4話

 あの後、ネットで佐々木茜とその父親である佐々木雄二について調べた。

 まず、佐々木雄二は、事故後に死んでいた。

 僕の妹を吹き飛ばした車は、ガードレールに突っ込み、そのまま転倒。車は火に包まれた。燃えていた車から救急隊に引っ張り出された佐々木雄二はその場で死亡が確認された。

 そして、佐々木茜はどうやらアイドルの候補生だったらしい。いわゆる、ジュニアアイドルというのだろうか。佐々木茜と名前で検索を入れると、今の面影を残した少女が写真の中から自然な笑みを向けてきた。今とは想像できないような可愛らしい衣装を身にまとって。

 当時は子役などもしていたらしい。歌が上手いのも、美しいビジュアルについても納得した。だが、佐々木茜は、父の事故と同じ時期に事務所を退所していた。

 頭の中で、今のボーイッシュな三田茜と、幼い佐々木茜を思い浮かべる。雰囲気変わったなぁ、なんて思っていたら、思考が霧散むさんする。

 「ねむ……」つい、あくびと同時に口からそう漏れた。でも、教室の喧騒に揉み消され、すぐに消えた。

 最近うまく寝付けなくて、ずっと体が重い。寝不足だから、活字にすら集中できず思考に靄がかかっているようだ。ずっと寝ているような感覚すらある。

 それでも、僕は今日も欠かさずに学校に行っている。家にいるのも、落ち着かない。何もしないで天井を眺めていると、それはそれで気が狂いそうになる。

 山井田も、普通に登校していた。彼の喉元には切り傷が残っていた。

 僕が失神するまで殴ったから、あれから教師から何かしらのお咎めがあるのかと覚悟していたが、何もなかった。山井田が僕に先に殴りかかったわけだから、先生にチクるのも面倒に思ったのかもしれない。

 僕も山井田に殴られた顔は最初こそ痛々しく腫れていた。クラスメイトには派手に転んだと説明し、別にみんなもそれを怪しまなかった。僕が骨折してる子に印象があるからかもしれない。ドジっ子ではないのだけど。

 本を開きページの上に視線を彷徨さまよわせていると、三田の顔が視界に入ってきた。眉を顰めた三田が言った。

 「おはよう、一色。目のクマやばいよ」

 「……うん、おはよう、三田。大丈夫だよ」

 「本当に? 怪我は良くなってきたね」

 「うん。まだ痛むけど」

 「そっか、お大事に」

 そう言ってから、三田は席の方に行った。

 最近、三田とはあまり喋っていない。もとより僕らは動画の作成で会っていた。それを保留にしているのだから、仕方がない。

 三田が書いたオリジナル曲のビデオは完成していた。でも、三田にはそれを伝えずに、もう録音してから二ヶ月が経とうとしていた。毎日パソコンを開いては、そのビデオを見る。それは、自分の中で最高傑作と言える出来であるのは間違いないとは思う。何も考えずに、それを見せられればどれだけ良いか。

 三田の席の方を見た。細くて長い背や短い髪の間から覗くピアスを眺めていると、周りの視線が気になって視線を逸らした。思わず、笑える。僕は、こんなに自意識過剰だったけ。

 自分でも、三田と離れようとしているのか分からなかった。今の僕の態度はあまりに中途半端で曖昧だった。前よりは関わる機会は減ったが、それでも前よりは、だ。完全に関係を絶ってはいない。

 それでも、三田の幼少期からのスター性は健在だったということだろう。だから、つい無意識に視線が寄せられてしまう。そう開き直って、三田の髪や肩の線を眺めていた。

 

 授業に集中できるはずもなく、ぼけっとしていたら学校が終わった。

 帰る時に靴箱に泥が詰められているのに気づいた。仕方ないから上履きのまま帰った。もう僕は三田に関わっていないのに、よく懲りないなと思う。

 家に帰り、靴を洗った。革のローファーには泥がベッタリとついていて、磨いてどうにかなるのかは微妙だった。水洗いするのに抵抗はあったけど、そんなこと言ってられなかった。

 靴にドライヤーをして、ベランダに置いておく。部屋に入り、なんとなくパソコンを開き作成した動画を見た。三田の透明感のある声に僕の作った映像が流れる。それからプロのミュージックビデオを見て、比較する。そうすると、自分の作るものの拙さがよくわかる。

 メモ帳を開き改善点を書こうとして、手が止まり呟いた。

 「もう作らないかもしれないから、必要ないか」

 パソコンを閉じた。

 薄暗い部屋には、カーテンの隙間から少しだけ光が入ってくる。三田の撮影も止めているから、食事も作ってもらえない。仕方なくカップ麺ばかり食べている。床に置くタイプのテーブルには昨日食べたカップ麺の残り汁が乾燥して、表面に薄い幕を張っていた。濃い香りがするから、発酵しきる前に捨てようとは思った。

 付箋が沢山ついたメモ帳を眺めながら、そのうちに、僕はゆっくりとまどろみに落ちていった。

 次に目を覚ましたのは、電話の着信音に起こされたからだった。名前の表示は飯田で後で掛け直そうと無視したら、二回かけてきた。僕は起き上がりながら、スマホを耳に当てる。

 「……もしもし。なに飯田」

 『こんばんは、一色。え、寝てた?』

 「うん、まぁ」

 『大丈夫かよ。夏休みボケか?』

 「そうそう、まだ調子治ってない」

 僕は伸びをしながら、ベランダに出た。もう外は真っ暗になっていて、蒸し暑い。部屋との温度差で体が震えた。

 「今日はどうした?」

 『ん? いや、親友の声を聞きたくなったんだよ』

 「なんだよ、それ」

 僕は苦笑した。指先に力が入って、スマホが軋む音がしたから慌てて力を抜いた。

 『一色は、最近はどうだよ?』

 「変わらず、暇でのどかだよ。なんもない田舎だからな」

 『そっか。まぁ、都会も都会で街全体がせわしなくて嫌だけどな』

 「確かに東京はそうだよな。住むならどこが良い?」

 『それこそ、田舎だろ。今お前がいるとことか良いな』

 「そうか? 僕は都会と田舎の中間みたいなところがいいな」

 『不便すぎるのもやだもんなぁ』

 「まぁ、うちの近くはスーパーもファミレスもあるから、あんま不便はないな」

 『まじか。最高じゃん。住むわ』

 電話越しの飯田は、何がツボに入ったのか分からないがケラケラと笑った。猿みたいな引き笑いに僕も釣られて笑ってしまった。

 飯田は『はー、笑った笑った』とひとしきり笑ってから言った。それから、思い出したように言う。

 『そういえば、前言ってた三田ちゃんはどうなったんだ?』

 「あ?」

 『彼女にできたか?』

 「そんなんじゃないって」

 『ええー、夏休みは? 三田ちゃんと遊んだか?』

 「別に遊んではいねぇよ。ちょくちょく会ってはいたけど」

 『会ってたのかよ。ムカつくな』

 「いや、ほら、音楽でね?」

 飯田は思い出したように『あ』と声を出した。

 「どうした?」

 『そういや、三田ちゃん音楽最近出してないね』

 僕は心臓が跳ねるように感じた。

 「……なんだよ、お前ちゃんと確認してたんだ」

 『最初の動画は見せられたからな。それに、お前が作った映像も見たいし。三田ちゃんと、なんかあったのか?』

 「う」と呻き声が出た。なんでこんなに最短距離で核心に迫ってくるのかと思うほど、飯田の勘が良かった。誤魔化すために僕は脳を回転させる。

 「ちょっと僕の制作が止まってて。今はまだ出せないんだ」

 『ふーん。まぁ、そういうこだわりも大事だけど、あんまりこんを詰めすぎるなよ』

 「分かってるよ」

 『それにしても、三田ちゃん歌上手いよな』

 「……まぁ、それはそうだよ」

 『俺も三田ちゃんのファンだから、早く次が見たいわ』

 「まぁ、待っててよ」

 いつも通りの軽い調子で言葉を投げ返した。まぁ、一生待っててもらうことにはなるかもしれないが。

 すると、飯田はゆっくりした調子で『勇。最近、学校楽しいか?』と聞いた。

 普段のちゃらけはない。なんだか優しい響きの飯田の声に驚いた。

 「きも」

 『酷くね?』

 つい本音が出てしまった。本音ついでに、話の内容も忘れた。

 「で、なんだっけ?」

 『本当に失礼だな。まぁいいや。お前が怪我した時、すごい傷ついてたじゃんって話』

 「まぁ、そりゃ、身体中傷だらけだったからな」

 『心の話だよ。分かるだろ、流れ的に』

 僕は小さく笑った。飯田も笑った。

 「それで、僕の心が傷ついてて?」

 『お前が前に作った動画見せてくれた時、凄い嬉しそうだったからさ』

 「ほう」

 『お前が高校は田舎行くって言った時に俺さ、お前が正直このまま消えちまうんじゃないかって思ったんだよ。田舎行ったからって元気になるかなってなっても、ならないだろうなって。でも、お前はそっちに行って夢中になれるもの見つけたんだろ?』

 「まぁ、そうかな?」

 『なんで疑問系。で、このまま、お前は映像系みたいな方の進路に進むのか?』

 「え? いや、まだ考えてないけど」

 『そうなの? まぁ、多分向いてると思うぞ』

 「無責任だな」

 『そうか? まぁ、確かにそうかも』

 そう言って、また引き笑いをする。

 『でも、本当のことだよ。俺はお前の作品が好きだし。お前にはそれが向いてる』

 「なんで向いてると思うんだ?」

 『お前は昔からずっと何かに集中するのが得意だからだよ。野球もすごかったけど、多分ずっと作業するタイプのデスクワークでもお前は凄いと思う』

 「まぁ、確かに」

 確かに原因がなんであれ、僕は何かに長時間集中するのが得意だ。三田の協力をするようになったのも、元はというと三田に、野球をしている時の青い景色を感じたからだった。

 動画編集は、楽しかった。多分、黙々と一人で作業するのが性に合っていたし、将来仕事にできるならしたいくらいだ。

 でも、三田の父の件を知ってから、どうにも作業する気になれなかった。僕にとってあの事故がトラウマであるように、三田だってあの事件にいい印象があるわけがない。僕が三田の近くにいると、いつか三田が勘づくかもしれない。そうなれば、終わりだ。

 もう三田に会わないほうがいいのだと思うと、脳が燃えて、胸が冷えるようだった。ご飯はまともに味がしない。眠ると、悪夢に起こされる。腕に力が入らず頻繁に物がすり抜ける。足元が崩れるような感覚を味わう。それは、まさに……。

 その時、何かが噛み合った。

 「ちょっと、待ってて」

 音をスピーカーにして、スマホを耳から離す。

 どうして、今まで気づかなかったんだろう。

 でも、一度意識すると、そうとしか考えられない。

 部屋に入り本棚から辞書を取り出し、指をわせページに挟み込む。

 辞書では恋を「男女の間で、好きで、会いたい、いつまでもそばにいたいと思う、満たされない気持ちを持つこと」と定義していた。

 「ごめん。切るわ」

 『うん。……え?』

 飯田との通話を切り、すぐに僕は三田に電話をかけた。何コールかしてから、三田は電話に出た。

 『もしもし、どうしたの?』

 三田の涼風のような声が胸に染み込んだ。自分が気持ち悪いくらい、鮮明に三田の短い髪や形の整った目が想起され、部屋の中に三田がいるように感じた。でも、それだけでは切なさが胸に絡みついて離れない。

 「三田。動画できたから、見て欲しくて。あ、でも、そっか。動画はどうしよう。……パソコンから移して、ラインで送るから」

 『お、おう、了解。確認します。ありがとう』

 「こちらこそ、ありがとう」

 三田にそれだけ言ってから、電話を切った。ラインに動画を添付して、メモ帳にさっき考えた改善点を書いていく。少し寝れたからか、頭がスッキリしていた。

 だが、心はスッキリしたどころか、寧ろカオスになっていた。山井田が、僕と三田に離れて欲しい理由も分かった。山井田は幼馴染を守りたいだけなのだろう。僕も、もちろん三田を傷つけたくなんかない。三田が僕と同様にトラウマに苦しむなんて、望まない。けれど、三田から離れたくもない。

 三田は顔が整っていて、涼しさを含んだ声は僕の心を落ち着かせる。この家での短いながらも邪魔されない聖域は、僕の心の拠り所となっていた。

 三田に事実を伝えずに関わり続ける。三田の父が死んでしまったあの事故の被害者は僕の妹だという救われない事実を、隠し通す。そう決めた。

 もし三田が僕の正体に気づいたらショックを受けることになる。その前に僕はいつか三田から離れる。けれど、少しの間だけ三田の近くにいたい。自分のしていることが身勝手でも、周りに拒まれても、彼女の歩む道を見たい。

 三田の善意の協力者という僕の立ち位置から変わらない。それはそれで、思うところはあるが、それで良い。

 水と油。僕と三田は共にはいられず必ず分離する。それでも、仮に共にいられたら。水と油が混ざったら。

 その一瞬、そばにいる事を許されても良いのではないだろうか?

引用……三省堂国語辞典第6版

 

 

 


 

 

 

 

 

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アクア・オーリオ 小谷幸久 @kotanikouki

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