第1話 研修(1)

「おかえりなさい、清那さん、レイ」

 仕事を終えて”家”に戻ると、眼鏡をかけ、薄い微笑をたたえた銀髪の青年が出迎えた。

「ただいま戻りました、宵さん。今日の分も問題なく完了しました」

 清那が報告する横で、レイは何も言わず家の中へと入っていく。そんなレイの態度はいつものことで、宵も咎めることなく見送った。

 宵はレイや清那にとって上司にあたる。それでも、レイがこんな態度をとっても許されるのは、ひとえに付き合いの長さ故らしい。

 宵とレイはどちらも見た目は30代半ばほど。それでも、黒髪に黒衣をまといいつも冷淡な態度のレイに比べ、銀髪に薄灰色のローブ、いつも穏やかな表情を浮かべる宵のほうが幾分若く見える。

「お疲れ様でした。清那さんもこのお仕事には大分慣れてきたでしょうか?」

「まあ、それなりに。死んでからのほうが銃の扱いにも慣れるなんて思いもしなかったですけど」

 肩をすくめて答えながら、腰に下げた拳銃に触れる。生きている頃は訓練でしか使ったことがなかったのに、今は毎日のように拳銃を扱っている。お陰で拳銃が手に馴染み、射撃精度も上がっている気がする。

「それは良かった。より正確に急所をつけたほうが霊たちを確実に送れますからね。これからも励んでください」

 にこり、と効果音が付きそうな完璧な笑顔の宵に清那は「頑張ります」とだけ返した。


 宵と別れ自室に戻った清那は、着ていた上着を椅子にかけ、腰の拳銃を机においてベッドに寝転がった。

 ぼーっと天井を見上げれば、自然と先ほど撃った女の姿が浮かんでくる。

 彼女は、どんな気持ちで現世に留まっていたのだろう。

 人が死ねば、魂は体から抜ける。

 抜け出た魂は常世へと導かれ、現世からいなくなる。

 けれど、時折、何らかの理由で常世へ来ない魂がある。

 理由は人それぞれだ。

 死んでも一緒にいたい人がいる。

 殺したいほど恨んでいる相手がいる。

 一人で死ぬのは寂しい。

 そもそも死んだことに気づいていない。

 そうして常世へ来なかった魂は、きっかけがなければいつまでも現世から離れず霊として留まり続ける。

 留まった魂が常世へ行くには、自然と導かれていく人の魂にくっついていくのが近道だ。だから、誰かに取り憑いて道連れにしようとする。

 それは、本来の運命とは異なる死なのだと宵は話していた。

 彷徨う霊が他の人を道連れにするのを防ぎ、現世に留まる霊を常世へ送る”執行人”が、清那の仕事だ。

 清那は生前、警察官だった。

 大きな事件が終わって久しぶりの帰宅中、交通事故に巻き込まれた。我が人生ながらあっけない死に方だったと思う。

 警察官としてやり遂げたいと思っていたことがあった。その未練を抱えて現世を彷徨っていた清那をレイが見つけ、清那も執行人となった。

 執行人となってから二週間足らず。その間にもさまざまな霊を見て、殺してきた。

 今日、最後に撃ったあの女性はあの男に執着していた。

 それが、死んでも一緒にいたいと思ったからか、浮気性な男に恨みを持っていたからなのかは清那には分からない。

 分かるのは、あのまま放置すればいずれ男は交通事故にでも遭い、女の魂にひっつかれたまま常世へ導かれていただろうということだけだ。

 ふと、女を撃つ前にレイが言った言葉を思い出す。

『道連れにしてもさっさと女から離れていきそうだしな』

 女性が亡くなったのはつい最近のことだったのに、あの男は女が死んだことをそれほど気にしているようにも見えなかった。男にとってのあの女は、それだけの価値もなかったのだろう。つまり、女が一方的に執着していただけだ。

 きっと道連れにしたとしても、男は女のことを歯牙にもかけずに離れていっただろう。

 生きているうちに無理心中しなかっただけマシか。

 そこまで考えて、清那は大きく嘆息した。

 考えても仕方ないことだ。

 清那はそれ以上考えることを放棄して目を閉じた。


 軽く扉をノックする音に気づき、清那は沈んでいた意識を浮上させた。

 のろのろと体を起こして扉を開けると、そこには清那よりも少しばかり背の低い着物姿の女性がいた。

「お疲れ様です、清那さん。そろそろお夕飯ができますよ」

「ありがとうございます、千代さん。お任せしてしまってすみません……」

 もう夕飯時ということは、部屋にこもってから結構長く寝てしまっていたようだ。夕飯の準備を手伝うつもりだったのに。

「お疲れだったのでしょう。もともと当番制ですし、構いませんよ」

 微笑む千代は本当に気にしていないようだ。行きましょう、と促す千代に続いて部屋を出ると、ちょうど斜め向かいの部屋から見慣れた袴姿の男が出てくるところだった。

「あら、ちょうど良かった。惣介さんもお夕飯できてますよ」

 千代が声をかけると惣介と呼ばれたその男は、千代と清那を見てカラリと笑った。

「そろそろかなと思ってたところだ!一緒に行こうか」

 人好きのする爽やかな笑顔を浮かべる惣介も連れだって、三人で食堂へ向かう。世間話をしながら食堂へ入ると、十五、六歳ほどの少年が料理を運んでいた。

「千代さん二人とも呼んでくれたんですね、ありがとうございます」

「瑞希くんも、お手伝いありがとうございます」

 手伝いますよ、と瑞樹から皿を受け取る千代に続き清那と惣介も続く。レイや宵が来ていないのはいつものことなので問題ないが、いるはずのもう一人の姿が見えないことに気がついた。

「千代さん、和彦さんは?」

「和彦さんならお台所にいらっしゃいますよ。今日は和彦さんが作ってくださいましたらから」

 なるほど、と納得したタイミングで食堂の奥、キッチンから探していた人物が顔を覗かせた。

「千代、味噌汁を運んでくれないか。ああ、清那君もいるなら一緒にお願いします」

「今行きますよ。清那さんもお願いします」

 千代と一緒にキッチンへ入ると、和彦がコンロの前で味噌汁をよそっていた。

「もう全員揃ってるのかな?」

「ええ、皆さんいらっしゃいますよ」

「そう、じゃあ後はよろしくね」

 気安く千代にそう言うと、清那には視線だけで君も手伝えと言外に伝えてくる。この扱いの差はいつものことなので、清那は肩をすくめただけで千代の手伝いを始めた。


 食事は基本的にレイと宵以外は揃って食べることになっている。一日に一度は顔を合わせるという暗黙の決まりのもと、仕事の都合で時間が合わないこともあるができるだけ一緒に食べているのだ。

 本当は食事も睡眠も必要ないのだが、生きていた頃と同じように食事をとり、睡眠で体を休める生活をしている。宵に理由を聞くと「その方が健康でいられるから」という答えが返ってきた。

 死んでいるのに健康とは?と聞いた時はよく分からなかったが、しばらくこの生活を続けた今なら理解できるので大人しく従っている。

 何気ない話をしながら、清那は食卓を囲む面々のあべこべ感にも慣れてきたことを実感していた。

 自分よりは少し年上に見える、たおやかながらも凜とした雰囲気の千代。

 伸ばした髪を無造作に後ろでくくり、精悍な顔立ちが目をひく青年の惣介。

 聡明さのなかにまだ幼さが混じる、高校生ぐらいの年頃の瑞樹。

 惣介とは違ったタイプの美形で、涼やかな顔立ちが印象的な青年の和彦。

 清那も含め、全員すでに死んでいる。

 瑞樹はともかく、他の三人とは生きていた時代も異なり、生前の話を聞くこともほとんどない。バックボーンを知らない者同士、干渉しない距離間を保ちながら生活している。

 知らないほうが心地よい関係を築けるのだから、お互いに深入りしないほうがいい。そう思いながら視線を巡らせ、綺麗な箸使いで食べている和彦に目がとまる。そして、これまでに何度思ったか知れない疑問がまた浮かんできた。

「清那君、何か言いたいことでも?」

「いえ、なんで千代さんはあなたみたいな人と結婚したんだろうって思っただけです」

 清那の言葉に和彦は、またか、と気にも留めずにいつもの返事をした。

「顔が良くてエリートだったからでしょう」

「性格悪いのに……」

「外面が良いですから」

 すました顔をしてにべもない態度の和彦に、外面が良いとは……?と呆れてしまう。千代を見れば見慣れたやり取りに小さく笑っていた。

「千代さん騙されてたんですよ、きっと」

「そうですねぇ。でも和彦さんの言ったとおりでしたからね」

 これもいつもの返事。生前のことで教えてもらった数少ない情報のひとつが、千代と和彦は夫婦だったということだ。今も関係性は変わらず、仕事も基本的に二人でこなし、家にいる間もよく一緒にいる。夫婦仲は良いようだが、清那としてはどこかちぐはぐ感が拭えない。千代はとてもいい人なのに。

「そうそう、外面が良いのは事実だしな。こっちに来た最初の頃は、まさしく好青年だったぜ」

「いやですね惣介さん、どうして過去形なんです?」

「そりゃあ、今じゃあすっかり素で話してくれるようになったからだよ」

 屈託なく笑う惣介に、和彦はただため息を吐いただけで何も返さない。誰にでも嫌味の無い態度で接する惣介が相手だと、和彦もあまり突っかからないらしい。

「そういえば、今日は千代さんと和彦さんはお休みだったんですよね。ゆっくりできました?」

 話題を変えようと瑞樹が話を振ると、千代は微笑みながら頷いた。

「そうですね。本を読んで、刺繍をして、のんびり過ごしてましたよ」

「久しぶりの休みでしたしね」

 二人の返事に瑞樹はほっとしたようにはにかんだ。

「それなら良かった。最近お二人とも連勤だったので大丈夫なのかなと思ってたので」

「そーそー、何も言わなかったら宵さんからあれこれ振られるんだから、二人ともほどほどに休みをもらったほうがいいぜ」

 惣介の言葉に清那も胸中で同意する。確かに、自分もここに来たばかりだというのに暇だと思われたら何かと雑用を押しつけられる。

 ただし、清那よりも惣介たちのほうが圧倒的に忙しいことも承知している。まだ慣れきっていないということで加減してもらっている状態なのだ。

「清那君の研修が終われば、多少ましになるでしょう」

「そういやもうすぐ終わりか」

「最初に言われた通りなら、明日で終わりです」

 こちらに来てから宵に言われた研修期間は2週間。基本的にレイから仕事のやり方を教わり、1週間前からはレイと一緒に実際に仕事をしていた。

「清那ねぇが来てからもう2週間かー。なんかあっという間だね」

 瑞樹から『清那ねぇ』と呼ばれるのにも慣れてきた。瑞樹はもともと清那の弟の友人で、清那も中学生の頃までは度々遊んでいた。そのときから瑞樹は清那のことを『清那ねぇ』と呼んでいたのだ。清那が高校に進学するタイミングで引っ越したため疎遠になっていたが、まさかここで再会するとは思っていなかった。

 顔見知りがいるのは意外だったが、清那にとって心強い存在だ。再会してすぐは昔の呼び名で呼ばれることに気恥ずかしさがあったが、いまではすっかり定着している。

「研修が終わったら瑞樹君たちとも出勤するようになるんだよね?」

「多分ね。まあ、しばらくはレイさんと組むだろうけど、仕事内容とか他の人の休みとかに合わせて宵さんが調整してくれるよ」

「俺と組むことになったら、そのときはよろしくな!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 仕事である以上、他の人に迷惑をかけるわけにはいかない。

 まずは明日で研修を無事終わらせなければ、と清那は気を引き締めた。

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