第五章 四節 蒼い探偵は紫煙と共に

「今日もお客さん来なかったみたいね?」


 探偵事務所のアルミ製のドアを開けて入って来たのは、ウェーブのかかったミディアムヘアーの女性だった。

 その手には大きなビニール袋を提げている。はみ出している長ネギを見るに、近所のスーパーで食材を買ってきたようだ。


「よくわかったな。いつものことと言えばいつものことだが」


 安楽椅子に腰かけ、新聞紙を片手にコーヒーを飲みながら、久怒木くぬぎ京助きょうすけは女性の言葉にそう返した。

 女性は両手をこすり合わせ、口から吐く息で温めている。紫苑しおんの花が好きだと言う彼女のトレードマークである紫色のストールには、よく見れば雪がかかっていた。


「だって、玄関が濡れてなかったもの。この雪の中を誰かが来たなら、濡れた靴の跡でびしょびしょになるはずでしょ?」

「ほぉ、お前にそんな推理が出来るようになるとはな。感動で涙が出そうだぜ俺は」

「むぅ……またバカにして。そんなこと言うんだったら、お鍋作ってあげませんよーだ」


 女性はむくれっ面のまま、事務所の奥にある台所までビニール袋を運ぶ。ガサガサと袋の中身を出す音や、冷蔵庫を開く音が聞こえてくる。

 久怒木くぬぎはチラリと窓の向こうを見る。いつの間にか雪が強くなっていることに気付き、中古品のテレビの電源を入れた。天気予報では今夜から明け方にかけて降雪が強くなり、所によっては吹雪になる模様だと報じていた。専門家がこの大雪について解説している。


『東京都心が例の事件以降、未だに生活できるような状態ではないのが原因です。人が住んでませんから、ヒートアイランド現象がこの五年間で落ち着いているのです。皮肉なことに、黒門事件は地球温暖化の解消に繋がったのだと言えるでしょう』


 そんな心無い解説を放映して大丈夫かと怪訝に思ったが、自分には関係ないことだと久怒木くぬぎはテレビを消す。

 世界が黒に染まった、天の黒門ブラックゲート事件から五年目の冬。二十三区の中心地から離れたこの黒川市でも、昨今は黒幽鬼ファントムによる被害が相次いでいる。それに加え、黒血能力ブラックアーツを悪事に使うコソドロから凶悪犯まで、五年前にはあり得なかった黒染者ブラッカーによる事件が連日報道されるようになった。

 だからこそ、久怒木くぬぎ京助きょうすけは二十三歳という若さで私立探偵という仕事を始めた。表向きには一般的な探偵事務所として迷い猫の捜索や浮気調査などを請け負いつつ、最大の目的は黒幽鬼ファントムおよび黒染者ブラッカーに関する事件の解決だった。それが、この世界で自分が生きるための役割など悟っていたから。黒に侵された自分の力を、人々のために使える道だと信じたから。

 もっとも、この汚れ役のような仕事に……人の恨みを投げ売りできるほど買うような仕事に、愛する大切な者がついてくるとは思っていなかったのだが。


「煙草、やめたの?」


 その声に、コーヒーカップにつけた口を離す。

 汚染された東京の解放が遅々として進まない政府へのバッシングや、IODOイオドの不祥事などが記事にされた新聞紙をデスクに置き、久怒木くぬぎは台所の方へ視線を送る。


「そりゃやめるだろう。気遣いくらいできる男なのさ。俺は探偵だからな」

「あんなに毎日スパスパ吸ってた人が、そんな急に禁煙できるなんて意外ね。禁断症状とか出てない? 大丈夫?」

「何言ってんだ、俺は探偵だぜ? 探偵は我慢強いものなのさ。なんてったって、探偵だからな」

「いつも以上におかしくなってることはわかったわ。無理しないで喫煙所にでも行ってきたら? 夕飯は用意しておくから」


 頭の後ろで手を組み、もたれかかった椅子をギコギコと揺らしていると、台所からやって来た彼女が何かをデスクの上に置いた。

 綺麗に包装された小さな箱には、赤いリボンが結ばれていた。


「これは?」


 久怒木くぬぎがサングラス越しに視線を送ると、女性は彼の肩に手を置いて答えた。


「ちょっと早いクリスマスプレゼント。前々から買ってあったんだけど、渡すタイミング無くって」

「クリスマス当日じゃあダメだったのか?」

「だって京助のことだもん。クリスマスだろうと急に事件の解決に飛び出していくかもしれないし。クリスマスが近くなったとき、一緒にいられる日があれば渡そうと思ってたのよ」


 その小さな箱を手に取り、レースのリボンをほどいていく。


「クリスマスくらい仕事は休むつもりだぞ」

「どうだか。前だってデートの合間に警察からかかって来た電話を聞いて、血相変えて走っていったじゃない」

「……悪かったって。なんせこの近所のアパートで起きた殺人事件だったからな。凶悪犯を野放しにしておくわけには――」


 箱の中身は、アンティーク調なオイルライターだった。

 そういえば一年くらい前に、いつかオシャレなライターが欲しいと彼女に語った覚えがある。


「なかなかイカすじゃないか。高かっただろう?」

「金額の話はナシよ。それを言い出したら、京助の方こそたか~い買い物を考えてるんでしょ?」


 ニコニコしながら訊ねてくる彼女に、久怒木くぬぎは「参った」と両手を上げる。


「全部お見通しってのは怖いねぇ。もしかして、俺以上に探偵に向いてるんじゃあないか?」

「ついでに、ここに捨てきれないで残ってる煙草が入ってるのも知ってるわよ?」


 そう言って彼女はデスクの引き出しを開ける。そこには、新品の紙煙草が一箱。


「煙草の話をした途端、ちらちらと見てるんだもの。未練がましいのはダサいわよ、探偵さん?」

「……全面的に降伏するから、今日の鍋からキノコを抜いてくれないか」

「やだ。私シイタケ大好きだもんっ」


 久怒木くぬぎの両肩をパシンッと叩いて、彼女は台所へと戻っていった。エプロンの紐を腰の後ろで結びながら、鼻歌を歌い始めている。


「………………」


 久怒木くぬぎは貰ったライターにオイルを注いでいく。何度かトップ部分をカチンカチンと動かして手に馴染ませた後、フリントホイールを親指で回して着火させる。小さく赤い炎が、黒いサングラスの前で揺れ動いた。

 デスクの中の煙草を掴み、ポケットに突っ込む。コート掛けからシングルチェスターを手に取り、スーツの上から羽織る。


「コンビニまで行ってくる。何かついでに買ってくるか?」

「私は特にないから、煙草の予備でも買っておいたら? 気遣ってくれるのは嬉しいけど、禁煙してる京助は見たくないもの」

「喫煙を勧めてくる女は珍しいと思うぞ」

「そう? 私、京助が煙草咥えてるところ見るの好きよ? それに、煙草の匂いがすると、京助を近くに感じられるというか……ふふっ」

「よせ。探偵だって照れるんだ。まぁしばらくは隣で吸ってやれないが――」

 

 傘を掴み、ロンカラードアをガチャリと開ける。肌を刺すような冷気が吹き込んできた。

 と、玄関から一歩踏み出す前に、探偵は振り返る。


「俺からのプレゼントも、実はもう買ってあるんだなこれが。あとで渡すよ」

「えっ、そうなの? 嬉しい!」


 勢いよく振り返った彼女は満面の笑顔を浮かべていたが、その動きで肘がまな板の上を滑り、これから切ろうとしていた食材たちが台所の床に落下していく。彼女が「あ」という間抜けな声を上げるが、その食材たちは床に着くことなくギリギリのところで浮遊した。そのまま逆再生のようにまな板の上に戻っていく……のであれば良かったのだが、悪戯好きの騒霊たちは長ネギでチャンバラごっこを始めてしまった。


「あっ、コラ! やめなさい! 京助、この子たちを止めてぇ~」

「悪いが俺にも手に負えん。しばらくしたら飽きるだろうから、放っておけ」


 天井近くで動き回る長ネギに手を伸ばし、ぴょんぴょんと跳ねる彼女を尻目に見ながら、久怒木くぬぎはドアに鍵をかけて事務所を後にした。

 事務所から数百メートル離れたコンビニの駐車場まで、革靴で外出してしまったことにひどく後悔しながら久怒木くぬぎは歩いた。すっかり足首の高さまで積もった雪が、内側に入り込んで足先を凍えさせる。戻るのも面倒なのでそのままコンビニに到着し、駐車場の端に置かれた一斗缶をくりぬいて作られた吸い殻入れの前で、新品のパッケージを開けて一本取り出した。

 貰ったばかりのオイルライターを使って煙草に着火し、内心死ぬほど欲していた香りと煙を肺に送り込む。いやマジ吸いた過ぎて死ぬところだった。禁煙なんてバカのすることだと、久怒木くぬぎは雪降る空に向けて紫煙を吐き捨てた。


 ――面倒くさがらずに靴を履き替えに戻っていれば良かったのにな。


 一服どころか三服くらいして、新品の煙草もカートンで買って、大根おろしの塊みたいな道を踏み歩いて事務所へ帰る途中。久怒木くぬぎの周りを霊たちが飛び回り始めた。

 久怒木くぬぎは《怪奇現象ポルターガイスト》の能力で幽霊と会話することが出来る。だが騒霊たちは霊としても未熟で幼いのか、言葉を交わせた試しがない。しかも彼らは恥ずかしがっているのか姿を見せてくれないため、何となくそこにいるとわかる程度なのだ。しかし今そこにいるのは、先ほどまで事務所でチャンバラごっこをしていた悪戯小僧たちなのだろうと久怒木くぬぎは感じていた。

 雪合戦でも始める気かと、相手にしなかった久怒木くぬぎだが、何やら彼らの様子がおかしいことに気付いた。何かを伝えたそうにしているような、そんな必死さを感じたのだ。

 久怒木くぬぎの袖が、見えない何かに引っ張られた。サングラスが取り上げられ、ふわふわと浮いて飛んで行ってしまう。それを追って走る先は、探偵事務所のある雑居ビル。

 嫌な予感がして階段を駆け上がる。出てくるときに鍵を閉めたはずのドアが、空いていた。


「……ッ!」


 力任せにドアを開け放ち、事務所の中へ。

 そこには。


「――――――――あ」


 ぐつぐつと煮えたぎる鍋。流しっぱなしの水道。

 台所の床に広がる、真っ赤な血。

 その上で力なく寝そべる、彼女。


愛沙あいさッ‼︎」


 その名を呼び、煙草の入ったレジ袋を投げ捨て、雪に濡れた革靴で彼女へと駆け寄る。


「愛沙! しっかりしろ! オイ! 起きろ‼︎」


 彼女が大切にしていた紫色のストールは、赤黒く染まっている。血の海に沈んだその頭を抱えるように手を伸ばし、気付いてしまう。

 すでに彼女が、完全に事切れてしまっていることに。


「あ……あぁ……!」


 むごいとしか言えない、そんな死に様だった。

 彼女の首から下の全身には、鋭い針で串刺しにされたような穴があった。特に胸の部分と下腹部には執拗なほどの外傷が見られた。

 最初は黒幽鬼ファントムの仕業かとも思ったが、絶命した彼女が赤い血を流し動かなくなっているということは、黒幽鬼ファントム化していないということ。つまり、人間による殺人に他ならない。

 その時動転していた久怒木くぬぎは気付かなかったが、血の付着した足跡が玄関の外へと続いていた。それは若い女性……おそらく少女と呼べる年齢のものであり、歩幅が一定であることから、殺人行為を犯した後も冷静に家の外へと出たことが窺えると、後に駆け付けた警察と鑑識の調査で明らかになった。さらには被害者の裂傷状態は過去に発生した事件と同一であり、当時警察が追っていた連続殺人犯による手慣れた殺人行為だと裏付けられた。

 加えて、その手口は普通の人間には不可能なもの。全身を三百六十度、全く同じタイミングで貫かれていると言うのだ。それはつまり、黒血能力ブラックアーツを用いた殺人事件。犯人は、黒染者ブラッカーの少女であると断定された。


「愛沙……すまない。俺があの時、一緒にいてやれば……」


 焼却炉へ向かう棺の上に、指輪を一つ置く。

 それは、安物の婚約指輪。しがない探偵業の中でコツコツと貯めた貯金から、ようやく捻出できた予算で買ったお揃いのリング。

 その片割れを自身の薬指にはめ、オイルライターで煙草に火をつける。


(この煙で……この匂いで、お前が俺の存在を感じてくれるなら――)


 探偵は同じ銘柄の煙草を吸い続ける。

 今宵もまた。満月の昇る夜空に、紫煙が悲しく揺蕩たゆたうのだった。



 **



 六名の黒染者ブラッカーに取り囲まれる大神を見ながら、戦場へと到着した探偵は煙を吐きながら言う。


「この大通りはもう使えないだろう。あの蛇共のことはわからないが、流石に数が多すぎる。体力を温存したいなら迂回しろ。こんなところで立ち止まるな、空也」

「……コイツらをアンタ一人に任せていいのかよ」

「おいおい、一体誰の心配してんだ? お前が心配するべきは、あっちだろう」


 人差し指と中指でつまんだ煙草で満月を指す。その月光を遮るように浮かぶ、巨大な翼を広げた少女を。


「失ってからじゃ何も取り戻せない。守りたければ目を離すな。それが本当に大切なモノなら、自分てめえの命くらいくれてやれ」

「……言われなくてもそのつもりだ!」


 大神が腰を落とし、両脚に力を込めるのが見えた。強靭な脚力で跳躍し、その一団を飛び越えるつもりだろう。

 だが、敵も素人ではないらしい。大神が跳ぶよりも早く、その頭上に剣を振り下ろしている男がいた。


「逃がさん! 擬史能力レリックアーツ、《その身は炎、与えるは傷フランベルジュ》!」


 波打つ形状の黒剣を両手で構えた男が、長さ百二十センチほどの得物を上空から振り下ろす。大神の両脚が地を離れるよりも早く、男は豪快に両腕を振り切った。その手に握られた剣が、大神を袈裟懸けに斬り下ろし、骨も内臓もズタズタに引き裂く。

 ――というのは、その手に剣を握っていればの話だが。


「え……?」


 男が素っ頓狂な声を上げる。何せ、その攻撃は素振りに終わったからだ。

 いつの間にか、男の手から剣がすっぽ抜けている。彼が両腕を振り上げて剣を構えた瞬間、自慢の武器は空中に制止していたのだ。見えないナニカに奪い取られて。


「邪魔だ!」

「がハッ!?」


 大神が跳躍と共に右腕を振り抜いた。裏拳のような形で振るわれた巨狼の頭蓋が、剣を持っていた男の顔面にクリーンヒット。空中で返り討ちにあった男がアスファルトに落下するのと同時に、大神は包囲を抜けて脇道へと着地した。


「久怒木、コイツらは日本支部の《殲滅部隊ホーネット》だ。ルゥナを始末するとかフザけたこと言ってやがる」

「おーおー、そりゃ盛大にフザけ散らかしてるな」

「俺の代わりに全員ブン殴っといてくれ。ここは頼んだ!」

「任せておけ、俺は探偵だぜ?」


 黒い少年が、橋を目指すための迂回路を走り抜けていく。

 蒼い探偵は、燃え尽きた煙草を内ポケットから取り出した携帯型吸い殻入れにしまい、また新しい煙草を取り出して火をつけた。


「……随分と余裕だな、久怒木くぬぎ京助きょうすけ

「ポイ捨ては環境に悪いんだとさ。俺は探偵だからな、エチケットにも気を遣えるんだぜ?」


 同じ服を着て、同じマスクをしているせいで見分けがつかなかったが、どうやらリーダーと思しき男が苛立ちを含んだ声を投げて来た。


「『黒狼フェンリル』から聞いただろう。我らは日本支部第二室|殲滅部隊《ホーネット》。構成員の全てが三ツ星トライ以上の戦闘系黒染者ブラッカーで構成された精鋭部隊だ。貴様がいくら五ツ星クラウンとはいえ、我ら六名を前に構えも無しとは……些か驕りが過ぎるのではないか?」


 久怒木くぬぎは応えず、ふーっと煙を吐き捨てる。


「我らIODOイオドが定義するランクは、世界の秩序に与える影響度の強さを条件としている。貴様はその能力により、ことを解き明かしてしまった。世界の常識を覆し、空想を現実にしてしまったのだ」

 

 長い長い、途方もない人類の歴史の中において、その存在が語られ始めたのはいつだっただろうか。

 どんな科学でも証明できず、空想の存在だと思われていたと呼べる物質。

 久怒木くぬぎ京助きょうすけは、その身近でありながら未知の存在を発見してしまった男である。


「今更の説明ご苦労さん。で、それがどうした?」

「ランク付けには個人の戦闘力や危険度も基準となるが、貴様の場合は未知なる物質と接触できる人物という一点だけで、世界に二十人しかいない五ツ星クラウンに認定されている。黒血能力ブラックアーツの能力で霊を出現させるのではなく、周囲にいる霊と会話する程度の能力。その力で、我ら《殲滅部隊ホーネット》を相手にするつもりかと聞いている」


 久怒木くぬぎは、あっさりと。


「あぁ、そうだが?」

「……任務の障害となる者は、迅速に排除するのみだ」


 男の背後で、四つ足の獣が空気中に紫電を走らせる。

 犬のようにも、狸のようにも見える、漆黒の怪物。人類が『神成り』と恐れ崇める電撃を纏い、雷獣が久怒木くぬぎへと飛び掛かる。


「……


 探偵がその名を呼んだ瞬間。

 漆黒の雷獣が、アスファルトに全身をめり込ませて潰れていた。


「なっ……!?」


 まるで二人の間の空間だけ、異常に重力が強くなったかのように。

 あるいは、見えない隕石でも降って来たかのように。

 アスファルトにできたクレーターに雷獣が沈み、唸り声すら上げずに黒血へと戻って飛び散った。


「確かに俺の能力は、霊的な存在と会話するだけの能力だ。俺が彼らを操っているわけじゃあない」


 冷気が漂う。黒川市の気温が下がったわけではない。

 それは境界に棲む者たちが、この世こっちに姿を現したことを示す合図。


「だが会話することで、が俺たちの話を聞いてくれた。そして、ある女性の非業の死を憐れんでくれた。一緒に犯人を捜そうと、手を取り合ってくれた」


 大通りを埋め尽くし行軍する蛇の群れが、その動きを止めた。

 彼らは、何かの気配を察したのだ。食っても食い切れないほどの、圧倒的な質量を持つ魂の存在を。


「とある人物が、魂には重さがあると語った。曖昧で杜撰ずさんな測定、ただの眉唾物として噂が広まったわけだが……。俺は自分の能力で、それが真実だとわかった。何グラムかは知らんが、まぁ細かい数字はいい。とにかく魂はんだ」


 アメリカ合衆国マサチューセッツ州の医師、ダンカン=マクドゥーガルの実験。

 死亡した人間や動物の死後の体重を測定したところ、人間はいずれも軽くなっていたと言う。それは魂が抜け落ち、その重さが消えたのだと論じた。対して犬は重さが変わらず、犬には魂が無いと定義された。その信憑性もへったくれもない実験の結果、最初の一人はおよそ二十一グラムほどの魂を持っていたとされた。


「仮に十グラムとしようか。魂が十人いたら百グラム。千人いたら一万グラムで十キロだ。じゃあ、百万人いたらどうなる?」


 十トンもの質量。それが、久怒木くぬぎ京助きょうすけがこれまで会話してきた幽霊たちの人数だった。

 久怒木くぬぎが煙を吐き捨てる。その匂いに惹かれてか、ある霊がその隣に姿を現す。

 闇にぼうっと浮かぶ、ストールのような物を羽織った紫色の輪郭。向こう側が透けて見える、ガラス細工のような女性のシルエット。その左手の薬指には、安物の指輪をはめていた。

 探偵事務所で騒霊たちが暴れる中、一人コーヒーを淹れてくれたり、ポイ捨てした煙草を拾ってゴミ箱に入れてくれていた、世話焼きの幽霊。その姿は《殲滅部隊ホーネット》の六人にも見えたようで、彼らが身じろぎする。

 

「今まで出会った全ての魂が、彼女に協力してくれている。彼女の中には、百万人の魂が宿っている。重い女だなんて言うんじゃあないぜ? 蟻んこみたいに潰されるからな」

「……まさか幽霊で物理的な攻撃をしてくるとはな。だが結局、その女の霊一人では戦力差は変わらん。私の雷獣を蹴散らしたところで、まだこちらには五人――」

「やっぱりわからねぇよな。そうだよな、理解わかるワケがねぇ」


 空気が凍てつく。

 先ほどの寒気とは比べ物にならない、異界の冷気が周囲に満ちる。

 久怒木くぬぎの背後の空間が捻じ曲がる。境界を超え、が現れる。


「自然現象を超えた、怪奇現象。これから起きることを、お前たちは何一つ理解できねぇ」


 そこに並び立つのは、妄念と怨嗟。

 この黒川の土地が生まれた遥か太古の時代より、この場で命を落とした幾千数多の人間たち。

 餓死、病死、戦死、事故死――あらゆる無念と悔恨を抱え、現世うつしよに縛られたまま常世とこよへ旅立てず苦しみもがく亡霊の集団。

 その全てが今、久怒木くぬぎと彼が愛した女性のために。そして、大神とルゥナのために、怨念の矛先を一つにする。


「な、なんだこいつらは……! 久怒木くぬぎ京助きょうすけ、貴様は一体……!?」

「何度だって教えてやる。忘れっぽいお前らバカのために。死の原因を突き止めてくれる者を探す、哀れな魂たちのために」


 百鬼夜行。大通りを埋め尽くす幽霊の行列に、日本支部の精鋭たちが腰を抜かす。

 その反対側、黒川大橋からは大蛇だいじゃたちが進軍を再開する。その狭間で、久怒木くぬぎはサングラスを取る。

 蒼い男の眼には、紅い瞳が不気味に不敵に不遜に輝いていた。


「俺は――探偵だぜ?」

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