牢獄にて
まずい、非常にまずい………。
俺は牢屋の隅で膝を抱えながら心の中で焦っていた。
何がまずいのかといっても、今俺が牢屋に放り込まれてからすでに3日が経っていることや、脱走を防ぐためにレベルを1にされてスキルをすべて失ったことでもなければ、右目の魔眼をくり抜かれてしまったことでもない。この程度のピンチなど、前の世界で裏切られ一人で戦ってきた俺にとって日常茶飯事だった。
それなら、何が非常にまずいことなのかというと______
記憶が無いことなのだ。
このまま牢屋にいても何もすることがないため、いつものように(・・・・・・・)状況を整理しようと考え事をしていたら、記憶が無いことに気が付いた。神話再臨(イミテーション・ゴッズ)は古い記憶から消えていくため前の世界のことは全て覚えているのだが、地球で生まれ育った記憶がすっぽりと抜けている。記憶が無いと言っても、俺がそこで何をしていたのかを忘れているだけであって知識はある。つまり、思い出をなくしてしまったようなものだ。
俺が今焦っているのは記憶が無くなってしまったことではなく、神話再臨(イミテーション・ゴッズ)がこんなにも記憶を代償にすると思わなかったからだ。神話再臨(イミテーション・ゴッズ)は記憶がなければ使うことができない。つまり、俺が生きてきた時間の半分を失ってしまったという状況は、この先神話再臨(イミテーション・ゴッズ)を使うことに慎重にならざるを得ないということになる。連続使用が原因なのか魔王の命と俺の命では釣り合わなかったことが原因なのかはわからないが、これから神話再臨を使うかどうか選択を迫られてしまうだろう。そのことに俺は焦りを覚えているのだ。
幼女神(黒)が言うには最初の一体を倒せばレベルが上がるらしいので、一度だけ使えば何とかなるのだろうが、今の状況、特に前の世界のように波乱万丈奇々怪々な生活を送らなければならないことを鑑みてなんとなくその一度だけでは済まない気がする。
だが、この体は前の体より、レベルが1と同じ条件なのにもかかわらずそれなりに多い魔力を持っていた。これならばレベルが低くても神話再臨を使えるだろうし、レベルをもっと上げれば連続して使えるかもしれない。そうすれば魔王を倒すのもかなり楽になってくるだろう。運がいいのか悪いのかよくわからないが、この点だけは今のところ希望と言える。
だが、女になってしまったのはさすがによくない。俺だって男としていろいろ楽しみたかったし、前の世界では殺伐としすぎていてそういうことに全く恵まれなかった。
この体は相当な美しさを持っているが、いかんせん神にも通じる美しさだ。人としての美しさというわけではなく、芸術品のようなものなのだろう。性欲の対象にならなそうで安心したのだが、右目を失ってもなお曇ることのない美しさは人の目を惹きつけるらしく、俺の見張りについている騎士がずっとこちらを見てくる。それだけならいいのだが、こちらを舐めまわすような視線は少し熱っぽい。魔王より恐怖を感じるのは気のせいだろうか。なんかぞわぞわする。
「はぁ………」
俺は顔の右側を覆う布を撫でながら、今日何度目かわからないため息をついた。
そんな姿も様になっているのか、騎士の視線がさらに熱を帯びる。心なしか少しずつ距離が狭まってきているのを感じ、牢屋の隅に避難していた体をさらに縮こませる。
見張りをしている騎士は女性のはずなのに、なぜこんなことをしなければならないのか。この体の魅力は性別を凌駕するのか同性のほうが一線を越えやすいのかわからないが、いまにも襲われそうだ。
今夜は俺を(悪夢にうなされて)寝かさないつもりなのか。
早くこの地獄から抜け出してこの世界のことやら魔王のことやら色々と知りたいのだが、そのためにはこの世界の言語を学ぶ必要がある。しかしこの場所を穏便に出るのに会話が必要。そして、騎士たちの反応を見るに俺は重い罪に問われてはいないようで、割と早くここから出られるようだった。だがここから出たとしてもメアリーに口止めとして殺されてしまうかもしれない。
出ようとしているのに出られない。出られるのに出たくない。この状況を俺にどうしろと?
ただでさえ神話再臨のことで頭がいっぱいなのに。極度のストレスで髪が白くなってしまうかもしれない。あっ、俺元から白かったわ。
「…………」
今感じた寒気は見張りの騎士の視線によるものか、それとも………。
早くも牢獄生活に限界を感じたとき、見張りの騎士のいる部屋から扉の開く音が聞こえた。昼食を届けに来たのだろうか。それにしてはいつもより時間が早い気がする。
まあ早くても何も問題はない。この世界の食の水準はかなり高いようで、前の世界と比べ物にならないぐらいおいしい。全く誰だよ、刑務所の飯はまずいって言ったやつ。異世界に来るまでそれが嘘だって気が付かなかったぞ。
俺が昼食を楽しみに待っていると、複数の騎士たちにつれられた金髪の少女が牢屋の前に来た。
豪華というほどではないが高そうなドレス、そしてどこか気品にあふれた立ち振る舞い。お偉いさんの娘って感じのする少女だ。
彼女の手元を見ても昼食の乗ったプレートを持っていない。どうやら昼食を運びに来たわけではないらしく、なぜか泣きそうな表情をしていた。そうか、昼食を持ってきてくれたわけではないのか。すごく楽しみにしていたのに。
俺が同じく泣きそうな表情で彼女のことを見ると、震えた声で話しかけられる。何を言っているのか全く分からないが、どうやらメアリーの知り合いらしい。彼女は俺の返答を待つこともなく、騎士に頼んで牢屋のカギを開けてもらっていた。
カギが開けられた途端、彼女は俺に抱き着き号泣してしまった。後ろにいる騎士たちも涙ぐんでいることから、感動の再会的な奴らしい。いきなりの抱擁に思わず抱き返してしまったが、この状況が全く理解できない。俺だけが取り残されてしまっていた。
この少女が俺を迎えに来てくれたのでは!?
そう期待するも今の俺はミサキであり、入れ替わっていることがばれたらどうなるか全く分からない。最悪ここから出られないなんてこともありうる。
泣きながら話しかけてくる少女の腕の中で俺があたふたしていると、少女は俺の手を引いて牢屋の外へ向かっていった。
え?俺出ていいの?
俺が少女につれられて牢屋を出ても騎士たちはにこにこしながら見送っているだけだった。むしろ祝福されている気がする。
隣をすれ違うたび、一言ずつ言葉を投げかけてくる顔見知りの騎士たち。食事のパンを内緒で1つ増やしてくれた人、こっそりお菓子をくれた人、見張りの女騎士…………って抱き着いてこようとするなっっ!!
騎士たちの温かい見送りに、なんとなくうなずき返したり抱き着いてくるのを回避したりしながら出口へと向かっていく。
こうして俺はこの牢獄からあっさり抜け出すことができたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます