第8話 黄瀬蓮凪・1-3


「同じクラスだった連中から聞いたよ。あんたの家ってさ、変な宗教にハマっててガチヤバなんだって?」

「それは、その」

洒落しゃれにならんレベルでキモいんだってね。クラスメイトの親にまで勧めるとか、迷惑とかそーいう次元じゃないし。あーあ。きっと自分達が絶対に正しいって思い込んでいるんだね。怖いを通り越してマジ救えないわ」

「でも私は」

「だから黄瀬もぉ、神様に誓って清く正しく生きましゅ~、とかイカレたこと考えてンでしょ。あー、寒気がする」


 違う、そんなつもりじゃない。

 教義のためでも、神様のためでもないのに。

 自分の意志で決めたんだ。

 それなのに、否定できない。

 だって、本当だから。

 お父さんとお母さんが、変な宗教――“地球ほし神命会しんめいかい”の一員なのは、紛れもない事実なんだから。

 その娘とくれば、同じ穴のむじなと疑われても仕方ないだろう。


 何も言い返せないまま、血が出そうなほどくちびるを噛み締めるだけ。鉄の味がじわりと口内に拡がっては溶けていく。涙の代わりとばかりに止めどなく溢れている。

 ふと隣を見遣みやると、朝音ちゃんのひんやり固まった顔があった。驚いている、ううん、きっと押し寄せる不快感におののいているんだ。

 当然の反応だよね。誰だってそうなるに決まっている。

 張りぼての滅私奉公めっしぼうこうで外堀を埋めて、断るという選択肢を封じて引きずり込む。怪しい宗教にありがちな手法だ。疑うなって言う方が無理な話だろう。

 だから、知られたくなかったのに。

 でも、人の口に戸は立てられない。この土地にいる限り、悪い噂はいつまでもついて回る。たとえ知り合いのいない都会に出たとしても、不気味な宗教一家の娘という事実に変わりはない。

 逃げ場なんてどこにもないんだ。





 放課後。

 橙色の教室に、私と朝音ちゃんの二人だけ。

 お互い席に着いたまま、じっと黙り続けて三十分。クラスメイトでも関係希薄な者同士。ついでに秘密が暴露されたばかりだ。弁解するべきだろうか。でも、きっかけが掴めない。

 昨日以上に重苦しい空気が幅を利かせている。

 このまま何も言わず帰ってしまおうか。なんて無責任な気分になった時、朝音ちゃんが消え入りそうな声で問いかけてきた。


「ねぇ、あの話って、本当なの?」


 何のこと、と聞き返すまでもない。

 我が家が気持ち悪い宗教にハマっている件についてだ。


「うん、まぁ、本当かな。おおむねそんなかんじだよ」


 誤魔化ごまかせやしない。ちょっと聞き込みをすれば、嫌と言うほど証言が出てくるだろう。むしろ、一ヶ月間露見しなかったのが奇跡だ。平穏無事に過ごせる貴重な時間だった。


「でもね、私は信じていないの。お父さんとお母さんが熱心なのも、正直どうかと思っているし。だから、朝音ちゃんを助けたのは、教義とか神様のためとか、そういうのとは全然関係ないから。安心してほしいの」


 紛れもない本心だ。

 なのに、言い訳するほど嘘臭くなってしまう。何を言ったのかより、誰が言ったのかが大事な世の中だ。その意味では、私の言葉は信じるに値しない。荒唐無稽こうとうむけいな宗教を信じる一家の娘なんだから。門前払いでも不思議じゃない。

 ずっとそうだった。

 物心ついた頃から“地球の神命会”ありきの人生。自分で選んだ道じゃないのに、勝手に試練を背負わされてきた。重みで押し潰されてしまいそうだ。

 何もかも投げ出せたら、どれだけ楽になるだろう。

 でも、お父さんとお母さんを見捨てられない。“地球の神命会”を抜けると言えば悲しむのは目に見えている。それに、“信徒ダズ”仲間から後ろ指を指されるのも確実だ。悩みの種ではあるけれど、そんな冷血な判断はできなかった。

 だから、こうして板挟みだ。

 嫌だと思っているけど逃げられない。

 中途半端な体たらくで自己嫌悪に陥っていると、


「あたしのことなんてどうでもいいよ!」


 金切り声が木霊こだました。

 普段叫ぶ機会がないせいか、声が盛大に裏返っている。鼓膜を震わす甲高かんだかさに呆然としていると、朝音ちゃんはずんずん詰め寄ってきた。

 何、何、何!?

 突然どうしたのだろう。気に障ることを言っちゃったか。それとも、言い訳したのが悪かったか。心当たりがあるような、ないような。パニックで思考が追い付かない。

 机の天板が叩かれて、びくりと大きく体が跳ねる。どうしていいか分からず、全身が石像みたいに動かない。なのに両目は右往左往、忙しなく泳ぎ回ってしまう。平常心とは対極に位置している。とりあえず、念のため防御姿勢を取る。経験則だ。こういう時は、有事に備えておいた方がいい。

 しかし、危機は訪れず。

 中空で構える私の両手に、小さな掌が重ねられる。


「えっと、これはどういう……」


 頭上に浮かぶ疑問符。

 絡む指の意味を図りかねていると、


「黄瀬さんの方が、よっぽど大変じゃないですか。あたしなんかより、ずっと」


 朝音ちゃんの目尻から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「べ、別にそんなこと。もう慣れちゃったから」

「でもそれって、小学校の頃からずっと、辛い目に遭ってきたってことでしょ。しかも、黄瀬さん自身の問題じゃないのに」


 まさか、怒りでも蔑みでもなく、純粋な思い遣りが向けられるなんて。


「助けてもらって嬉しかった。だから、今度はあたしが助ける番」


 彼女になら。

 朝音ちゃんになら、全てを打ち明けていいかもしれない。


「……それなら、聞いてくれるかな」


 包み込んできた手を握り返す。

 あべこべだ。昨日の今日で立場が真逆になるなんて。

 せきを切ったように、これまで溜め込み続けたものを吐露していく。

 訥々とつとつと語るのは自身の半生。

 面白味に欠ける、荒涼とした歴史だった。

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