第五章 六節 碧の殺人鬼は死と踊る

 姫路が大蛇だいじゃの群れを消し飛ばしたことで、大神たちはついに黒川大橋の手前……巨大なアーチがかかる全長三百メートルの鋼橋のたもとまで辿り着いた。

 橋の周囲には薄灰色の霧がかかっており、まるでそれは地獄の瘴気だ。墨を塗りたくったような黒一色に染まる橋の上を大蛇だいじゃたちが埋め尽くし、その上空からはとめどなく黒血が流れ落ち続けている。


「ルゥナ……!」


 大神が見上げる視線の先で、あまりにも巨大な翼を生やしたルゥナが夜空に浮いている。ここまで近づいたことで、大神は彼女の変容ぶりに気が付いた。

 探偵事務所でルゥナと交戦した際、彼女はその胸の孔から噴き出た黒血で黒いドレスを纏っていた。透き通るような純白の肌を包み込む、漆黒の衣のコントラストをよく覚えている。今のルゥナも同様の黒衣を纏っているが、その白い肌には見覚えのないパーツが生えていた。

 力なく、だらんと垂れ下がった両腕。その先にあるはずの細く白い指先は、黒く鋭い鉤爪のように変異していた。肘から先、膝から下がそれぞれ重厚な鱗に覆われており、それはまるで竜の四肢のようだ。よく見れば、蝙蝠コウモリのようだった翼もゴツゴツとした鱗に覆われている。そして、白い髪の間からは二本の黒い角まで。


「あれじゃ吸血鬼というより、竜人ね。一体、ルゥナに何が……」


 大神も思ったことを姫路が口にした。その禍々しさは、まさしく邪竜ニーズヘッグの様相を呈している。

 真紅の瞳を中心に、白目に当たる結膜部分が黒に染まった少女は、何を思うのかその両目から黒い涙を流していた。彼女の視線は遠く、虚ろで、眼下にいる大神たちに気付いていないようだった。


「近くで見ると、随分と高い所にいるね。どうやって近づくの?」


 舞原の言葉に、大神は橋のアーチ部分を見る。


「あのアーチのてっぺんから跳べば、何とか届くかもしれない。ルゥナがあのまま大人しくしてくれてれば、だけどな」

「そっちのアメコミヒーローみたいに空を飛ぶヒトに担いで飛んでもらうのは?」

「名前で呼びなさいよ。私の飛行能力は、人間一人を抱えて飛べるほど万能じゃないわ。ルゥナくらい小さくて軽い子なら何とかなるけど、大神くんは無理ね」

「ふぅん。頭は軽そうなのにね」

「イチイチ毒突かないと気が済まねーのかオメーは」


 大神が抗議の声を上げると、舞原は舌を出してそっぽを向いてしまった。第六室と言うのは変人の集まりなのだろうかと、見知った長身矮躯の水色髪を思い出す。

 そんな話をしている間にも、大蛇だいじゃたちは黒川大橋から市街地の方へと向かってくる。すると姫路が前に立ち、橋のたもとを目掛けて黒炎を放った。


「時間を稼ぐから少し作戦を練りましょ! アンタたちはそこで大人しくしてなさい!」


 熱波と共に黒炎が舞い上がり、橋を封鎖するように炎の壁が出来上がった。出口を閉ざされた大蛇だいじゃたちは無理やりその黒炎を突破しようとするが、突き抜ける頃には全身が消し炭になっていた。

 便利な能力だと思う反面、そんな燃費の良い力ではなかったはずだと大神は姫路を見る。いつも強気でリーダーシップがあり、弱ったところを滅多に見せないその凛々しい表情には、明らかな疲弊が見て取れた。玉のような汗が額に浮かんでおり、肩で息をしている。今朝の戦闘からずっと黒血を使い続けている姫路に、これ以上の負担はかけられない。


「この先は俺が行く。お前たちはここで、蛇たちが街に出ないよう食い止めていてくれ」

「また一人で無茶しようとして! この炎の壁がある限り、アイツらは街に入れないわ。落ち着いて作戦を考えてから、三人でルゥナを助けに向かう。その方がいいでしょ?」

黄昏ゆうやけに同意したいところだけど、残念ながらそうもいかないみたいだよ。ほら、見てごらん」


 姫路の提案を遮り、舞原がどこかを指差した。大神と姫路がその方向を見ると、そこは黒川大橋の真下……大黒川の河原だった。

 橋の上から零れ落ちた大量の黒血が、大黒川を文字通りに真っ黒に染めていた。今この場を流れる河川は、ルゥナがもたらした血の川と化している。その川の中から、ずるりずるりと這い出てくる影たちがいた。


「川からも出てくるのかよ……!」

「橋を塞いだだけじゃ意味ないってことね……。大神くんの言う通り、誰かがここで食い止めないと街が危険だわ……!」


 地獄の瘴気のような霧の中、無尽蔵に湧いて出る大蛇だいじゃたち。巨大な河川に架かった、異界と化した橋を眺めて、大神は確信する。


「そうか……もうここは、大黒川じゃない。死者の岸ナーストロンドなんだ。差し詰め、あの橋はナーストロンドの上にあるニーズヘッグの館ってところか」

「なに、それ?」


 姫路が首を傾げている。心当たりがありそうな舞原が「ああ」と頷いた。


「北欧神話における死者の国、ヘルヘイムにあると言われる海岸。親族殺しなどの重罪人が流れ着くと言われる、地獄の処刑場だね?」


 舞原の知識に、大神はコクンと頷く。

 世界樹ユグドラシルの地下世界。霧と氷の世界ニヴルヘイムの一部にして同一の世界とも言われるヘルヘイムは、本来であれば病気や老衰、あるいは無抵抗に殺された死者たちが行きつく安寧の大冥界だ。戦士の魂が行きつくとされるヴァルハラとは対極の存在であり、不名誉で普遍的な死を遂げた者たちが赴く深淵とされている。

 しかしその世界において、大罪人のみが流れ着く場所がある。それこそ死者海岸ナーストロンドであり、死者の血肉を貪る邪竜ニーズヘッグによる処刑場でもあるのだ。


「ルゥナの黒血が、北欧神話に関係する土地を創り出しているって言うの? あの子の黒血能力ブラックアーツ断頭台ギロチンをモデルとした能力のはずでしょ?」


 姫路の疑問に、大神は首の噛み跡をなぞりながら答える。傷口はもう塞がったが、未だにズキズキと熱を持っている。


「ルゥナは俺の血を浴びておかしくなったって言ってたな? きっと吸血鬼としての本能みたいなモンが呼び起こされたんだろう。それで衝動的に俺の首筋に噛みついて、俺から黒血を。今アイツが操っているのは、俺の黒血能力ブラックアーツだ」

「どういうことよ。仮にルゥナが吸血した黒染者ブラッカーから能力を奪えるとして、大神くんの能力は《黒狼の牙フェンリル》でしょ? ルゥナが操っているのは全く別の……」


 そこまで言葉を発したところで、姫路はハッと何かを思い出した様子だった。


「そっか……あの時の蛇も――」


 彼女が言う蛇とやらは、今目の前を埋め尽くしている毒蛇たちのことではないだろう。大神が生死の淵を彷徨っている時に現れたという、黒血の海を泳ぐ巨大な蛇のことを言っているのだ。


「俺には《黒狼の牙フェンリル》以外の能力がある。俺自身、ずっと知らなかったことだけどな。その内の一つが、ルゥナに移って悪さしてやがる」

「その移った能力が、ニーズヘッグだと言うんだね。ということは、あの蛇たちはニーズヘッグの取り巻きだ。絶対に噛まれちゃダメだよ。猛毒に侵されて、二度と生ある世界に帰って来られなくなる」


 舞原の言葉に、大神と姫路の表情が険しくなる。

 元から噛まれるつもりなど無いが、それが即死の一噛みになり得るのであれば気を引き締める必要がある。冥界の蛇に噛まれるということは、冥界に引き込まれたという事実を作りかねないからだ。


「まるで私の《灼熱の妖精ブレイズフェアリー》みたいね。大神くんの力も、いくつかの伝承が複合した黒血能力ブラックアーツだったってことかしら」

「……さぁな。俺自身、よくわかってない」


 舞原が、やれやれと首を振った。


「クローン吸血鬼に黒血能力ブラックアーツを奪う機能があるなんて、ボクも知らされてなかったよ。計画プロジェクトの本当の目的は、黒染者ブラッカーから能力を奪い取って成長する最強の軍団を作ることだったのかも」

「でも、ルゥナの様子だと能力を使いこなせているようには見えないわ。まさに暴走している状態……ルゥナ自身の身も危ないんじゃないかしら」


 今なお上空から黒血を流し続けているルゥナを見上げ、大神は拳を握りしめる。自分の暴走を止めてくれたルゥナが、自分の血を飲んで暴走してしまったことに責任を感じざるを得ない。


「それなら俺が止めるしかない。俺がもっとうまく力を使いこなせば、きっとルゥナを助けられる。力を貸してくれ、二人とも!」

 

 川辺から土手を這い進んでくる大蛇だいじゃの群れが大神たちに迫る。彼らは市街地を目指す前に、近くにいる三人に狙いを変えたようだった。

 迎撃のために大神が右手を構えた、その時だった。


「なんだ? 霧が濃くなってきたような――」


 そんな言葉を口にした直後、大蛇だいじゃたちの首が真っ黒な血飛沫を上げて刎ね飛ばされた。

 まるで枯れ枝を剪定するかのように、首から上がスパンスパンと切断されて転がっていく。頭部を失ってのたうち回る大蛇だいじゃたちだったが、続けざまに胴体を輪切りにされて土手を転がっていく。

 橋を中心に広がる冥界の霧が、闇夜すら塗り潰す黒色に変わっていた。


霧裂きりさけ――《霧中暗殺カノニカル・ファイブ》!」


 蛇たちのバラバラ死体が、漆黒の霧の中を舞った。

 精肉の解体作業のように、手際よく、情け容赦なく、残酷に無残な斬撃が襲う。

 ロンドンのイーストエンドで行われた歴史的連続殺人の容疑者は、現代までに百人を超えると言われている。その惨殺死体の解剖結果、犯人は人体の構造に詳しく、肉や骨を解体する知識にも長けていたと言われ、医者や精肉屋までもが犯人像として浮かび上がっていた。

 故に霧の中において、その切り裂き魔の殺人は百人分の技術で実行される。誰よりも正確に、丁寧に、凄惨に。


「霧島……、お前――」

「何故ここに、って聞きたそうなツラだなぁ空也。答えを返すとしたらこうだ。オレも混ぜろや」


 見知った長身矮躯の水色髪が、ギラギラと輝く真紅の瞳で嗤いながら、闇の向こうから柄の長い刈込鋏を担いで現れた。学校でも着ているグリーンのモッズコートの裾からは、何故か水が滴っている。


「……なんでずぶ濡れなんだ?」

「そっちかよオイ。あの忌々しい吸血鬼に橋から叩き落とされたんだよ。人のこと小石みたいに跳ね飛ばしやがって、クソが。意識が戻らなかったら溺死確定だったぞ」


 黒い霧が晴れる。星月に照らし出された霧島の姿は、よく見れば痛々しいものだった。

 ずぶ濡れのコートはズタズタで繊維がほつれており、額からは黒い血を流している。中に着たシャツの腹部が破け、左の肋骨付近に空いた黒い孔が覗いていた。大神たちがここに来る前にルゥナと一戦交えたと言ったところだろうか。


「あの吸血鬼には借りを返さなきゃならねぇが、俺の力じゃあアイツを殺せねぇ。だからせめて、この蛇共を潰して憂さ晴らししてやるさ」

「ガラにもなく熱くなってるじゃあないか。捨て駒にされてヤケになったのかい?」

「あぁ? よく見りゃ魔法使いウィザードのクソガキじゃねぇか。余計なコト言ってっと、テメーから解体バラすぞ?」


 いつもの調子で相手を挑発する舞原に対し、額に青筋を浮かべた霧島が喉伐鋏のどきりばさみの切っ先を向ける。槍のように尖った矛先の前に、大神が割って入る。


「邪魔するんだったら帰れって言うところだが、わざわざ出て来たってことは手伝う気があるんだろ?」


 霧島は軽く舌打ちして、その物騒な武器を下ろす。


「手伝うとは言ってねぇ。オレは自分の力が振るえるんなら何だっていいだけだ。斬って、バラして、ぶっ殺す。こんな派手な舞台はそうそうねぇからな、思う存分暴れてやるよ」


 大神はその回答に満足し、笑って言葉を返す。


「敵でないならそれだけでありがたいさ。――そうとわかればやることは一つだ」


 黒川大橋のたもとに立つ四人は、すっかり黒い大蛇だいじゃたちに囲まれていた。

 血肉を求める神話の毒蛇たち。大小さまざまな黒い爬虫類たちが、首をもたげて舌を蠢かしている。


「いい加減、この狂った夜を終末おわらせるぞ!」


 大神が右手を顔の前で構え、その手のひらに空いた孔から黒血を放出する。

 姫路が右足を真っ黒に発火させ、腕を組みながら仁王立ちする。

 舞原が前髪を搔き分け、右目の孔から黒い涙を流す。

 霧島が不敵に嗤いながら、左肋骨に空いた孔から黒い霧を放つ。

 四人の少年少女の瞳が、赤く朱く紅く緋く輝いた。


「――ハッ。冬眠から覚めた蛇共が。寝かしつけて地獄に叩き落としてやるよ!」


 先陣を切ったのは霧島だった。

 長さ一メートル程もある両刃の刈込鋏を、まるで死神の大鎌のように振り回す。普通の鋏であれば刃を開いて裁断する動作が必要になるが、外側にも刃がついた喉伐鋏のどきりばさみ薙刀なぎなたのように蛇たちの首を刎ねていく。

 大神は飛び掛かって来た毒蛇を右腕の大顎で粉砕しながら、水を得た魚のように殺し回っている霧島に伝える。


「こいつらはニヴルヘイムの毒蛇たちだ。動きはトロいが、とにかく数が多い。暴れすぎてガス欠になるなよ?」

「北欧神話のゲテモノかよ。ニヴルヘイムとはまた……ククッ、おあつらえ向きってヤツだなぁ?」


 黒幽鬼ファントム黒血能力ブラックアーツでないと倒せないのと同じで、黒血能力ブラックアーツには黒血能力ブラックアーツでしか対抗できない。しかし霧島は、特注品とは言え人の手で作られた武器で伝説上の生き物を狩り殺している。

 霧島の能力は記憶を消す霧の結界に敵を閉じ込め、自分自身も霧に変身する能力――だけではない。その事実は大神がよくわかっていた。黒血能力ブラックアーツで硬化したはずの右手が、彼の武器に触れただけで裂けたのだから。


「こちとら『地獄よりフロム・ヘル』ってな。英国こっちの地獄と北欧そっちの冥界じゃあモノは違うだろうが――」


 それは当時のホワイトチャペル自警団に届いた手紙の一文。ロンドンを騒がせた連続殺人事件の容疑者と思しき者から送られた不気味な手紙には、被害者の物と思われるエタノール漬けの腎臓が付属していた。筆跡の異なる似たような手紙が複数舞い込んだことから、それもまた切り裂きジャックを模倣した愉快犯による悪戯とも言われているが、そうした特定不可能な犯人像が混ざり重なり集まったのが世間一般に広まったジャック・ザ・リッパーという殺人鬼とも言える。

 黒血能力ブラックアーツを切り裂く刃物などあるはずがない。しかし、その刃物の持ち主があらゆる生物を無差別に切り裂ける凄腕の職人だとすれば。かの連続殺人鬼に関わる無数の可能性の一つだとすれば。


「冥界の蛇ごときに、地獄の殺人鬼が後れを取るワケねぇだろ!」


 霧島に向かって飛び掛かった蛇の口内に、喉伐鋏のどきりばさみが押し込まれる。

 長い二本の柄を掴み、テコの要領でそれを開く。喉奥に押し込まれていた両刃の鋏が開き、蛇の喉が内側からこじ開けられて飛散した。

 飛び散った黒血が、大神のパーカーに染みを作った。振り回される鋏の先端が、鼻先を掠める。


「あぶねっ。オイ、こっちまで切られるところだぞ」

「うるせーな。オレの《霧中暗殺カノニカル・ファイブ》は誰かと背中合わせで戦う能力じゃねぇんだよ。一対多数で効果を発揮する無差別殺人だ。オメーらは邪魔なんだよ」

「俺も混ぜろとか言って勝手に割り込んだくせに自分勝手なヤツだな。お前が離れろっての」

「ケッ、そうさせてもらうさ。何せ、からな!」


 霧島はそう言うと、持っている得物ごと全身を黒霧に変えた。そのまま空へと舞い上がった霧の塊が、橋に沿って大黒川を横断していく。


「霧島のヤツ、まさか一人で橋の反対側を抑える気か?」

「確かに反対側の街にも被害が出ているかもね。あのシリアルキラー、足止めにはもってこいの悪趣味な能力だし、せいぜい仕事してもらおうよ」


 舞原の言葉で大神は思い出す。霧島の操る黒い霧は、出口のない迷宮にも等しい。彼が橋の出口を霧で覆ってしまえば蛇の群れは脱出できないのだ。つくづく厄介な黒血能力ブラックアーツだと恐ろしく思う反面、今はその存在が頼もしかった。

 その時、遠くの空でカラスが哭いた。鳴き声は四方から、四羽の不気味な声が聞こえてくる。


「《並び嘆く烏合の衆クロウド・クロウ・スケアクロウ》……。ボクを中心として半径四ヘクタールの空間に人払いの結界を作ったよ。もっとも、ルゥナの抹殺っていう明確な目的があって向かって来てる《殲滅部隊ホーネット》にどこまで効くかわからないから、あくまで気休めだと思って」

「気休めでも何でも、時間稼ぎになるなら十分だ。その間にケリをつける」

「ボクに出来るのはこの程度だし、一緒に橋へ向かっても大した戦力にもならない。ボクはここに残るから、早くルゥナのところへ行ってあげてよ」


 自嘲気味に微笑む舞原に、大神は頷く。

 姫路が作り出した炎の壁を飛び越えるべく、腰を落として両脚に力を込めるが、その背中に声がかかる。


「待って、大神くん」

「どうした姫路。もう話してる時間は……何だ、それ」


 大神が振り返ると、姫路の隣に見知らぬ人影がいた。

 それは黒炎で創り出された女性の姿。燃え盛る髪と朱い眼光、太く長い尾を持ち、地表からわずかに浮いて立っているそれは。


焔魔肆式えんまよんしき・『火蜥蜴サラマンダー』。私の使える炎の半分を与えて作り出したこの子は、自分の意志で動く遠隔型の炎。その間、他の焔魔えんまは使えなくなるから、私自身の戦闘力はガタ落ちするけどね」


 それは四大精霊の一体。火を司るトカゲ、サラマンダー。

 スイスの化学者にして錬金術師・パラケルススによって提唱され、四大精霊の中で火を司るモノとして語られることとなった精霊。その姿は巨大なサンショウウオとも、人の姿をしているとも言われる。名前の由来は、燃え盛る火の中でも生き続けられるほど体温が低いイモリ類のことであり、転じて炎を纏う爬虫類の姿として世に広まった存在である。


「この子を大神くんについて行かせるわ。私はここに残って、枝草しぐさと一緒に蛇の足止めを続ける。多少は蹴散らしたとは言え、無尽蔵に増えるコイツらを一人で相手させるのは酷だもの」

「……『灼熱』が残ってくれるなら安心だけど、それでいいの? 本当は彼と一緒に行きたいんじゃない?」


 舞原の問いに、姫路はしばし目を瞑り、やがて首を横に振った。


「『火蜥蜴サラマンダー』は一つの命令しか守れない。もし私の代わりにこの場に残って蛇を倒すことを命令したら、加減できずに枝草しぐさを巻き込んでしまう」

「それは勘弁だなぁ」

「だから私が残るの。『火蜥蜴サラマンダー』には大神くんを守るように命令を出してあるわ。この子が大神くんの道を切り開いてくれる」


 姫路がそう言うと『火蜥蜴サラマンダー』が大神の背後に回った。背中に感じる高温で肌が焼かれそうな気がして、少し恐ろしい気分になる。


「とにかくルゥナのところまで駆け抜けて。これはルゥナと出会った時から始まった、大神くんの物語よ。こんなところで貴方達の物語を終わらせないで。必ず二人で帰ってきて、物語の続きを私たちに見せて!」


 姫路が左手の拳を突き出してきた。その拳に合わせるように、大神も右手の拳を突き付ける。


「あぁ……そうだな。ありがとう、姫路」


 二つの拳が重なり、そして離れる。

 

「こんな悪趣味な筋書きプロットは書き直しだ。俺が最高のハッピーエンドに変えてやる!」

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