第三章 日常と異常の境界線

第三章 一節 束の間の日常

 黒川高校。

 正式名称は黒川大学附属黒川高等学校。その名の通り、近隣にキャンパスを構える黒川大学の附属校である。

 私立の名門校であるが、取り立てて目立つ学科や、運動部の大会実績などはない。強いて言えば、黒川大学へ進んだ卒業生の中には歴史や民俗学の権威となった著名な学者が多いことくらいか。そこそこ勉強のできる若者が集まった、そこそこ有名な学校という印象である。

 時刻は午前九時。大神、鳥目、そしてミーアの三人は、一限目の授業が進む校舎の外周にいた。

 タクシーで高校の裏門に到着した大神たちは、明らかに浮いているミーアを見咎められないよう警戒しながら校内に侵入したのだった。なお、何かを察した鳥目が昨晩のお礼も兼ねてとタクシー代を払ってくれたのだが、何とも情けない気持ちになる大神であった。


「さすがにこの時間は、生徒も教師も校舎の中か。何とか見つからずに済んだな」


 垣根に隠れるようにしゃがみながら移動し、件の空き教室付近にたどり着く。昨晩の雨で日当たりの悪い地面がぬかるんでおり、靴が汚れてしまったが甘んじて受け入れる。


「お、ラッキーだ。この窓、鍵が開いてるぞ。ここから入ってくれ、ミーア」

「わかった。よいしょっ」


 日傘を折りたたんだミーアが窓の桟を飛び越え、木製の床の上に着地する。泥汚れを落とす手段がないため教室が汚れてしまうだろうが、今は気にしていられない。

 大神が積み重なった机の陰を指差し、窓の外から声をかける。


「お前はしばらくそこに潜んでろ。廊下側にも覗き窓があるから、物陰に隠れてじっとしとくんだぞ」

「クーヤ、すぐ戻ってくる?」


 教室の隅にちょこんと座ったミーアが、少し不安げな様子で見上げてくる。掃除がされずに放置されている教室は埃っぽく、一人で置いていくには後ろめたさを感じてしまう大神であった。


「大体一時間ごとに戻ってくる。昼飯の時は、購買で何か買ってきてやるよ」

「わたし、アレがいい。昨日もらった、ボロボロでぐにゃぐにゃのやつ」

「あー……購買に売ってるかな……。ちなみに本来アレは棒状のプロテインバーだからな? ボロボロがデフォルトのフォルムじゃないからな?」


 それは大神がミーアに渡した、当時の全食料のことだった。どうやら随分とお気に召したらしい。


(あんなパサついた食いモン、余計に喉が渇かないか?)


 と、首を捻る大神。吸血鬼の食事事情については、まだまだよくわからないものだ。


「じゃあ、俺たちは教室に行くからな。何かあったらとにかく逃げろ」

「またね、ミーアちゃん」


 大神と鳥目が空き教室を立ち去る。閉めた窓の向こうで、ミーアがひらひらと手を振っていた。


「何も起きないといいね」

「本当にな。昨日と今日で色々と起きすぎだ……」


 心配そうな顔で隣を歩く鳥目に、大神がボサボサ頭を掻きながら答える。

 ミーア曰く、追っ手は銀で出来たナイフを扱う人間らしい。そんな凶刃を学校に持ち込む狂人が現れないことを祈りながら、大神たちは自分たちのクラスである二年C組に向かった。



 **



 一限目の途中で教室に入った大神と鳥目は、古典教師の園蔵詩絵そのくらしえに遅刻した理由を述べて席に着き、終わり際の授業に参加した。いらぬ心配をかけたくないという見解の一致で、孔空きロスト・ワンに襲われたことは触れず、電車が事故で遅延したとだけ伝えたのだった。

 枝毛だらけでパッサパサのポニーテールにヨレヨレのカーディガンという、まだ二十代にもかかわらず女を捨てたような外見。常に酩酊しているかのように据わった目が特徴の園蔵は


「あーはいはい、面倒くさいからフツーに出席したことにしといてやるよ、はよ座れ」


 と、大神たちの供述を半分以上聞き流しながら授業を進めたのだった。楽なので助かるが、教師としてどうなのかという疑問が浮かぶ大神であった。

 そんなわけで一限目をクリアし、休み時間に入ったのでミーアの下へ向かおうとした矢先、窓際の席に座る大神の下へ駆け寄ってバカみたいにデカい声で話しかけて来たバカがいた。


「電車の事故に巻き込まれるとかツイてねーな空也ァ! でも堂々と遅刻できたのはツイてたのか? 一限目の古典めっちゃ退屈だったしなァ!」


 廿浦つづうらリク。金髪のショートヘアーに、オレンジ色のピアスをつけたクラスメートだ。身長は大神よりもわずかに低く、細身ながら筋肉質なインナーマッスルタイプの男である。ワイシャツにハーフパンツとかいうバカ丸出しの服装なのだが、お察しの通りバカである。


「耳音でうるせーぞバカ。音量を絞れ金髪騒音野郎ゴールデンスピーカー

「だからそのヘンテコなあだ名は誰が最初に言い出したんだよ! 見つけ出してタコボッコにしてやらァ!」


 窓際の席なので、隣に立たれるだけで身動きが取れない。廿浦にボディブロックされてしまった大神はミーアに会いに行くことが出来ないでいた。

 机に頬杖を突き、辟易した表情で廿浦の顔を見上げる。その喧しさからつけられた金髪騒音野郎ゴールデンスピーカーの称号は伊達ではなく、大神の都合など知る由もない廿浦はぺらぺらぺらぺらと昨日見たアニメや趣味の筋トレの話を続けている。よくも噛まずにしゃべり続けられるものだと、いっそ感心すら覚えてしまう。


「てなわけで! ついに俺は四十キロのダンベルを持ち上げることに成功したのであった! アニメで見た地獄の特訓を真似たらマジで効果あったから、空也も一緒に筋トレしねーかァ?」

「誰がやるか。そのまま百キロに挑戦して潰されちまえよ」


 廿浦の地獄のような誘いを受けて辛辣に言い返す大神の下に、さらに一名クラスメートが参戦する。


「リクの話にいちいち反応してたら疲れちゃうよ、空也。そんな不機嫌そうな目つきでイライラしてたら、将来ハゲるよ?」


 爽やかな声で毒と棘のある一言を言い放ったのは、霧島哀斗きりしまあいと。水色に染めたウルフカットが特徴で、細身の長身という高ステータスを持つ男である。誰とでも分け隔てなく話せる上に端正な顔立ちという勝ち組のような長所を持っておきながら、その実かなりの毒舌家であり、性格がテレビ台の裏の電源コードくらい捻じ曲がっているというのが大神目線の見解だ。しかも春になった教室の中で制服の上からグリーンのモッズコートを着ている辺り、変人度合いが伺える。


「目つきが悪いのは生まれつきだ、ほっとけ」

「そうだぞ哀斗、生まれつきの見た目をいじるのはよくないぜ! いくら空也がハゲてても、言って良いことと悪いことがある!」

「誰がハゲだ。表出ろお前ら」


 きゃー空也が怒ったー! などと可愛くもない棒読みな悲鳴を上げる廿浦と霧島に、大神がどっと疲れて溜息を漏らす。いい加減ミーアの下へ向かわないと気が気でならない大神が無理やりにでも立ち上がろうとすると、二人の障害物モブキャラを挟んで隣の席に座っている鳥目と目が合った。

 鳥目は自身を指差してから廊下を指差すジェスチャーをしていた。状況を察した彼女が、代わりにミーアの様子を見に行くという意味だろうか。

 大神が頷くと、鳥目は席を立って廊下へと出て行った。そんな目配せを見られたのか、霧島が演技臭い口調と身振りで煽って来た。

 

「そういえば空也。鳥目さんと一緒に遅刻してくるなんて、いつの間にか仲良くなってたんだね。一年生の時はロクに人と絡まなかった空也が、女の子と友達だなんて……感動的だなぁ」

「確かにィ! 新学期早々、新しいクラスメートと仲良くなれるなんてすげーぜ! 空也のくせにな!」

「よーし喧嘩だな? 喧嘩を売ってやがンだな? じゃあ買ってやる。次の数学で寝なかったヤツが勝ちだ。寝たヤツは昼食の購買を奢る。まさか逃げねぇよな?」


 ワンチャンで昼飯代を浮かせられる勝負を吹っ掛けたところ、バカ二人が「乗った!」と食いついてきた。数学は三人とも苦手な科目であり、前年度もよく居眠りをして怒られ、赤点ギリギリだった宿敵である。対等な条件の中、仁義なき男子高校生の決闘が幕を開けようとした、その時だった。


「大神くん! ちょっとついて来て! 早く!」

「姫路? どうした急に……」


 道場破りのような勢いで怒鳴り込んできたのは、学校指定のブレザーとスカートを真面目に着こなしている姫路だった。二年A組に在籍しているはずの彼女が、何やら慌てた様子でC組の教室に入って来たのだ。そのまま廿浦と霧島の間に割って入った姫路に、大神は腕を掴まれて力任せに引っ張られた。


「お、おい待て! いきなり何だってんだ」

「いいから早く!」


 そのまま引きずるような形で連行される大神の耳には、面白おかしそうに笑いをこらえる霧島と、突然の出来事で呆気にとられた廿浦の声が聞こえて来た。


「まったく、空也ってば。鳥目さんだけじゃなくて姫路さんまで。罪な男だなぁ」

「ん? え? 空也のヤツ、何かしたのか?」

「リクにはまだ早い話だったねぇ」

 


 **



 姫路に連れられて教室から出た大神が廊下を歩いていくと、一階へと続く階段の下からガヤガヤと人声が聞こえてきた。

 階段を下りてみると、昇降口の前に人だかりができていた。何かを囲むように集まった生徒たちの姿に、大神は嫌な予感を覚える。


「大神くん、アレってどういうことなの? 説明してくれるわよね?」

「あー……………………後でな、後で、うん」


 姫路が指差した人だかりの中心にいるソレを見て、嫌な予感が的中した大神の思考が停止する。

 そこに立っていたのは、空き教室に匿ったはずのミーアだった。

 白い長髪、アルビノのように白い肌、そして白いコート。学校という施設に似つかわしくない恰好をした少女が目立たないはずもなく、休み時間もあとわずかだというのに無数の生徒たちに取り囲まれていた。


「キミ、迷子? 外国人っぽいけど、日本語わかる?」

「お人形みたいでかわいー! 写真撮っていい?」

「えっと……うー……」


 思いもよらぬ珍客に興味津々な生徒たちに詰められ、ミーアがペットショップの子猫のようにオドオドしている。そんな彼女を人だかりの外周から見てあたふたしているのが鳥目であった。


「あっ、大神くん! 姫ちゃん! えっと、どうしよう! ミーアちゃんの様子を見に行こうとしたら、いつの間にか人に囲まれちゃってて……」


 どうやら鳥目が連れ出したわけではないようだ。となると自主的にミーアが出歩いたことになる。大神は頭を抱えたくなった。

 そんな大神とミーアの目が合った。彼女は飼い主を見つけたペットのように駆け寄ってくる。


「あっ、クーヤ! 助けて!」

「おい馬鹿こっちくんな関係者だと思われるだろーが、って言ってももう手遅れなんだよなチクショウ」


 大神が警告するよりも早く、ミーアが泣きつくように縋って来た。大神の右腕を両手で掴んだ彼女は、小さく震えながら見上げて来た。


「クーヤ……トイレ、どこ……?」

「そう言えば教えてなかったなそれは俺が悪いわスマンだから離れろ袖が伸びる」


 ワイシャツの袖をぐいぐい引っ張られて、思わず早口になって引き剝がす。その様子を一年生から三年生までの野次馬たちに怪訝な目で見られており、大神は思考の整理がつかない。


(あークソ、どう説明しろってんだよコレ)


 心底面倒くさいという感情を隠さずに顔面に貼り付けるも、ミーアには伝わっていないようで、大神の傍から離れようとしない。知らない人間に急に取り囲まれたわけで、それなりに怖かったのかもしれないが、吸血鬼が人間の少年少女相手にたじろぐのはある意味で滑稽だなぁと思う大神であった。

 そんな大神の窮地を察してか、あるいは茶化しに来たのか。後をつけて来た廿浦と霧島が声を上げた。


「えっ、どういう状況だ? 空也、その子は誰だ? もしかして迷子か! それとも不法侵入者か!」

「リク、少し黙っててね。空也、ここは僕に任せるといい」


 大神が背後からの声に振り向くと、霧島が余裕そうな微笑を湛えて歩いて来ていた。彼はそのまま大神たちを横切り、野次馬の前に立つ。


(コイツ、絶対ロクでもないこと言うつもりだぞ……)


 何となくだが、大神は察していた。この霧島哀斗きりしまあいとという男は、人をからかっておもちゃにすることに関しては群を抜いて秀でていやがるからだ。

 霧島は大仰に両腕を広げ、演技がかった口調でトンデモないことを言い出す。


「みんな、安心していいよ。その子は怪しい者じゃない。何を隠そう、ここにいる大神空也おおがみくうやの身内……そう、義妹なのだから!」


 ナ、ナンダッテー!

 そんな声が一階の廊下に響き渡る。その声量の八割は廿浦のモノであるが。

 大多数の生徒たちは、霧島の突拍子もないカミングアウトに口をポカンと開けて呆けている。その中にはミーアも含まれていた。


「これには聞くも涙、語るも涙な深いワケがあってね……。大衆の面前で語るのは憚られる、特別なカンケイが二人の間には」

「それ以上その口を開いたら金的蹴り上げンぞ」


 まるでミュージカルのように大袈裟な演技でペラペラと語り出した霧島の背後で、大神はいつでも右足を垂直に振り上げられる準備をしておく。その殺気を感じたのか、霧島は閉口してスススッと下がって来た。


「じゃ、僕はこの辺で。その子については、後で詳しく教えてよ空也」

「お前にだけは絶対に教えねぇ」


 ヒソヒソと耳打ちしてきた霧島に頭突きをかまして追い返す。彼は「アイタッ!」と仰け反ってから、廿浦を連れて教室へと帰っていった。

 その傍らで、霧島の放った嘘八百を真に受けた野次馬たちが勝手な推理を進めている。特に大神を知る二年生たちにこのゴシップは覿面だったようで。


「義妹? 大神にか?」

「しかも特別なカンケイって……まさか血が繋がってないのをいいことに……!」

(霧島のヤツ、覚えとけよ……!)


 大神が立ち去る霧島の背中を矢のような視線で睨み抜いたところで、今度は姫路が野次馬たちの前に出た。朱い髪を揺らし、凛とした声でその場を仕切る。


「もうすぐ休み時間が終わるわ、みんな教室に戻りましょう。三年生の先輩方も、教室は三階なんですから急がないと」

「やべ、もうそんな時間か!」

「姫路さんが言うなら仕方ないか……授業だりぃーなぁ」


 姫路の言葉に、一年生から三年生までの生徒たちは素直に従って解散していく。というのも姫路は黒川高校の生徒会役員にも所属しているため顔と名前が通っており、成績は常に上位で憧れの的。加えて大神から見てもそれなりの美人であるため、誰しもが認める存在なのだった。

 足音が散り散りに遠ざかっていく昇降口付近の廊下で、鳥目が何とも言えない表情で大神の顔を覗き込んできた。


「大神くん、その……ドンマイ?」

「疑問系で慰めるな鳥目。よりによって最悪なヤツに見つかっちまった……」

 

 はぁ、と溜息を廊下に吐き捨てる大神。この先のことを考えると思いやられる。


「追っ手に万が一見つかっても学校なら騒ぎを起こせないだろうけど、見つからないに越したことは無い。これ以上目立つのはリスクを増やすだけだ。今はスマホ一つで噂話が拡散されるし、この場所が特定される可能性も高くなる」


 便利すぎる情報化社会が、大神たちに刃を向けてくる。黒川高校は通信機器の持ち込みが制限されているわけではないので、みんな当たり前のようにスマホを身に着けているのだ。

 大神の言葉を聞いた姫路が、「なるほどね」と口を開いた。


「この子を匿うために、あえて学校に連れて来たってワケね。ところで大神くん、今朝は東黒川駅で孔空きロスト・ワンが出現したらしいのだけれど、貴方もしかして関わってたりするかしら?」

「関わってるけど説明が面倒くさいから聞くな」

「貴方ね……何かあったら共有するようにと、久怒木さんからもいつも言われて……!」


 と、目を逸らす大神に姫路が食って掛かろうとしたとき、二人の袖をミーアが掴んだ。もじもじしており、若干の涙目である。


「ト・イ・レ!」

「あぁ、忘れてた。姫路、頼んだ」

「もう、仕方ないわね……。ミーア、こっちよ」


 姫路が歩き始めると、ミーアはその背中を足早に追いかけて行った。それぞれの背中に、大神と鳥目が声をかける。


「トイレが済んだら、さっきの教室に戻って隠れておけよな~」

「姫ちゃん、二限に遅れることはA組に伝えておくね!」


 そう言って二人も教室に戻るため、階段を駆け上がった。

 休み時間の終わり、二限目の開始を告げるチャイムが、黒川高校に鳴り響いた。

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