第7話 黄瀬蓮凪・1-2




 橙色の西日差し込む教室は、打って変わりひっそり静まり返っている。

 大半の生徒が絶賛部活動に参加中だ。校庭では野球部が汗を垂らしながら白球を追いかけている。音楽室からは吹奏楽部が気の抜けたような音色を響かせている。その他、サッカー部やバスケットボール部、テニス部や卓球部など以下省略。みんなそれぞれ青春を謳歌している。

 一方の私はというと、いずれにも参加しない帰宅部だ。貧相な体では運動部のハードな練習に耐えられない。かといって、文化部に入ろうとしても選択肢はたったの二つだけ。先述の吹奏楽部と美術部のみだ。しかも、そのどちらも用具の購入が必須。残念ながら、我が家にそんな資金はない。なので、放課後は教室か図書室で読書にふけるか、さっさと家路につくほかなかった。

 一人孤独で静かな時間。

 しかし、今日はちょっと事情が違う。

 何故か朝音ちゃんも居残っているのだ。緩い癖のついた黒髪を揺らめかせ、じっと黙りこくっている。

 視線を感じて振り返るも、すぐに顔を伏せられてしまう。読書に戻るとまた見つめてくる。その繰り返しだ。ずっといたちごっこを続けている。

 座りが悪い。

 沈黙に耐え切れない。

 そっと本を閉じると、私は席に着いたまま口火を切る。


「とも……じゃなくて、鷹居さん。確か、美術部だったよね。部活は行かなくていいの?」

「それはその、大丈夫、です。あたしの居場所、元々ないんで」

「……そっか、うん」


 会話終了。

 それからすぐ、沈黙の時間が再び訪れる。

 気まずい空気がじわりじわり、空隙くうげきだらけの教室を満たしていく。

 生来、私は陰気な性格で、おしゃべりは苦手な部類に入る。ましてや、初対面と大差ない相手なんて、何を話せばいいのか困ってしまう。天気の話題くらいしかない。話題の引き出しは空っぽだった。

 金属バットの甲高かんだかい打撃音。走り込みをする生徒達の掛け声。静かな教室に部活動の音色が染み込んでいく。

 それから、たっぷり十五分ほど経過した頃合いだった。

 朝音ちゃんがそっと席を立つ。さすがにもう帰るのか、と思ったがその予想は外れらしい。真っ直ぐ私の席に歩み寄ってくる。


「あの、その。ありがとう、黄瀬きせさん」


 眼前の朝音ちゃんは、ぺこりと控えめにお辞儀をする。


「え、急にどうしたの」

「だって、あたしの味方になってくれたから」

「ああ、休み時間のこと」


 まさか、ずっと感謝を述べる機会を伺っていたのか。まぁ、言いづらい気持ちは分かるけど。見知らぬ人に声をかけるのって勇気がいるよね。心の中で何度も頷いてしまう。


「どうして助けてくれたんですか?」

「それは、まぁ。、かな」


 かつて私も、彼女と似たような立場にいた。

 だから助けたくなった。理由としてはそんなところだ。

 でも実際は、悩みに悩んでようやく動き出しただけの臆病者。褒められ感謝されても、後ろめたくて悶々もんもんとする。むしろ、見て見ぬ振りをしてきた共犯者だろう。罪悪感から逃げようとした偽善者と言えるかもしれない。

 それに、自分の過去、そして現在の裏の顔を知られたくなかった。なので、語尾をにごらせて口をつぐんでしまう。

 実に姑息こそく誤魔化ごまかしだ。

 案の定、秘密はすぐに露見してしまう。


 翌日。

 女子グループの悪意は、朝音ちゃんだけでなく私にも向けられていた。いじめに割り込んだのが彼女達の逆鱗に触れたらしい。理不尽だけれど想定通りの展開だ。全ては歯向かった自分が悪い。

 しかし、想定外だったのは、その攻撃方法だった。


「黄瀬蓮凪はすなだっけ、あんた。ちょっと顔貸しなよ」


 給食後の昼休み。

 有無を言わさぬ呼び出しに従い階段の踊り場へ。ついでとばかりに朝音ちゃんも連行されていた。

 人目がなくなった途端に牙をく。

 リーダー格の女子が胸倉を掴んできた。新品のセーラー服に深くしわが刻みこまれていく。


「昨日は随分と調子こいてくれたじゃん」

「私は、別にそんなつもりじゃ。ただ、朝音ちゃんとお話がしたかっただけです」

「うちらが楽しくやってるところに割り込んできたじゃん。その辺について謝罪はない訳?」

「楽しくって。勝手に絵を破いて、お金をむしろうとして。そんなの絶対おかしいよ」

「人聞き悪いこと言わないでほしいんだけど。何それ、自分が一番正しいと思っているかんじなの。ねぇ?」


 正義の味方を気取るつもりはないけど、善悪で語るのなら、いじめは絶対悪のはずだ。どんなに私を責めてもその事実は揺るがないだろう。

 とはいえ、これ以上正論を語ったところで、待っているのは鉄拳制裁だ。

 さて、どうやってやり過ごそう。

 このまま昼休み終了まで持ちこたえるのは難しい。多勢に無勢、力では敵わないだろう。かといって、言葉の応酬だけで済むとも思えない。矛先が朝音ちゃんに移る可能性だって大いにある。

 八方塞がりだ。嵐が過ぎるのを待つしかないのか。

 なんて考えあぐねていると、リーダー格の女子がしびれを切らしたようで、


「どうせ、気持ち悪い宗教の教えでやってるだけでしょ。神様の言うことが全てですぅ~……ってかんじぃ?」


 嘲笑ちょうしょう混じりに言い放った。

 ずきり、と。

 胸の内に氷柱つららが突き刺さったような痛みが走る。

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