第3話 古海栄徳・1-2


 店内には俺と久谷の二人だけ。吐き気がするほど居心地が悪い。

 湧き上がる劣等感にさいなまれながら、むっつり黙りこくっていると、


――――この程度の英語ができないとか、社会人として失格じゃないっスか。


 久谷は腕を組み睥睨へいげいすると、勝ち誇ったように鼻で笑った。

 弁解の余地なし。言葉のとげは殺人的だが、ものの見事に事実なのでぐうの音も出ない。


――――マジ無能すぎてイラつくし。生きてる価値ないでしょ?


 そして、とどめの一撃。

 俺は久谷に劣る。相容あいいれぬと嫌う人間と大差で負けているのだ。わずかな自尊心すらも瞬く間に崩れ去っていく。

 生きる価値がない。

 悔しいがその通りなのかもしれない。

 何もせず何も生み出せず。ただ漫然と生きているだけだ。人並みの境界線ラインに達しておらず、かといって突出した技能も才能もない。完全上位互換ならそこかしこにいる。存在意義が無きに等しい。現実は残酷だ。


「もう終わりにしたいな、こんな人生」


 いつも以上に重くなった扉を開け、安住の地に帰還する。築何十年のおんぼろアパートだ。俺の部屋は二階の端に位置する。どんよりとした空気で満ちており、樹洞じゅどうのように狭苦しい。ギリギリ汚部屋ではないが、無駄な物で溢れる室内は見取り図以上に窮屈だ。もっとも、俺以外誰も訪れない場所だ。見栄えを気にする必要はないだろう。

 覚束おぼつかぬ足取りで万年床へと倒れ込む。途端、ほこりほのかな加齢臭が巻き上がった。バターを塗ったトーストみたいに枕が皮脂を吸っている。不快でまゆひそめるも、どうにかしようという意欲は微塵みじんも湧かなかった。

 シャワーを浴びて汗を流さないと。小腹を満たす夜食を作らないと。やるべきことは数あれど、起き上がる気力は残っていない。ただ、普段の癖だろうか。漫然とスマホを取り出していた。

 漆黒の画面が鏡面となり、冴えない俺の顔を映している。ほおはこけて目は落ちくぼみ、まるで己の死に気付かず徘徊はいかいする亡霊のようだ。吹けば消える風前の灯火ともしび。生きながらに死んでいるのかもしれない。


「アニメでも見るか」


 動画サイトを開き、絶賛放送中の作品一覧に目を通す。だが、サムネイル画像を見ても、指先は空を切るばかりで再生しない。三十分弱の時間でも、視聴するのが億劫おっくうに感じてしまう。元より惰性だせいで追っている作品ばかりだ。食指が動かないのも仕方ないだろう。

 おかしな話だ。

 幼少期より漫画やアニメが一番の癒しだった。悪を倒す痛快なヒーロー、遥か宇宙を駆け巡る巨大ロボット。ありもしない空想の世界に思いをせ、辛い現実から目を逸らし続けてきた。それなのに、今では癒しを求めようともしない。美少女が日常を謳歌する漫画も、異世界に転生して大暴れするアニメも。相対的に自身の情けない現状が浮き彫りになり、視聴後は激しい自己嫌悪に陥ってしまう。素直に楽しむ余裕すら失ってしまったのだ。おかげで趣味の時間を浪費する気も起きなくなった。


「……そうだな」


 ふと思い立ち、試しに“自殺”と打ち込み検索してみる。

 ほんの出来心だ。今すぐ死にたいとか、苦しまずにける方法を知りたいとか。具体的な理由はない。ただなんとなく、希死念慮に任せて検索しただけだ。

 すると、『一人で悩まないで』という簡素な文字と、相談先の電話番号が表示される。恐らく“自殺”そのものや死を連想させる単語に反応し、自動的に表示される仕組みなのだろう。テレビ番組でもよく見る光景だ。ウェルテル効果――報道による連鎖的な自殺を恐れ、とってつけたように相談窓口を伝えている。「ちゃんと対策していますよ」と言いたげだ。事務的な対応に腫れ物扱いされているようにも感じてしまう。

 第一、大の男が泣き言を打ち明けて何になる。電話口の相談員も困惑だ。情けないと邪険にされかねない。それこそ生き恥を晒すだけだ。玉の輿のような逆転手段がない以上、弱音を吐いても無意味で無価値。最底辺の人生に変わりはない。


「他に良さげな動画は……ないか」


 スマホの画面にずらりと並ぶサムネイルの大行列。俺の視聴傾向を分析し選出された動画達だ。しかし、そのいずれも再生する気になれない。好きだったはずのコンテンツが無味無臭。感性という名の感覚器官がお陀仏だぶつになっている。

 そんな中、一つの動画が目に留まった。

 白黒カラーの少女が真っ黒な背景にたたずむ一枚絵だ。新手のVTuberだろうか。見知らぬキャラクターだ。しかしそのタイトルは、『縲占?蟾ア邏ケ莉九?題ソキ縺医k譏溘???蟆弱″謇九□繧医?千┌謌ッ譏溘Ν繧・繝ゥ縲』と、文字化けしている。肝心の動画内容は判然としない。

 とはいえ、動画サイトではタイトル詐欺が往々にしてある。視聴者の興味を少しでも引こうと必死なのだ。思わせぶりな表紙には何度も釣られた。おかげで何事にも疑う癖がついた。普段なら歯牙しがにもかけぬ動画だ。しかし、心が満身創痍まんしんそういだったせいか、興味本位で画像をタップしていた。白と黒の陰気な見た目にどこかかれたのかもしれない。

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