この世界の問題

「なるほど。この大陸の大半は森に覆われていて、それを囲むように人が住んでいるのか。」

 俺は机に広げられた地図を見ながらそうつぶやく。

「はい。この森には数多の魔物、魔王が存在していて、その中心には黒龍と呼ばれる最古の魔王が封印されています。」

 俺を監獄から助け出してくれた少女、アンが俺の呟きに対して詳しく説明をしてくれる。

俺は今、彼女の屋敷にある書架で情報収集をしていた。

俺の向かい側に座ってじっと見つめてくる表情は年相応なものだが、彼女は17才にしてこのセイラムという町の領主らしい。この屋敷から見た感じ城下町はかなり発展していて、この屋敷なんか前の世界の王城並みに広い。内装もやりすぎない程度に豪華で、特に屋敷の内部のほとんどが絨毯敷きの床だったのには驚かされた。靴を履いて歩くのをためらうくらいふかふかなのだ。思わず寝転がって眠りたくなってしまう。

「あの………そんなところで寝ると風邪をひきますよ?」

「しかし、黒龍か………。ずいぶんとかっこいい名前じゃないか」

 前の世界にも竜はいた。奴はその名に恥じぬ強さを持ってはいたが、何せ土竜だったのだ。かっこ悪い。

「あの、眠いのでしたら寝室に行ってはどうでしょうか………?」

 あのベッドはだめだ。あれでは本当に眠ってしまう。今俺がごろごろしている絨毯ですらこれなのだ。この屋敷のベッドは素晴らしく、ひとたび体を預ければ、体がゆっくりと沈み込み、優しく俺の体を包んで眠りへと誘ってくれる。一度天国に行ったことのある俺ですら、あまりの寝心地の良さにここが天国かと思ってしまったほどだ。いや、幼女神(黒)はあそこを神域だと言っていたか。つまりあのベッドこそ本物の天国______

「お疲れなのでしょうか………?」

「…………寝てないぞ。少し考え事をしていただけだ」

「2日間もここにこもったままなのですから、そろそろお休みになられたほうが………」

「確かにそうだが、俺は特殊な訓練を受けているんだ。多分1週間くらいは寝なくても大丈夫だぞ」

「そっ、そんなに………!?」

 嘘です。めっちゃ眠いです。

 俺が適当についた嘘に驚くアンの声を聞きながら寝返りを打ってうつぶせになる。

「うにゅっ」

 胸が圧迫されて苦しい。反射的に情けない声が出てしまった。

本当に女の子の体になってしまったのだと、改めて実感させられてしまう。

牢屋の中では神話再臨(イミテーション・ゴッズ)のことで頭がいっぱいだったが、少し余裕ができたということもあって元の体に戻る方法も考えるようになった。

だが、少し前にそれをアンに話したところ、やはり俺の体を手に入れたメアリーと例の魔眼が必要らしく、少し時間がかかるということだった。

くりぬかれてしまった例の魔眼は破壊したとかではなく保管してあるようで領主の権限を使えばここまで届けることができるらしい。だが、問題はメアリーが俺のもとへ来るかどうかである。

しばらくこの体と付き合わなければいけないらしい。

「その並外れた体力と言い頭脳といい、本当にすごいですね。今日はびっくりしましたよ?この部屋にきて2日で会話ができるようになったのですから。私がただ文字の読み方を教えていただけなのに………」

「当然だ。俺は勇者だからな」

 ここに連れてこられてから5日も経っているが、そのうちの2日間で俺はこの国の公用語をマスターした。前の世界では習得までにかなり時間がかかったのだが、今回は早かった。どうやら前の世界で7種類の言語を習得したという経験が役に立ったらしい。

「それで、まだ俺はレベルを上げに行っちゃだめなのか?」

「もうあと何日かで王都から魔眼が届きます。その馬車に乗って王都に向かいましょう。それまで待っていてください」

 アンは心配性だ。俺が言葉を習得していない時にこっそり外に出ようとしたのだが、使用人たちにすぐ捕まってしまったのだ。だからこうして言葉の習得を優先して説得しようとしたのだが、いまだに渋られている。

「すぐそこに魔物のいる森があるじゃないか」

「以前説明したように、この近辺の森には、王都の近くよりも強力な魔物が生息しています。黒龍の封印の影響で森の外に出られないというだけで、私たちを一瞬で滅ぼす力があるそうですよ?」

 そんなに強いのか。

「ちなみに、その魔物のレベルっていくつくらいだかわかる?」

「一般的な人でいう、Lv.100相当の強さだと言われています」

 まじか、結構強いな。

「ですが、この国最強の戦姫様はわずかLv.50の時に倒してしまったそうです。戦い方次第、といったところではないでしょうか」

 戦姫ねぇ。女性なのに強いのは前の世界もこの世界も同じなのだろうか。

 俺は女性しかいなかった元パーティーメンバーに思いを馳せる。

………………肩身がせまかったなぁ。

「でも俺はそれ以上の強さだぞ」

「それでもだめです」

 だめかぁ。

 俺は仰向けに転がり、逆さまに映ったアンの顔を見る。うつむいて机の上を見ているその表情は曇っていた。

「はぁ………」

 眼帯に覆われている右目のくぼみを撫で、ため息をつく。

「…………人を騙すなら、もう少し表情をどうにかしたほうがいいと思うぞ」

「っ!?」

 ここの本を読んでこの世界の歴史を少しだけ知ることができた。その本によれば、亜人という種族はこの世界の中で唯一魔王に与していた種族らしい。そのせいで500年前から迫害され、奴隷同然の扱いを受けていたそうだ。勇者たちからの猛反対を受けて亜人による迫害はもうなくなったらしいが、それも最近の話でつい3年前のことらしい。俺が亜人だったにもかかわらず、監獄で好待遇を受けていたのはそういう背景があったからのようだ。裏切り者のいた教会ではいまだに亜人の存在を認めていないことや、俺の召喚された王都の近辺でしか迫害の解消がされていないなど問題はかなり残っているが、迫害されていたころよりも今の状況は良いほうだと言える。幼女神(黒)の言っていた迫害された力ある者たちというのは恐らく亜人のことだろう。この歴史は裏切り者が捻じ曲げたに違いない。

 そして、俺はメアリーが亜人だったということを解析魔法で知っている。

 人間であるアンと亜人であるメアリーは過去にその迫害による何かが起きていたのだろう。アンはこのことに負い目を感じていて______

「別に言わなくてもいいが、そんなに辛そうにしていたらな。流石にもう騙されたふりもできないぞ」

「…………」

「よっと」

 俺はネックスプリング(仰向けから飛び起きるあれ)で立ち上がると、窓の外を眺めた。そこから見えるのは、かなり離れているはずのここからでも見える森に囲まれた大きな建物。この領には魔王の遺骸が封印されていて、あの建物の中に封印されているというのをここの本から知った。死んだあとでも封印されているのだ。よほど強い魔王だったに違いない。俺はすでに魔王が倒されていることを知り、希望を見出す。

前の世界と違って、戦っているのは俺だけなのではないと。俺しか戦えないわけではないのだと。

「「…………」」

沈黙が気まずすぎてつい、たそがれてしまったが、背を向けていてもアンの暗い雰囲気が伝わってきてなおさら気まずい。振り返ることができなくなってしまった。

だがここは、いくつものピンチを乗り越えてきた勇者ミサキ様の頭脳。対処法くらい簡単に思いつくのだ。あくびをして眠気をアピールし、眠いから明日にでも聞かせてほしいと俺は自室へと向かう。俺はこの状況から抜け出し、アンは考える時間を増やせるといった死角のない完璧な作戦である。

 そして俺があくびをしようとした瞬間、予想外の事態が起きる。

「私は、メアリーを裏切ってしまったのです」

「ふわぇぇ???」

 アンが話し始めたのだ。

 まさか今話すとは思っていなかった。どうやら俺の揺さぶりがかなり効いていたらしく、精神的に追い詰められてしまったらしい。あくびのような情けない声を出したまま固まっている俺を差し置いて、アンは話をつづけてしまう。

「10年前、私とメアリーは種族の壁を越えた親友だったのです」

 彼女の声は小さかったが、その言葉はだけはやけに大きく聞こえた。

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