あの時と同じ

「なら、力ずくで止めて見せろよ」

そう言ったメアリーの雰囲気が変わった。身に纏う黒炎は妖しく揺らめいているだけだったが、それでも、メアリーは炎のように揺れ動くことのない、いつか消えることのない決意をみなぎらせていた。

「フンッッ!!」

 メアリーが大きく一歩前に踏み出し、俺の目の前に一瞬で移動してきた。黒炎が尾を引き、墨絵のように空間を彩るその一歩は、目で追うことができない程速い。

 そしてもちろん、その速度で繰り出される拳も早いわけで。

「ッッ!?」

 俺は後ろに転がり、ただメアリーから離れることしかできなかった。

 メアリーの、反撃すら警戒していないテレフォンパンチ。当たってすらいなかったのに、黒炎の影響か、頬を掠めただけでも激痛が走った。

「逃げるなよ」

 メアリーの声とともに痛みで歪んだ視界に入ってきたのは、こちらに向かってくる拳。

 俺はそれをギリギリで回避したものの、再び走る激痛。

 そして何度も襲い掛かる拳。

 そして、激痛。

 そして______

 反撃すら、思考すらも許されない程の猛攻。避け続けることはできるが、紙一重の攻防に、実体のないダメージが蓄積されていく。いつか避けきれなくなることは明白だった。

 そして、そのいつかがすぐに来ることも。

「がっっっっはぁあっっ!!!」

 痛みに狭まっていた視界の外から襲い掛かってきた、強烈なボディーブロー。痛みに悶える暇もなく、その勢いのまま吹き飛ばされ、背中に強い衝撃が走った。

「ごぷっっ………がはっっっ……………」

 胸やけとともに、熱い何かが口からあふれ出す。

 懐かしい、鉄の味がした。

「はぁ………はぁ………はぁ………」

 赤く染まった視界に、遠く離れたメアリーが見えた。そして耳鳴りの止まない耳からは、ガラガラと何かが崩れるような音が聞こえてくる。

 どうやら壁まで吹き飛ばされてしまったらしい。

 絶望的な状況なのに、どこか他人事のようだった。

「メ………!!………い、も……め……!!!」

「い……、…め……よ」

 アンとメアリーの争う声が聞こえてくる。俺はそれを止めるべく立ち上がろうとするが、体に力が入らない。それどころか、頭が重すぎて顔を上げているだけで精いっぱいだった。  

それに、瞼もやけに重い。

「………………!…………………!?」

「!!!………………!!……………_____」

 ぼやけていく思考の中、殴られたお腹を見る。

申し訳程度に体を守っていたボディプレートは、黒炎に溶かされ、丸い穴が開いていた。そして露わになったのは、陥没しかけた赤黒い肌。どこからどう見ても致命傷だった。

黒炎自体にダメージはないが、殴られた衝撃はあるらしい。

「はぁ……げほっ……はぁ……はぁ…………」

 お腹が熱い。

苦しい。

それに、ずいぶんと眠い。

「はぁ………はぁ………はぁ………」

 もうこのまま眠ってしまおうか。

 そうすれば、起きた時には何もかも終わっているかもしれない。

 そもそも俺は運悪く巻き込まれただけで、俺には関係のないことだったんだ。ここまでよく頑張った方だろう。

「はぁ…………はぁ…………はぁ……………」

 薄れゆく意識の中、俺は目を閉じ、全身の力を抜いた。

 いや、抜けてしまったという方が正しいのだろうか。

「はぁ……………はぁ……………」

 体が傾いていく。

 ゆっくりと横に、倒れていく。

「………………はぁ………………」

 あの時と同じじゃないか。

 失意の中、死んでいったあの時と。

「…………………」

 唯一違う点と言えば、今の俺には穴が開いていないことだろうか。

 それでも死んでいくのには変わりはない。

「…………」

 あの時と同じ、かぁ。

 あぁ、それなら_________

「………………?」

 それな、ら?

 何か今、思いついたような気がする。

「…………っ!!」

 あぁ、そうだ。仮面を壊してしまえばいいのか。神器とか言われていて壊すのを今までためらっていたが、この状況になってしまえばそんなことを言ってられない。

それに、あの仮面を壊すだけなら簡単だ。俺はすでに仮面を壊す方法を知っているのだから。

「げほっっ!!げほっっっ!!!」

 気が付けば俺は、倒れていく体を支えるように手をついていた。それと同時に、今までの眠気が嘘のように消え、意識がはっきりとしてくる。

 “仮面を壊してしまえばいい”。

 痛みでうまく回らない頭で考えた、半ば投げやりな思い付き。それはある意味、意識が朦朧としている状況でしか思いつかないような、単純で簡単なものだった。

 それでも、その思い付きはこの絶望的な状況を一転させる希望となり、俺に再び立ち上がる勇気を与えてくれた。

「はぁ………はぁ………はぁっ……………」

だが、意識が戻ってくるのもいいことばかりではない。マヒしていた痛覚が再び痛みを訴え始め、腕は体を支えるだけで限界なのか、震えているのが分かったからだ。

「うぅ………ぐぅ………!!」

 これ以上動けないと、体が悲鳴を上げている。

 だが俺は、それでも立ち上がろうと歯を食いしばり、いつもより重く感じる足に無理やり力を込めた。

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

力を入れるのを拒むかのように痙攣する脚。そして、今まで以上に熱を帯び始めるお腹の痣。

「くぅ……あぁあ………!!!」

再び意識を失いそうになるが、どうにか立ち上がった。

立ち上がることができた。

「まだ、立ち上がるか」

「っ!!ミサキ、様………!!」

 遠くで言い争っていた二人の意識がこちらに向いた。俺はメアリーに軽く嫌味でも言ってやろうとしたが、息をするだけで激痛が走る状態の俺に声を出すほどの力は残っていない。

 だから______

「は………ははっ……………」

その代わりに、笑ってやった。

「……………なるほど」

 それを見たメアリーは何を思ったのか、一言つぶやいた後、こちらにゆっくりと歩いてきた。

「やっぱり君はここで殺しておくべきだ」

「待って、メアリー!!やるなら私を…………きゃっっ!!!」

 それを止めようとしたアンが、メアリーに突き飛ばされる。

「……………?」

 3メートルほど突き飛ばされ、気を失ってしまったアン。

 俺はそれを見て何か違和感を覚えたが、自分のことに精一杯だった俺には考える余力は残っていない。今はどうやってメアリーに近づくかを考えなければならないのだ。

 あの仮面を壊すためには、まず彼女に近づく必要がある。それが最低条件であり、最高難度のミッションだ。

 まあ、現在進行中であっちから近付いてくれているんだけど。

 でも、それだけじゃ足りない。

 仮面に直接触る必要がある。

「君は本当に、運が悪い」

 俺は、運が悪いと言われたことにムッとしつつも聞き流す。

 まさか、彼女の方から時間稼ぎをしてくれるとは思わなかった。これならば、近づく方法も考えつくかも_________いや、これを利用すればいいのでは?

「君がもしこれに巻き込まれていなかったら、勇者としての華々しい生活が待っていたのに」

 仮面に近付くだけなら、このままでいい。だけど、仮面に触れるとなると近づくだけじゃ足りない。油断を誘う必要がある。

「もし君の召喚がもう一人分ずれていたら、君は魔王を討伐できていただろう。まったく、運が悪い」

 とはいえ、今この状況からメアリーを油断させるのは簡単だった。

 メアリーの逆鱗に触れるようなことをするだけでいいのだから。

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