした姿。清那は無意識に握る手に力がこもった。

 死者の魂の見え方はさまざまだ。

 存在感が希薄で今にも消えそうな魂もあれば、ホラー映画のように異様な雰囲気をまとった魂もある。それでも、これまで出会ったのは、確かに死んでいると感じられるものばかりだった。

 でも、この子どもは––––。

 じっと見つめていると、不意に男の子が清那とレイを見た。一瞬不思議そうに首を傾げると、急に顔を輝かせて駆け寄ってきた。

「ねぇ!僕のこと見えてるよね!?」

 興奮気味に清那とレイの周りをぐるぐる回る。こんな風に霊のほうから絡まれるのも初めてだ。

「なんで何も言わないの?ねぇ、お姉さん、おじさん!」

 無邪気な子どもの言葉に思わず清那は吹き出した。レイをおじさん呼ばわりするとは。

 おじさんと呼ばれたレイは気にしていないのか、うっとうしそうに子どもを見る。

「君、元気だね」

 清那が話しかけると、男の子は嬉しそうに頷く。

 幽霊に対して元気だなんて、やっぱりおかしな表現だ。

「ねぇ、一緒に遊んでよ!僕、みんなと遊びたいのに、みんなは僕のこと見えないんだ。だからいつもちょっとさみしい」

 ぐっと手を引かれてたたらを踏む。甘えるように見上げてくる男の子は、まさしく生きている子どもそのものだ。

「わぁ、お姉さん触れる!僕と一緒なの?」

「一緒……みたいなものだよ」

「そうなんだ!僕とおんなじ人初めてみたよ」

 嘘ではない。清那も死んでいるのだから、大きく分ければこの男の子と同じだ。

 けれど、自分はこれからこの男の子を殺そうとしていると思うと胸がざわついた。

 レイは清那と男の子の会話に入ろうとせず、ただ黙っている。男の子も話そうとしないレイではなく、構ってくれそうな清那だけを見ていた。

「ねぇ何して遊ぶ?僕ね、走るのが好きなんだ。みんなと鬼ごっこしたいけど、見えないから一緒に遊べないんだ」

「えーっと、悪いんだけど、遊んでられないというか……」

「えー、いいじゃん!ねぇ!」

 駄々をこねる男の子は清那の腕を掴んだまま左右に揺らす。どうすればよいか分からずにいると、不意にレイが男の子を引き剥がすように清那を引っ張った。その拍子に男の子の手が清那から離れる。

「俺たちは遊びに来たんじゃない」

「何だよおっさん!僕はお姉さんとーーーー」

「黙れ」

 突き放すようなレイに、男の子はびくりと体を震わせた。レイを見れば、いつも通り、感情のこもらない冷淡な表情をしていた。

 男の子は数歩後ずさると、ふいっとそっぽを向いた。

「何だよ……いいよ、あんたらが遊んでくれないならみんなと遊ぶから!」

 そう言い放つと公園で遊んでいる子ども達のもとへと駆けていく。それでも、生きている子ども達に、男の子の姿は見えていない。子ども達の間を駆け回りながら、いない者として扱われ続ける。

 先ほど、さみしい、と話した男の子。死んでからずっと、自分を見てくれない子ども達を相手に遊んできたのだろう。

「清那、何を考えている」

 子どもに向けられていた冷淡な視線が、今度は清那に注がれる。その視線が居心地悪く、思わず目をそらした。

 そらした先では、男の子が近くでボール遊びをしている子どもの腕を引こうとしていた。掴めはしないけれど、子どもはボールをうまく足で止められず体勢を崩してこけてしまった。

 死んでしまった人間の魂が取り憑くと、生きている人間は「ちょっとした不幸」が重なりやすくなる。それがいくつも重なれば、最終的に行き着くのは死だ。

 男の子が一緒に遊んでいるつもりの子ども達にも「ちょっとした不幸」が重なり、この公園で遊ぶ子ども達が怪我をすることが増えていると、宵からもらった資料に書かれていた。

 清那自身、警察官として本人や周囲の人間のちょっとした不注意や、タイミングの悪さによって起こった事故を何度も見てきた。それが今、この公園で起こる可能性は非常に高い。

「何でもないです」

「そうか。では、さっさと仕事をしろ」

 レイの言葉に、体の奥が冷えていく。まるで、とっくに動かなくなった心臓がまた動き出してドクドクと脈打っているかのような不快感。

 分かっている。このままあの男の子が居続ければ、生きている子ども達はいずれ怪我をするだけではすまなくなる。だから、自分達はここに来たのだ。

 けれど––––。

 レイはじっと清那を見つめた。清那の心を見透かすような視線が突き刺さる。清那が何を感じ、何を考えているのかなんて、レイにはきっとお見通しだろう。

 清那は一度拳を握り締め、そして、腰に下げている拳銃へと手を伸ばした。

「……分かって、ます」

 ここに来るまでにも、今日はすでに別の仕事を終えている。そのときは何もためらわず、目の前にいる霊を撃ったではないか。

 この男の子も、同じだ。

 男の子は、子ども達に紛れて公園の端へ移動していた。子ども達が蹴っているサッカーボールを追いかけ、時々蹴ろうとしている。その度にボールは石や窪みにひっかかったかのようにあらぬ方向へ転がり、子ども達は時々不思議がりながら遊んでいた。

 深く息を吐いて、拳銃を構える。

 駆け回る男の子と子ども達が重なる。執行人は生きている人達には干渉できないため、仮に子ども達越しであっても男の子に弾が当たれば問題ない。

 何も気にせず、男の子を撃てばいい。

 レイは変わらず黙って清那を見ている。その視線から逃れるように、ただ男の子だけに意識を向けた。

 この男の子は、これまでの霊と同じだ。

 もう一度、心の中で呟いて、引き金に指をかける。

 拳銃が揺らぐのを落ち着けようと深く息を吐いた。

 そのとき、男の子が清那のほうを見た。向けられる拳銃に驚き動きを止めた瞬間を、清那は逃さなかった。

 ためらわず、引き金を引いた。


「今日もお疲れ様でした、清那さん、レイ。問題ありませんでしたか?」

 家に帰ると、いつものように宵が出迎えた。

 問題はない。清那はそう答えようとしたが、喉がひりついてうまく声がでない。答えられない清那の横で、いつもは何も言わずに自室に戻ってしまうレイが答えた。

「問題ない。すべて完了した」

「そうですか。では、清那さんもこれで無事に、研修完了ですね」

 宵に微笑みかけられ、なんとか頷く。

「清那さん、明後日から本格的に任務をこなしていただくので、明日は一日休んでください」

「……分かりました。ありがとうございます」

 絞り出すようにお礼を言い、足早に自室へ向かう。その後ろ姿を宵とレイは黙って見送っていた。


「さて、レイ。清那さんは問題ないということで間違いないですね?」

 清那の姿が見えなくなると、宵は確認するようにレイへ問いかけた。

「問題ない。最後の任務も問題なくこなしていた。多少動揺はしていたようだがな」

 男の子を撃つ前の、張り詰めた表情や震える手。清那の様子から、何を感じているかは一目瞭然だった。それでも最後は、仕事を全うした。

 現世を彷徨う魂を殺す、執行人として。

「それなら結構」

 レイの答えに、宵は満足そうに頷いた。


 自室に戻った清那は、腰に下げていた拳銃を取り出し、じっと眺めていた。

 脳裏にちらつくのは、あの男の子の最後の表情。

 私は、あの子を殺したんだ。

 チリチリとした痛みに胸が疼く。

 執行人になると決めたときから、分かっていたはずだ。

 レイに連れられて初めてここに来たとき、宵から伝えられていた。

『執行人は、現世を彷徨っている魂へただ死を与えるもの。あるべきものをあるべき場所へ戻す。決して、彷徨う魂を救うわけではありません』

 彷徨う魂を救うわけじゃない。

 常世に行かず、現世を彷徨う理由に関係なく。ただ、常世へ送るために殺すだけ。

 それを承知で、引き受けたのだ。

 そもそも、清那があの男の子にしてあげられることは何もない。男の子の遊び相手になれるわけでもなく、生き返らせることができるわけでもない。

 あのまま放置すれば、生きている子ども達を道連れにする可能性があった。実際、あの公園に面している道路は交通量もそこそこにある。たとえば、ボールを道路の外に飛ばし、それを追いかけようと公園から飛び出していれば交通事故になる可能性が十分にあった。生前なら、警察官として一言子ども達に注意しただろう。

 そうした危険を、あの男の子の霊は引き起こす可能性があった。男の子の意図に関係なく、それは道連れにする行為だ。だから、宵は常世へ送る選択をし、清那とレイをあの場に送った。

 あるべきものを、あるべき場所へ戻すために。

 それだけのことなのだ。

 ひとつ息を吐いて、拳銃を机に置く。

 ちょうどそのとき、部屋の扉がノックされた。

「清那、夕飯できてるぜ」

 扉越しに聞こえてきたのは惣介の声だった。もうそんな時間だったのか。

 扉を開けると、相変わらずさっぱりとした笑顔の惣介がいた。

「寝てたのか?千代が声かけたけど返事がなかったって言ってたぜ」

「ほんとですか、全然気づいてなかったです……」

「研修が終わって、疲れでも出てんのか?」

「まぁ、そんなとこですかね……」

 曖昧な返事に惣介は眉を上げた。普段の清那は割となんでもきっぱり答えるほうだ。そのまま黙り込んでしまった清那の姿は少し珍しい。

「あんまり根詰めすぎんなよ」

「子ども扱いしないでください」

 ポン、と頭をなでる惣介に不満そうな返事をしながら、清那は少しだけ表情を柔らげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る