第2話 古海栄徳・1-1


 路地を漂う空気は季節外れに生温なまぬるい。

 ぽつぽつ等間隔に並ぶ街灯が弱々しく点滅する。両脇から迫る家屋の影が、疲労困憊こんぱいの背中をチクチク突き刺してくる。気を抜けば行き倒れてしまいそうだ。弱り切った体にむちを打ち、追い立てられるように帰路に就く。

 黄金こがね色の連休が明け、世間では五月病とやらが蔓延まんえんしているらしい。いわく、気分が沈み体調不良に陥りがちとのこと。「憂鬱で意欲が湧かない」とか「仕事も勉強も身が入らない」とか。SNSを覗くと溜息混じりの呟きが散見される。

 それがどうした。

 俺の場合、そんな次元をとうの昔に超えてしまった。生きる意欲が湧かず、人生の全てに身が入らない。致命的な末期症状を迎えている。


「なんで生きているんだろうな」


 ふと、考えてしまう。

 生活のため、身も心もにして働くのが人間だ。時に我が身を省みずに酷使する。では、何のためにそこまでするのだろうか。

 その一、夢を叶えるため。

 ありがちな話だろう。幼き日に思い描いた将来に向けて努力する。美談としては普遍的な部類に入るだろう。だが、俺の場合は皆無。生まれてこの方、夢や理想を抱かぬ無味乾燥な日々。目標が存在しない空虚な人生だ。人として大事な部分が欠落している。目指す道標もなく彷徨さまよう他ない。

 その二、誰かの役に立つため。

 具体的な目標がなくとも、誰かのために生きるのなら評価されるだろう。しかし、尽くす相手がいない。恋人はおろか友達とも無縁の人生。両親すら既に他界している。父は病死、母は自殺だ。親孝行すらできない木偶でくの坊。赤の他人に差し伸べる手なんてあるはずない。

 その三、後先考えず享楽きょうらくに溺れるため。そういう無責任な生き方もあるだろう。だが、俺の矜持きょうじが許さない。というより、既に何かを楽しむ心が死に絶えている。今更無理して好き勝手に生きようとしても体が受け付けない。

 結局のところ、生きる意味が見い出せないのだ。


 いっそのこと、母のように自殺するのも一つの手だろう。

 ロープの輪で首をくくれば、あるいはビルの屋上から飛び降りれば。苦痛は一瞬だ。生き地獄から抜け出して楽になれる。これ以上、社会の荒波に揉まれ傷つかずに済むだろう。

 だが、それでいいのだろうか。

 自ら命を絶ったところで、底辺を這いつくばる男が一人消えただけ。きっとろくな報道もされず忘れ去られてしまう。いや、それならまだマシだ。「自殺するのは心が弱い証拠」とか「負け組なのは自己責任だ」とか。死後も変わらず嘲笑ちょうしょうの対象にされそうだ。

 もしかすると、死ねば異世界に転生できるかもしれない。誰もがうらやむ力を手にして自由気ままにやりたい放題だ。一から人生をやり直せるだろう。なんて、物語みたいに都合よくいくはずがない。転生したところでどうせ同じてつを踏む。駄目人間の腐った魂は死んだところで治らない。生まれ変わっても苦しみが続くだけだ。

 死にたくてたまらない。

 己の証明を何一つ残さず消えてしまいたい。

 これ以上生き恥を晒すくらいなら、自ら幕引きを図るのも悪くないだろう。


「駄目だ、思考が悪い方に入っている」


 かぶりを振って希死念慮きしねんりょを追い出す。

 仕事終わりはいつもこうだ。疲弊により生まれた心の隙間を狙い、死神が我が物顔で居座ろうとする。

 こんな時は、職場のあの子を思い浮かべるに限る。

 塔村とうむらさき。同じコンビニに勤めるアルバイト仲間だ。童顔でふんわりとした雰囲気にいつも癒されている。夢も希望もない世界でも、彼女がいるだけで十分なはずだ。自殺するなんてもったいない。

 二人で仕事に打ち込むかけがえのない時間。その日常を反芻はんすうするだけで隙間が満たされていく、はずだった。それなのに、幸福な記憶の上映会は炎でにじみ消し炭に。打って変わって悪夢の再放送が開始される。


――――古海ふるみさんさぁ、その歳までホント何やってたんスかねぇ。


 頭の中で反響するのは、もう一人の同僚からの叱責だ。

 久谷くたに主水もんど。金髪、三白眼、耳鼻より垂れ下がるピアス。厳つく近寄りがたい相貌そうぼうが脳裏に映し出される。一応同じアルバイトという立場だが、二年先輩にあたる男だ。しかし、歳の差は一回り以上違う。彼は青春真っ盛りの大学生で、一方の俺は今年で三十五歳になる立派なアラフォー。年下からの罵声ばせいは存外こたえるものだ。威圧的な態度に心臓がキリキリと悲鳴を上げる。

 別に「年上だから敬え」と言うつもりはない。俺自身、尊敬されるほどの人間でないのだから当然だ。しかし、限度というものがある。どんな誹謗中傷も甘んじて受け入れられる器じゃない。


 思い返されるのは、つい先ほどの職場での出来事だ。

 レジ打ちをしていると西洋系の外国人がやってきた。何か質問をしているようだったが、機関銃の如き英語は全く聞き取れない。学生時代、リスニングをまともに学ばなかったせいもあるだろう。しかしそれ以上に、コミュニケーション能力ゼロなのが問題だ。手をこまねくばかりで、にっちもさっちもいかなくなった。

 そんなピンチに割り込んできたのが久谷だった。「助かった」という安堵と感謝、「お前に何ができる」という慢侮まんぶ怨嗟えんさ。正反対の感情がない交ぜになる中、久谷は流暢りゅうちょうな英会話を披露してみせた。

 愕然がくぜんとした。

 チャラチャラした大学生と思いきや、語学堪能たんのうで初対面相手に物怖ものおじしない。俺とは大違いだ。優秀なスペックを遺憾なく発揮している。

 外国人の客は対応に満足したらしく、にこやかに去っていった。

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