第五章 三節 黒い少年は月を見上げる

「なんだ……これ……!」


 東区の自宅から中央区の繁華街までひとっ走りしてきた大神空也おおがみくうやは、そこに広がる光景に目を疑った。

 黒川駅前のスクランブル交差点。街を彩るのはネオンと星月の光、そして……悲鳴。

 土曜日の夜。社会人にとっては退社後の羽を伸ばす時間であり、未成年の学生たちも少し羽目を外して遊び倒す時間帯だ。日頃からこの繁華街にはごった返すような人混みが溢れ、交差点は自動車やバイクといった車両が多く通り抜けていく景色が当たり前だった。

 その大勢の人々が、皆同じ方向に走っている。まるでその後方から、恐ろしいナニカが迫っているかのように。無数の悲鳴と絶叫と怒声が鳴り響き、赤信号など無視して道路を横断し、無我夢中で駆け抜けていく。それは車両も同様で、急停止、逆走、突然のバックなど、パニックに陥った自動車たちが数珠繋ぎに玉突き事故を起こし、路上でクラクションを鳴らしながら立ち往生している。運転席でヒステリックに叫び続ける者もいれば、愛車を乗り捨てて人の波に従い走り出す者もいた。

 彼らの内、そのほとんどは何が起きているのか把握できていないだろう。前から死に物狂いの形相で人々が逃げてくるから、巻き込まれる形でよくわからないまま走ることになっているのだ。交番から飛び出した警官たちも、状況が飲み込めないのか口を開けて呆けるだけだった。

 嫌な予感が現実味を帯びていく。もしルゥナが、血を飲みたいだけの暴力的な衝動で人を襲っていたら。信じたくはないが、その可能性もあるとしたら。腹の底に氷を詰められたかのように、大神は体温が下がるのを感じた。

 その時、風に乗って血の匂いが漂ってきた。大神の鋭い嗅覚を刺激したそれは。

 

「この血の匂い……ルゥナの黒血能力ブラックアーツか? でも、何か――」


 何かおかしい。

 そこに嗅ぎなれた吸血鬼の匂いがあるのは間違いなかった。しかし、何か違うモノが混ざっているような気がしてならない。

 そして何より。


「血の匂いが濃すぎる……! ちょっと黒血能力ブラックアーツを解放しましたとか、そんなレベルじゃあないぞ!」


 ルゥナの身に何かが起きたのは間違いなかった。大神は路地のアスファルトを蹴って跳躍し、雑居ビルの外壁を駆け上がる。そのまま忍者もかくやという身のこなしでビルからビルへ飛び移り、繁華街で最も高いオフィスビルの屋上までやってきた。

 比較的冷たい風が吹きすさぶ地上四十メートルほどの高所から、大神は目を凝らして闇夜の果てを凝視する。そこは人の波が押し寄せて来た、彼らの背後の方角。ビル群がプッツリ途切れる河川敷の先には大黒川が流れている。異変はその中心にあった。

 黒川市のシンボル、黒川大橋。街を二分する大河川である大黒川を渡り、黒川市の東西を繋げている巨大アーチ橋が、名前の通り真っ黒に染まっているのだ。大きな満月の明かりが無ければ、闇夜に溶け込んでその様子を目視することもできなかっただろう。

 そして、漆黒の橋の上空に……巨大な翼があった。


「ルゥナ……!」


 月光を反射する美しい白髪が風に棚引いている。広げた両翼は大神が見たこともないほど巨大化し、夜天を覆っていた。その翼の骨格が見覚えのあるものと違っていた気がしたが、遠目からではよくわからない。

 そして――見てはいけないものを見てしまう。

 天から注がれる、黒い液体。

 それがルゥナの胸の孔から流れ出る黒血なのだとすぐに理解できた大神は、自分がまだ冷静であることに気付いて妙な安堵を覚える。

 しかし、それでも、

 白銀の満月をバックに浮かぶルゥナ。彼女から零れ落ちる黒が、黒川大橋を黒く黒く染め上げる。まるでそれは、月に空いた孔から異界の黒が流れ出ているようで――

 視界がブレる。脳裏にノイズが走る。忌まわしい記憶と重なる。十年前に見た、そらいたうつろな孔……そこから溢れ出した、地獄のような光景がフラッシュバックする。

 だが、大神空也おおがみくうやは目を逸らさない。今度はあの黒から逃げるわけにはいかない。

 

「……そうか。あれが騒ぎの原因か」


 高層ビルの屋上から大神の目が捉えたのは、ルゥナの直下にある黒川大橋で何かが蠢いている姿だった。黒一色に染め上げられた橋の上には黒い瘴気のようなもやが広がり、その中に赤い点が斑に浮かび上がっている。夜空に瞬く星々のように、乱雑かつ無数の赤い点が揺れ動いているのだ。


黒幽鬼ファントムの群れ……? いや、黒幽鬼ファントムは黒に汚染された人間の成れの果てだ。黒血から生まれる存在じゃあない……」


 大神は赤い斑点を黒幽鬼ファントムの眼光だと思った。だが、おそらく違う。

 橋の上に出現し、そのまま街の方へと侵攻する漆黒の軍勢は――蛇だ。自動車を丸飲みに出来そうなサイズの大蛇だいじゃが、群れを成してアスファルトの上を這いずり回っている。果たして、その正体は。


「あれはきっと……黒血能力ブラックアーツだ」


 赤い眼光を放つ黒い大蛇だいじゃたちは、ゆっくりとした動きで黒川市中央区の街中へと向かっている。ルゥナの《血を啜る断頭台ブラッドイーター》の効果とは思えないが、事実それらはルゥナの黒血から生み出されており、無限に増え続けている。この事件の中心は間違いなくルゥナであり、彼女を何とかしない限りあの蛇たちは増え続けるのだろう。

 と、そんな寒気のする想像をしたところで。


「おー、大変なことになってんな。あの吸血鬼の子、すっかり呑まれてやがるぜ」

「ラタトスク、お前また勝手に……」


 右手の甲からひょっこりと顔を出した黒リスが、右前脚でひさしを作って橋の方を眺めていた。


「出て来たならちょうどいい。どうなってるのか教えろ」

「どうもこうも、見たまんまだよ。キミの中から一匹消えてるって言っただろ?」


 あっけらかんと言ってのけたその言葉に、大神は目を見開く。


「まさか、あれは俺の黒血能力ブラックアーツなのか……!」

「そういうこった。キミは寝てる間に、あの子に吸血された。その時に奪われた黒血の中に、が混ざってたんだ。本人の意思で出て行ったのか、理由は知らねーけどな」


 ギリ、と歯噛みする。

 ルゥナがおかしくなった元凶も、街に響く悲鳴の原因も。


「全部、俺のせいだ……! ルゥナも、この街も――俺が守るしかない!」

「その責任感は認めるが、あんまり思い込まなくてもいいんじゃねーの? なんせヤツはだ。血をすする吸血鬼、咎人とがにんさいなむ処刑人……なんともまぁ、あの子との親和性が高すぎただけさ」


 大神の覚悟を他人事のように聞き流し、それっぽいヒントを言い出すラタトスク。彼曰く、発言の中から真偽の取捨選択をしろとのことだったが、今の言葉はきっと全て真実だと大神は思った。


「俺の中から消えて、今あそこでルゥナが使ってる力は――邪竜ニーズヘッグだな?」

「正解。だんだんわかってきたじゃねーの、自分の力の正体を」


 三本の根で北欧神話の世界を支える世界樹ユグドラシル。その第三の根を齧り続けているという巨大な竜……あるいは翼を持つ蛇と言われる怪物がニーズヘッグだ。

 第三の根は氷の国ニヴルヘイムに伸びており、そこにある全ての冷たい川の源流と言われる泉フヴェルゲルミルに棲むそれは、無数の蛇たちと共に暮らしている暴食の権化だ。ニヴルヘイムと同一視されることもある死者の国ヘルヘイムにはナーストロンドという岸があり、殺人、姦淫、不義理などを働いた罪人が死後ここへ流れ着く。ニーズヘッグはこれら罪人の死肉を喰らい、血をすする竜とされている。

 そして、かのラグナロクを生き延びる稀有な生物でもあり、その背に無数の死者を乗せて終末の空を飛び立つとも、地に落ちて再び罪人の血肉を貪る日々に戻るとも言われている。その吐息は毒の瘴気であり、彼と並ぶ蛇たちもまた毒を持つ怪物たちである。

 そんなおぞましい怪物を取り込み、逆に吞み込まれているようにも見えるルゥナを、どのように救うべきか。大神はもちろん、自分の力で解決することを誓う。ただし、一人ではない。

 大神は左手首の腕時計で通話を発信する。相手はもちろん。


「姫路、ルゥナを見つけた。鳥目は大丈夫か?」

木菟みみずくなら今から救急車に乗せるところよ。私もそっちに合流するから、場所を教えて』

「黒川大橋だ。あと、まだそこにいるなら救急隊に伝えてくれ。中央病院への道は使えないから、輸血が可能な近隣の病院に回ってくれってな」

『それってどういう……いや、わかったわ。すぐ伝える』

「察してくれて助かる。どうなってるかは、お前も来ればわかる。出来る限り急いでくれ。俺一人じゃ……誰も助けられない……!」


 あの黒い大蛇だいじゃたちが何を狙っているのか、それがわからないほど大神の想像力は呑気ではない。吸血鬼ルゥナ血肉喰らいニーズヘッグ。その共通点を考えれば容易だった。

 通話を切ると同時に、手の孔から顔を出しているラタトスクが世迷言を言う。


「どうする、兄弟。姫路ちゃんが来るまで、ここで高見の見物と洒落込むかい?」

「そんなワケねーだろ。お前は引っ込んでろ」


 左手の親指で、黒リスを孔の奥へと押し込む。むぎゅっ、とかいう声が聞こえたが知らん。

 屋上から身を投げ出す。暴力的な速度で自由落下し、大気の壁を体が突き抜けていく。眼下のアスファルトに誰もいないことを確認して、強靭な両脚で着地。紙粘土を踏みつけたかのように靴の跡がアスファルトに刻み込まれ、ビシビシとひび割れていく。

 垂直落下の次は、水平に疾駆。目指すのは黒川大橋だ。目的はもちろんルゥナの下へと辿り着き、彼女を連れ帰ることだが、その前に無数の障害が立ちはだかる。

 黒川大橋まで三百メートルという地点。乗り捨てられたタクシーや、逆走しようとして衝突事故を起こした大型トラックで塞がれた道路の真ん中。大神の行く手に現れたのは、赤い目を揺らめかせる無数の大蛇だいじゃだった。


「フヴェルゲルミルの毒蛇……こんなのが俺の中にいたなんてな」


 ニーズヘッグと共に死者を喰らう怪異。舌先から毒物を滴らせて地を這う大蛇だいじゃの群れ。よく見ればそれぞれ体躯や形状が異なり、現実にいるアナコンダ程のものもいれば、全長が観光バスの三倍もありそうな大型もいる。中には四肢を生やした蜥蜴とかげのような、竜のなり損ないに思える怪物も混ざっていた。

 そして、それまで無造作に街中を這い進んでいた彼らが、一糸乱れぬ動きで真紅の双眸を一点に向ける。首をもたげ、黒い口の中から舌をチロチロと動かし、獲物を威嚇する。


(全員、こっちを見た……ッ!)


 数えるのも馬鹿らしくなりそうな黒蛇の群れ。車に衝突されて折れ曲がった信号機が明滅する車道の上。マンホールに描かれた龍神の彫りを見た大神は、そういえば黒川市には水神信仰……蛇を崇める風習があったことを思い出す。

 もっとも、目の前にいるそれらは崇め奉りたくなるような神聖な存在には、到底見えなかったが。


「――お前は俺を認めてないかもしれないが、飼い主は俺だ。主人が死んでる間、好き勝手に暴れてくれた罰をくれてやる」


 いつものグローブを外す所作は無い。家から飛び出てくるときに、最初から付けていなかった。

 おぞましい災厄が宿る右手を、星月夜にかざす。虚ろな孔から月光が突き抜ける。孔の向こうに重なる満月の中心に、守るべき少女の姿を捉えながら。


「今夜は顎が外れるまで力を貸せ! 《黒狼の牙フェンリル》!」


 右腕に厄獣の大顎が顕現する。大神と黒狼の両目が真紅に発光し、群れ成す大蛇だいじゃたちに突撃する。

 容赦なく振るわれるのは、神代の力。神々の時代を蹂躙し、終末を呼ぶ破壊の化身。同じ世界に生きた蛇たちが飛び掛かってくるが、その顎より大きく開いた大顎の一噛みで食い千切っていく。

 まるで小さな台風のように、大神を中心として黒蛇たちの残骸が飛び散る。しかし、困ったことに終わりが見えない。


「多すぎだろ、クソッ! こういうのは無双系アニメの主人公にやらせろってんだ!」


 最近探偵事務所のテレビで見た深夜帯のアニメを思い出しながら、誰も聞いていない愚痴を言い放つ。死から蘇ったばかりで暴れ散らかしている非常識チートはどこの誰なのか胸に手を当てて考えろと、姫路がいたらそのようにツッコミを受けていただろう。


「この……ッ! 道を開けやがれ!」


 近くに停車していたワンボックスカーを、高層ビルから着地できる頑強な脚力で蹴り飛ばす。ガラスが飛び散り、ドアがバタバタと開閉したかと思うと、まるでサッカーボールのように放物線を描いて飛んだ鉄の塊が、大蛇だいじゃを複数巻き込んで道路に落下した。誰の車かわからないが、これにて廃車である。保険は降りるだろう、多分。

 群れの真ん中に穴が空いたが、それで足の踏み場が出来たと言うには程遠い。ルゥナが浮かぶ黒川大橋までの道のりは、既に大蛇だいじゃの列によって塞がれている。仕方なく迂回をしようと考え、周囲を見回した大神の耳に、声が聞こえて来た。


「ママ……ママぁ……!」


 ハッとして声のする方を見ると、大通りから外れた路地の辺りで、幼い女の子が倒れた女性に寄り添って泣きついていた。おそらく女性は彼女の母親で、近くにパンプスが片方転がっていた。よく見れば、母親の右足がおかしな方向に曲がってしまっている。パニックに巻き込まれ転倒し、逃げ惑う人々に踏みつけられたのだろうと、大神はその様子から状況を察した。


「逃げ、なさい……あなただけでも……!」

「やだよ、ママ! 誰か……ママをたすけて……!」


 その声に反応したか、大神を襲っていた大蛇だいじゃの群れが一部離れ、そちらの路地へと這い寄り始めた。


「クソッ、お前らの相手は俺だ!」

 

 大神を取り囲んでいる蛇共を右腕で薙ぎ払いながら、親子を救出しようと前進する。大神の脚力なら、あと少し進めばひとっ跳びで二人の下へ辿り着けるだろう。

 だが、そういう時に限って、最悪は訪れるものである。

 親子の背後。ビルの隙間から、黒い影がぬっと現れた。巨人型ギガントタイプ黒幽鬼ファントムである。


「こんな時に……!」


 黒く半透明の巨人が真紅の瞳で、泣き喚く少女と動けない母親を見下ろしている。信号機ほどの背丈がある、胸に孔の空いた怪物が、電柱のような太さの両腕を振り上げた。

 大神は間に合わない。二人の下へ辿り着く頃には、その両腕を振り下ろされたアスファルトに真っ赤な染みが二つ出来ていることだろう。

 だがその時、大神は確信することになる。この世界に、英雄ヒーローはいるのだと。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼︎ ぎっりぎりセーーーーーーーーーーーーフッ‼︎」


 路地の向こうから爆走してきた半袖短パンの季節感皆無な少年が、少女を小脇に、母親を肩に担ぎ、その場を走り抜ける。コンマ数秒の差で、彼女たちがいた地面が黒幽鬼ファントムの両腕によって粉砕された。


「あぶねーーーーっ! なんとか助かったなぁ! って、なんだこの蛇たち⁉︎ 動物園から逃げ出したか⁉︎」

「うるせーぞ金髪騒音野郎ゴールデンスピーカー! でもナイスだ! その二人を連れて早く逃げろ!」


 廿浦つづうらリク。大神のクラスメートである男が、人間二人を抱えたまま蛇の群れを見て驚愕していた。驚きたいのはこっちである。


「あれ、空也じゃねーか! こんなところで何してんだ?」

「それはこっちの台詞だ! 黒幽鬼ファントムと蛇は俺が止めるから、早く行け!」

「やっべ、そうだった! ところでその右腕カッケーな! 今度また見せてくれよ!」


 どこまで呑気なんだコイツは、と。今の会話だけで体力を消耗した大神であった。

 ぐっと両脚に力を込めた廿浦つづうらが、走り出す直前で振り返った。


「死ぬなよ、空也!」

「――ああ、もう死ぬのはこりごりだ」


 その緊張感の無さに、幾分か救われたかもしれない。

 二人は不敵に笑った後、お互いの行くべき場所に目を向ける。大神は蛇の群れを飛び越え、巨人型の黒幽鬼ファントムの前に立ちはだかる。その背後から、徐々に遠くなる爆声が聞こえた。


「黒川高校陸上部のエース! 廿浦つづうらリク様を舐めんじゃねぇーーーーーーーーッ!」

「わーっ! お兄ちゃんはやーい!」


 ドップラー効果すら起こしたのではと錯覚するような勢いで、金色こんじきの少年が遠ざかっていく。クラスメートの前ではずっと隠していた右腕を振りかぶり、大神は笑う。


「カッケー、ときたか。フツーはビビって軽蔑するところだろーがよ」


 かつての同級生たちから向けられた眼差しを思い出しながら、その邪魔な記憶を思い出の彼方へと押し込む。

 蛇も問題だが、この黒幽鬼ファントムを放っておくわけにはいかない。現状の危険度で言えば、こちらの方が遥かに上だ。その巨大な全身を一片も残さず食い千切ってやると、大神が右腕を構えた時だった。


「なんだ……?」


 目の前に立っていた巨人型ギガントタイプ黒幽鬼ファントムの上半身が崩れ落ちた。胴体を水平に真っ二つにされた黒い塊が、アスファルトに倒壊する。さらに黒い竜巻のようなものが発生したかと思うと、その風が刃のように下半身を細切れにした。落下した上半身は何が起きたかわからないという風にもぞもぞと蠢いている。悶える黒い塊は、やがて雷雲も無く発生した落雷によって消し炭となった。

 気付けば凶悪な黒幽鬼ファントムが秒殺されていた。斬撃、旋風、そして落雷によって。


「《黒狼の牙フェンリル》の大神空也おおがみくうやだな?」


 聞きなれない男の声に大神が目を向けると、落雷によって発生した煙の向こう側に数人の男たちが立っていた。

 いずれも黒と白を基調としたコートに身を包んでおり、サングラスとマスクで顔を隠している。そのうちの一人、おそらく彼らのリーダーらしき人物が、一歩前に出て話しかけて来た。


「手短に用件を言おう。我らはIODOイオド日本支部第二室|殲滅部隊《ホーネット》である。日本支部は今回のターゲット……人造吸血鬼量産計画ヴァンパイア・プロジェクトによって生み出されたルゥナ=サーティーンを、正式に抹殺対象と認めた」

「何を、言ってやがる……!?」


 手短に、端的な挨拶で助かった。

 その台詞だけで、大神は彼らを敵と認識できたのだから。


「世間に公表できぬ我ら組織の闇は、組織の力をもって浄化する。その恐ろしい右手の力を、あの暴走し始めた吸血鬼の粛清に使ってくれるなら、我らも楽が出来るのだが?」

「舌を噛んでくたばれクソ野郎」


 右腕の牙を、その饒舌な男に向ける。男は「フム」と、さして驚いた様子もなく続ける。


美園生竜胆みそのうりんどうの報告にあった通り、やはり貴様はルゥナ=サーティーンに肩入れしているようだな。この惨事だ、問答の時間はない。歯向かうと言うならば、痛い目に遭ってもらうほか無いようだ」


 男の背後から、部下らしき面々が大神を囲うように散開する。合計で六人。そのうちの一人は波打つ形状の刃を持つ漆黒の大剣を担いでおり、それが黒幽鬼ファントムをぶった斬ったのだとわかった。また別の者が、にじり寄ってくる大蛇だいじゃたちを黒い竜巻で粉砕した。宙に舞い上がった輪切りの胴体が、どさどさと道路に降り注いでいる。

 そして、リーダー格の男の背後に、再び落雷が発生した。目を潰さんばかりの激しい稲光の後、男の背後には彼の身長の二回りほどもある巨大な四つ足の黒い獣が出現していた。

 わかりやすいな、と大神は思った。

 炎のような形状という意味からその名がついた剣。フランスを中心とした西洋で戦争に使われ、そのギザギザの刀身は治癒を許さないほどの致命傷を与える目的で使われた史実の武器。

 日本各地に伝わる民間伝承。鳥山石燕とりやませきえんの『画図百鬼夜行』にも載っている、人を斬る風の妖怪。

 そして同じく日本の怪異。特に江戸より東の地域にその記録が残る、落雷と共に現れる四つ足の獣。


「……フランベルジュに鎌鼬かまいたち、それと雷獣ってところか?」

「慧眼だな。若くしてその知識量と観察能力。失うには惜しいが、こちらに来る気はないのだろう?」


 その他三名は何も構えずに立っているが、彼らもおそらく黒染者ブラッカーなのだろう。大神は一人、相手は六人。そのいずれもが、黒幽鬼ファントムを秒殺する実力を持っているらしい。

 だが、その程度の脅しでビビるくらいなら、大神はここに立っていない。


「わかりきったコトを聞くんじゃねーよ。テメーらの都合で生み出した存在を、テメーらの都合で消すだと? それが大人の使う責任って単語なら、その舐め腐った辞書を書き換えてやる!」

「失礼した。問答の時間は無いと言ったのはこちらだったな。支部長への報告文には、こう書くとしよう。『勇敢な一市民が、凶悪な吸血鬼の暴走に巻き込まれて消息を絶った』と」


 巨狼と雷獣が同時に唸り声を上げた。

 ルゥナを救うため、彼女の下へ駆け寄りたい大神の前に、邪魔なモノが次から次へと現れる。

 関係ない。全部破壊こわして進むだけだ――と。そう覚悟を決めて飛び掛かろうとした時だ。


「そいつは駄文だな、訂正してやる。『無能な六名イオドのバカどもが、理解不能な現象に巻き込まれて戦闘不能よくわからねーけどなんやかんやでリタイア』ってな」 


 鼻を衝く、煙草の臭いがやってきた。


「アンタは……」

「貴様……ッ!」


 大神と雷獣の男、二人の次に続いた言葉は「なぜここに」だった。

 コツ、コツ、と。革靴を鳴らして道路の真ん中を歩いてくるその男は。

 青のメッシュが入った黒髪と、青いスーツを風に揺らし、黒いサングラスの向こうからこちらを見据えて。


「当たり前だろ?」


 煙草の煙に巻かれながら、その問いに嗤いながら答えて見せる。


「俺は――探偵だぜ?」

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