結。あるいは

 時を改めて、日の落ちた青い平野、冒頭。


 匂いに惹かれるまま追った先、一人歩く男を見つけた時、――は迷わなかった。

 

 山中で彼がしていたように、妹がされたように、悟られるより先に男を襲った。


 記憶がないにもかかわらず、ずいぶん簡単だった。

 生まれ落ちた体の使い方がわからないはずもないだろうが、それにしたって、よくもわかるものだ。とはいえ、青年は生来深く考えるのは得意でなかった。肉を食べ終わった骨から後ろに放り捨て、歩いていった。

 

 引き摺る旅人の腕に齧り付いた化け物は、先ほど拾った骨――骨をその頭に被っていた。


 『人を助けた時、牛鬼は身代わりとしてこの世を去る』


 これによって化け物は骨だけを遺してこの世を去った。

 誰が決めたのかは知らないが、普通、こんな呪いに悩まされる牛鬼はいない。

 人の心を持つ牛鬼がいるとするならきっとこれは酷い地獄のような呪いだろうが。


 しかし、化け物は自身の呪いのすべてを知っていたわけではなかった。

 そんな見落とされた呪いの一つが、今この場に青年を白痴の化け物の様相とさせるに至っていた。

 死に際に放たれる毒のような呪いだった。恐らく悪意、悪足掻き、そういった類いの日とならざるものが人を害するためにどこかで誰かが生んだ呪いだった。

 脈々と続いていた呪いを、化け物は知らなかった。


 『牛鬼を殺した者が次の牛鬼になる』


 そんな、呪いを。

 友の血で身を染めた彼は、友の死から半刻も待たず毒の血と呪いに侵され、激痛の中で人としての生を終えた。

 新たに呼吸をし始めた後には、人としての名前も友としての記憶もなく、新たな「牛鬼」としての本能だけで人を襲った。


 人喰いの化け物の人助けは結局、友を殺す呪いとなった。

 人喰いの化け物を人として救ったはずの青年は結局、妹を殺した化け物となりこれからも誰かの大事を喰らう化け物となった。

 

 あの日、助けなければよかった。

 その後悔は今の彼にはない。

 かの青年としての死の間際はどうであったかわからない。

 

 ただ、死の間際に、化け物の血が人の身を蝕み、肉を腐らせ、血を沸騰させ、その記憶さえも焼き去ったのは、もしかすれば友からの人であった彼へのせめてもの手向けだったのかもしれない。

 人ならざる身に人のような心、きっとそれは酷なことだったから。


 そのために、青年であったものがいくら人を殺め、いくら血や涙が流れようが、化け物はどうでもよかった。

 心や情のようなものが生じたところで化け物は化け物で、ただ、化け物は友が好きだっただけだった。

 

 ただ、それだけの話。


 それだけの話は、口無しの牛骨が語ることはなく、それを被った化け物も知ることはなく、これから先、彼に殺される人間にも、彼を殺す人間にも、語られることも知られることもなかった。


 ぼり、と音を立てて、骨を噛み砕いた化け物が地面に残りを捨てた。


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人で無しなりの何か。 冬海 @minminhebi

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