第6話 黄瀬蓮凪・1-1


 窓の向こう、校庭の桜並木は鮮やかな新緑を揺らしている。

 教室はそこここで賑々にぎにぎしい。入学式から一ヶ月たち、クラスメイトはそれぞれ友達グループを作っている。同じ小学校から進学した者同士、あるいは部活や趣味の仲間繋がり。大型連休明けの土産話に花を咲かせている。

 観光地で旅を満喫したとか。誰それのライブで盛り上がったとか。笑い声の喧騒けんそうが鼓膜をびりびり痛めつけてくる。

 どれもこれも、私とは関わりのない話ばかりだ。

 窓際の席で一人じっと耐える休み時間。ぱっつん前髪と借りた本で顔を隠し、背景に同化しようと息をひそめる。

 目立ちたくない。何事もなく過ごしたい。

 早く昼休みにならないかな。

 静かな図書室へ逃げ込みたくて仕方なかった。


「うわ。コイツまーたキモい絵ぇ描いてンじゃーん」

「えぇ、何コレ。男同士でエロいことしてるとこ? マジで変態かよ、気持ちわりぃ」

「そんなだから友達が一人もできないんでちゅよー?」


 耳障りな騒音に混じり、一層不愉快な言葉が鼓膜を突き刺してきた。

 声の主は、クラスでも札付きの女子グループ御一行だ。授業中の私語は標準装備で、時には教師相手にも噛みつく問題児集団。私とは違う学区出身だけど、その悪名は入学当初より耳に届いていた。

 絶対に関わりたくないタイプだ。

 そんな凶暴無比な猛獣に襲われているのは、これまた別学区出身のクラスメイト。名前は確か――そう、鷹居たかい朝音ともねさんだ。どのグループにも所属していない孤独な女の子。まぁ、私も同類だからとやかく言えないけど。えて違いを挙げるなら、現在進行形でいじめの標的にされているか否かだろう。

 最も弱い立場にいる者が貧乏くじを引かされる。

 それは小学校でも中学校でも、どこであっても変わらない事実みたいだ。


「や、やめてくださ……い」

「はぁ? 声が小さくて、何言ってンのか聞ぃこえーませーん」

「あの、だから……その」


 朝音ちゃんは抵抗を試みているけれど、いじめっ子に気圧けおされてすぐ押し黙ってしまう。ついこの間までの自分を見ているようで、胸の奥がチクチク痛んでしまう。

 他のクラスメイトは案の定見て見ぬ振りだ。

 あの女子グループに関わったら最後、今後の学校生活に支障をきたす。だから触らぬ神に祟りなし。朝音ちゃん一人を生贄いけにえに差し出せば問題なし。万事解決万々歳という訳だ。

 みんな談笑しつつ、遠巻きにいじめの様子を伺っている。

 誰もが他人事ひとごとだ。

 なんて、私自身批判する資格はないだろう。自分だって席にずっと座ったまま微動だにしない。「助けないと」と思っているだけでは無意味だ。行動に移さないと。でも、恐ろしくて動けない。頭から指の先まで怖気おぞけに侵され震えている。

 、二度とごめんだった。


「え、何々。このキモい絵ぇ、いらないから捨ててほしいって?」

「そ、そんなこと言ってな……」

「だよねー。気の迷いで描いちゃったんだもんねー。もう、仕方ないなぁ。私達が代わりにポイしてあげるから感謝しなよ」


 リーダー格の女子が身勝手な代弁をしている。

 おびえる朝音ちゃんは抵抗虚しく、ノートは無理矢理奪われていく。取り返そうと伸びる手が空を切る。「あっ」と彼女が声を上げた時にはもう遅かった。背の部分を一裂き。ノートは紙吹雪と化す。ぱらぱら、ぱらぱら。舞い落ちた一枚一枚が、いじめっ子の上靴で無残に踏みにじられていく。


「はい、これでよしっと。あ、そうそう。当然だけど、ちゃあんと処分料払ってもらうから。つー訳で一万円ね」

「ゴミ処理だって無料タダじゃないもん。当然じゃんね」

「明日までに持ってこいよー」


 しかも、ついでのようにカツアゲまで始めている。

 もはやいじめなんて生易しい言葉を使っちゃいけない。器物破損に恐喝行為。立派な犯罪だし、学校の外でやれば確実に警察沙汰ざただ。

 それでも、誰一人とがめようとしない。担任教師も帰ってくる気配がない。といっても、根本的な解決は望めないだろう。朝音ちゃんは孤立無援、丸腰で敵地のど真ん中に放り出されている。

 もう、我慢の限界だった。

 私が助けないでどうする。勇気を振り絞るんだ。

 深呼吸。溜め込んだ息を一気に吐き出すと、机の天板を思い切り叩いて立ち上がる。バンッと、想像以上に大きな音が響き渡る。両のてのひらがじんじんと痛む。クラスメイトの視線が一斉に向けられる。注目の的だ。それでもひるんでいられない。

 再び深呼吸をして、悪意の渦中へと飛び込む。


「朝音ちゃん、絵を見せてほしいんだけど。いいかな?」


 周囲のどよめきを無視し、床に散らばった紙を拾い上げていく。

 突然の展開に、朝音ちゃんはぽかんと口を開けたまま呆然としている。女子グループ御一行も、他のクラスメイトも同じだ。教室の置物同然だった生徒が突如動き始めた。それだけでもびっくり仰天ものだろう。加えて、いじめの現場にノーを突きつけたとなれば尚更だ。

 私自身、驚いている。波風立てないよう過ごしてきたのに。まさか、後先考えない行動に出てしまうとは。

 あり得ない。大失態だ。猛省しないと。

 でも、黙って知らんぷりをするより、ずっといいはずだ。

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