第五章 五節 朽葉色の魔法使いは太陽に焦がれる

 ルゥナが呼び出した蛇の群れは、ゆっくりと、しかし確実に黒川市内へ侵攻していく。

 彼らの標的はおそらく、生きた人間だ。び主たる吸血鬼のために生き血を求めているのか、それとも彼ら自身が血肉を求めているのか、それはわからない。しかし生きた人間を襲うのであれば、当然ながら人間が集まる場所を目指しているのだということは容易に想像できた。

 大通りから繁華街へ向かう蛇たちは、もはや蠢く絨毯のように路上を覆い尽くしている。加えて橋から南北に伸びる堤防の上を進めば、河付近の家々を襲うことはたやすい。誰かが命懸けで足止めしようとも、穴の開いた水道管から噴き出す水を両手だけでは抑えきれないのと同じで、後から後から押し出すようにあふれ続ける蛇たちを完全にき止めるのは不可能だ。

 だがそれでも、蛇の群れを押し返し、道を切り開き、満月を背後に浮かぶ彼女の下へと辿り着かなければならない。彼女を止めなければならない。首都圏を担当している《殲滅部隊ホーネット》に対して下されたルゥナ=サーティーンの抹殺命令は、IODOイオド日本支部の通信網をハッキングして入手していた。今となっては追われる身となった《開発部隊デベロッパー》の一員として、自己防衛のために行っていた電波ジャックが功を奏した。戦闘特化の精鋭たちがあの橋に到着する前に、何としてもルゥナを確保しなければ彼女を守れない。


「それにしてもこの数、キリがないよ……! 何なんだ、この蛇たちは!」


 黒川大橋からおよそ百メートルの地点。漆黒に染まったアーチ橋が目と鼻の先に見える、高層マンションが並ぶ裏通りにて。

 舞原枝草まいはらしぐさは、黒蛇に囲まれた路上で孤軍奮闘を強いられていた。右目の孔から飛び立ったカラスドロシーが上空で哭き喚き、草刈り鎌やくわを担いだ案山子カカシたちが大蛇だいじゃたちを追い払い、雑草のように刈り取っていく。

 近隣住民たちは避難が間に合っておらず、何が起きているのかわからないといった表情でマンションの高層階から様子を窺っている。彼らはいつ自分たちが襲われるのかと震えているだろうが、少なくともこの場にいる限り襲われることはない。なぜなら、マンションの入り口にはそれぞれ門番のように舞原の案山子カカシが設置されているからだ。

 舞原の黒血能力ブラックアーツ、《並び嘆く烏合の衆クロウド・クロウ・スケアクロウ》は、獣避けの効果を持つ。古くから害獣対策に作られてきた案山子カカシたちの効果により、蛇たちはそこに近づくことができない。


「相手が生き物でよかったよ。おかげで市民を守りながら戦うなんていう面倒くさい展開にならずに済んだからね」


 舞原は心の底からそう思った。もし相手が黒幽鬼ファントムや亡霊の類だったら、案山子カカシたちは効果を発揮しない。それに、周りに気を遣う余裕などハナから無いのだ。

 舞原はルゥナによって暴走を止められた大神のを家に運び込んだ後、彼の介抱は姫路たちに任せ、大黒川付近のインターネットカフェに身を潜めていた。人造吸血鬼量産計画ヴァンパイア・プロジェクトの重要参考人として名の挙がった彼女は、日本支部の追跡を振り切るために拠点を変えつつ、数日間は黒川市内で活動するつもりだった。ルゥナの延命方法を発見するまで、捕まるわけにはいかなかった。

 何か手掛かりになる情報があればと、IODOイオドのデータベースに遠隔でハッキング作業をしている最中の出来事。店内にアナウンスが流れ、避難指示が出たのだ。外の様子を確認してみれば、黒川大橋の方から人々が逃げ去っていくのが窺えた。そして、漆黒のドレスを纏い、黒血をとめどなく流し続ける、月夜に浮かぶルゥナの姿も。


(このまま自分の周りを案山子カカシで囲みながら、ルゥナのところへ向かうしかない、か)


 六体の案山子カカシが舞原の周囲に並び、同じ速度で歩いていく。まるで台風の目のように、ぽっかりと空いた円形の空間には蛇たちが飛び付いて来ない。稀に案山子カカシに臆さず立ち向かってくる大型の蜥蜴とかげがいるが、数体の案山子カカシで迎撃し、頭を刈り取る。そのたびに案山子カカシが壊れるが、ドロシーが無事である間は無限に再生するのでその結界が崩れることはない。

 蛇の群れを掻き分けるようにゆっくりと進んでいく舞原。しかしその時、足元から異様な音が聞こえた。ガコガコという、何か重たいものが揺れ動くような音だった。

 目線を下すと、そこには。


「しまった……下水道……!」


 足元にあったマンホールの蓋を下から押し上げ、黒い蛇たちが一斉に這い上がって来た。案山子カカシたちの中心にいる、無防備な舞原を狙って。

 身を守るものは何もない。真っ黒な蛇たちは毒液のようなものを口から撒き散らしながら、猛スピードで飛び掛かる。咄嗟の襲撃に反応が遅れた舞原は、まさに蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。

 わずか二メートルほどの距離、瞬きする間もなく全身に牙が突き立てられる――はずだった。

 終わりを悟って目を瞑った舞原。しかし次の瞬間、気付けば彼女は空にいた。


「え……………?」


 目を開けると、満天の星空に体が浮いていた。

 正確には、星空に飛び上がった者の腕の中に担がれていた。

 

「キミ、は――」

「間に合って良かった。お前が案山子カカシみたいに突っ立ってどうするんだっての」


 間一髪で舞原を抱え、空中へ跳び上がっていたのは大神空也おおがみくうやだった。まるでおとぎ話のお姫様のように舞原を抱えた大神が、強靭な脚力でマンションの外壁を蹴っては跳び、比較的広いベランダに着地する。身を乗り出して様子を窺っていたこの部屋の住人と思われる初老の夫婦が「まぁ」とかいう素っ頓狂な声を漏らしていた。


「姫路! やれ!」


 大神がマンションのベランダから夜空に向けて声を上げると。


「言われなくてもそのつもり!」


 夜空に灯る朱色の髪が、漆黒の火炎を両手両足から噴射しながら急降下してきた。

 その名は『灼熱』。炎という共通点を持つ複数の民間伝承が融合した、極めて稀有な黒血能力ブラックアーツを持つ者。その希少さと圧倒的な攻撃力から四ツ星クアドラの判定を受けた、幻想能力エピックアーツの使い手。

 

「焼き焦がせ! 《灼熱の妖精ブレイズフェアリー》!」


 その右手から黒炎が放射される。滝のような勢いで降り注いだ漆黒の劫火が、マンホールから飛び出ていた黒蛇たちを一瞬で包み込んですすへと変えた。

 同時に黒炎が下水道へと流れ込み、その路上にあるいくつかのマンホール蓋が地下から噴き出した爆炎に弾き飛ばされ、漆黒の大噴火が発生した。大神が抱えて跳んでくれなかったら、舞原も巻き込まれていたかもしれない。


「……アレじゃあこの辺のマンションの下水管もめちゃくちゃだよね」

「俺しーらね。降りるぞ」

「うわぁっ」

 

 姫路の暴れっぷりを上から眺めていた舞原だったが、再び大神が跳躍したので浮遊感に抱かれた。そのまま自由落下する大神の首に腕を回してしがみつき、神にも祈る気持ちで目を瞑る。わずか二秒ほどで着地の音が響いたが、大神が上手く衝撃を和らげてくれたのか舞原の内臓がシェイクされることはなかった。

 手足から噴射した炎の勢いを弱めながら、姫路もゆっくりと着地した。その熱気を体感するのは先ほどぶり二度目だが、ひたすらに末恐ろしいと感じる舞原であった。


「流石の嗅覚だわ、大神くん。私が飛んできてることによく気付いたわね」

「お前の到着を待ち詫びてたからな。この量を蹴散らすにはお前の火力が必要だ。手を貸してくれ」

「……やっと素直に人を頼るようになったわね。悪い気はしないから、もっと頼りなさい」


 舞原の左目に映るのは、何ともまぁ仲良しな二人組。朝の戦いの時もそうだったが、姫路が駆け付けた時の大神に浮かぶ安堵の表情は、彼女を心底信頼しているのだと見て取れるし、姫路は姫路で腕を組んでクールぶっているがその表情が嬉しそうに見える。探偵事務所の同僚なだけあって息が合うのだろうが、それ以上のナニカが見え隠れするような気がしてならない舞原であった。


「ところでさ。そろそろ降ろしてほしいんだけど」

「あっ、すまない」

「いいよいいよ。ボクなんかが邪魔してごめんね」


 大神の両腕から解放されて地に足をつける。当人たちは頭の上に「?」を浮かべている気がして、皮肉る価値がないなぁと思う舞原であった。

 繁華街へと向かう大蛇だいじゃの群れは止まらない。行列からあふれた一団が裏通りこちらへと進行方向を変えてやって来ている。黒川大橋まであと百メートルというところで、最大密度の蛇の波が迫ってきていた。


「大神くん、今更だけどアレは何? いつから黒川市を舞台にしたB級パニック映画の撮影が始まったの?」

「そんな映画を撮る監督がいたら今すぐにでもぶちのめしてやりたいが、残念なことにノンフィクションだ」


 大神が遠くの夜空を指差した。その先に何がいるのか、舞原は知っている。満月を背に、巨大な黒翼を広げて浮かぶルゥナを見て、姫路が息を飲んでいた。


「なるほど……ルゥナを止めない限り、この蛇たちは湧き続けるわけね。これ以上、街にアレを進ませるわけにはいかないわ」

「その通りだよ。ボクたちは一刻も早く、ルゥナを止めなくちゃならない」


 舞原がそう言うと、姫路と大神が振り向いてきた。舞原は遥か上空に浮かぶルゥナを見つめながら続ける。


「今この街に、日本支部ウチの戦闘特化チームが向かってきてる。目的は彼女の排除……抹殺だよ」

「なんですって?」

「《殲滅部隊ホーネット》か。それなら向こうの大通りで会ったぜ。今は久怒木くぬぎのヤツが六人を足止めしてくれてるが……」

「お早い到着だね。でも、まだまだ援軍が来るはずだよ。彼らは人造吸血鬼量産計画ヴァンパイア・プロジェクトを隠蔽して無かったことにするつもりだ。ルゥナを消して、この事件も『とある黒染者ブラッカーが暴走したが、日本支部の精鋭たちが取り押さえた』ってことで済ませるつもりさ」


 久怒木くぬぎ京助きょうすけから人造吸血鬼量産計画ヴァンパイア・プロジェクトについてタレコミがあった時点で、その首謀者である美園生竜胆みそのうりんどう第六室|開発部隊《デベロッパー》の関係者は処罰対象となった。ルゥナに関しての処遇はその時点では先延ばしとされていたが、彼女の暴走を機に抹殺を決定。日本支部は身内の実験結果による甚大な被害を無かったことにし、その体裁を保とうとしているのだ。

 その話を聞くが早いか、姫路と大神は蛇の大群へと向き直った。


「じゃあ、さっさと行きましょう。ルゥナを助けるわよ」

「舞原、お前は下がっててくれ。ここは俺たちで――」


 大神の言葉が終わる前に、彼の隣に立つ姫路の全身が黒く発火した。その瞳がめらめらと燃える焔のように朱く染まる。舞原は嫌な予感がして、大神の後ろにコッソリ隠れた。

 姫路はブーツの裏から黒炎を噴射して真上に飛び上がると、そのまま空中でホバリングし始めた。そのまま地上の黒蛇たちに向けて右手を突き出すと、彼女の全身から爆炎が舞った。

 姫路が周囲に放射した黒炎は、彼女を中心として何かの形を成していく。

 

焔魔伍式えんまごしき――」


 それは大きく開かれた竜のあぎとだった。竜の頭部を模した黒炎が、黒蛇たちを真紅の眼光で見下ろしている。

 ヨーロッパに伝わるドラゴン伝説にして、現代では大気の発火現象を指したものであったとも解説される火霊の一つ。英文学最古の叙事詩『ベーオウルフ』においては財宝を守る番人としても語られる、火焔の息吹で旅人を焼き尽くす不吉の象徴。


「『火焔の守護竜ファイアードレイク』‼︎」


 黒竜の大顎、その中心にいる姫路の右手から漆黒の熱線が放射された。

 その光景はまさに火竜の息吹ドラゴンブレス。上空から発射された極太の熱線レーザービームが、その射線にいた蛇たちを焼き払い、塵も残さず消滅させていく。


(………………くそう)


 黒炎を纏いながら舞原の前に着地したその少女は。

 迫り来る無数の怪物たちを、アスファルトが変形するほどの熱量で薙ぎ払ったのは。

灼熱の妖精ブレイズフェアリー》などという可愛らしい名前が似つかわしくない、その後ろ姿は。

 沼に棲むヒキガエルには高くて遠すぎる、熱く温かく明るい、けれど近づいたら燃やされてしまう太陽のように見えて。


(カッコいいなぁ……)


 などと思ってしまう舞原なのであった。


「…………俺で突破する、って言うつもりだったんだけどな。全部一人でやりやがったぞアイツ」


 手持ち無沙汰になった空っぽの右手をグーパーしている大神をよそに、姫路が全身の黒炎を掻き消して走り出す。


「ふぅ……! これで道が開けたわね。さぁ、アイツらがまた増える前に橋まで辿り着くわよ!」

「ほんと、敵わないや」


 やれやれと首を振って、ダボついたオーバーオールの少女は太陽を追って走る。

 隣を駆ける、太陽すら飲み込んでしまいそうな狼を横目で見て微笑む。


「……なんだよ。俺の顔に何かついてるか?」

「別にぃ?」


 不機嫌そうに三白眼を向けて来た大神に、ある一言を投げてやる。喰らえコンチクショウ。


「ばーか」

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