○11表_悪役令嬢はXXXを握りつぶした!
夜の修道院。
自室の扉の向こうで響いた重い音に、シスター・イザベラは慌てて駆け寄った。
「ちょっと、イザベラ!?」
「危ないよぉ!?」
後ろから、同じシスターのリサとローザの悲鳴が聞こえる。
だが、イザベラは構わず扉を開け放つ。
あれは、人が倒れる音だ。
# # # #
数日前、似たような音を聞いたことがある。
この修道院へ来たばかりの夜だ。
イザラは、このスラムの外れに建てられた修道院の一室に通されていた。
「よくいらっしゃいました。
私はこの修道院で司祭をしております、オバラと申します」
「あなたは――いえ、よろしくお願いします。イザベラ、と申します」
オバラ司祭のことは、父から聞かされている。
昔、疫病にかかったところを、公爵家から命を救われたことがあるらしい。
だが、それを表に出すわけにはいかない。
今のイザラは、公爵令嬢のイザラではなく、修道女のイザベラなのだから。
オバラ司祭も、そのつもりなのだろう、わずかに悲痛な顔を見せながらも、後ろにいた修道女へと視線を向けた。
「こちらは、修道院長のマギア」
「マギアです。この修道院でシスターをまとめております。
事情は聞いています。
ですが、我が宗派はどのような方にも、等しく幸福を願い、努力いたします。
きっと、この修道院での生活は、あなたにも大きな糧となるでしょう」
マギアの視線は、どこか固い。
だが、それも仕方がないことだ。
修道院に送られる貴族など、厄災の種でしかない。
受け入れてくれただけでも、感謝すべきなのだ。
「お部屋にご案内します。こちらへ……」
そんな視線を遮るように、オバラ司祭が部屋へと案内を始める。
イザベラもそれについて歩き、これから過ごす部屋へと向かう。
貴族のためにと作られた学園と違い、粗末なつくりの修道院は、夏が終わり冷え始めた空気が外から入ってくるようだった。
これから住む部屋も、学園寮のようにいかないのでしょうね。
ある程度の覚悟と共に案内された部屋は、しかし、きれいに片付けられ、学園寮で使用されていたそれなりに品格のある調度品に、薬学の本や薬剤が並ぶ棚まで設けられた、予想外に豪華な部屋だった。
「こちらが、イザラお嬢様のお部屋になります」
「え、ええ、ありがとう」
戸惑いながらも礼を言うイザラ。
が、オバラ司祭は目に涙をためて続ける。
「必要と思われるものは、公爵家やラバン様の指示で運び込んでおきました。
不都合があればお申し付けください。
決して、貴女は一人ではないのです」
なんだろう、なにかものすごく誤解されている気がする。
「あの、オバラ司祭? 私は決して、一人だとは思っていませんよ?」
確かに、クラウスからは婚約破棄を言い渡され、無実の罪で断罪されかけたが、すでに冤罪だったと誰もが認めている。どちらかというと、一時的に危険な犯罪者から避難している身、といった方が近い。少なくとも、かつて見た「未来」とは大きく境遇が異なる。これだけ立派な部屋を用意してくれたのも、その証拠といえよう。
「お嬢様、ご立派です! それでこそ、誇り高き貴族のご令嬢!」
が、オバラ司祭は涙を流して感動するばかり。
この人、ちょっと忠誠心が高すぎではないかしら?
確かに、イザラの居場所を密告したりすることはないだろうが、それはそれとして別の問題がある気がする。
マギア修道院長が固い視線を送っていたのは、この人が原因なのでは?
しかし、そんなイザベラの内心も知らず、オバラ司祭はどこからか取り出したハンカチ――ポケットのない、引っ張ったら脱げそうなほど粗末な司祭服のどこから取り出したのか、イザラには本当に分からなかった――で涙を拭うと、入ってきた入り口へと向き直り、扉のすぐ上に取り付けられた、紐のついた怪しい木製の箱を指さしながら続けた。
「こちらは防犯装置となっております。
不審な足音が近づいたら、このひもを引っ張ってください。
装置は廊下側につながっておりまして、中の液体が気化し、強力な睡眠ガスとなって侵入者を撃退します」
「……使わないで済むことを祈っています」
祈らなくても、使いませんとも。
だいたい、ドア窓もない扉越しじゃ、不審者かどうかも分からないでしょうに。
そう思った直後、足音が響いた。
こっちに向かってくる。
オバラ司祭は、容赦なくひもを引っ張った。
「オバラ司祭!? シスターだったらどうするのですかっ!?」
「大丈夫ですよ。仮にシスターだとしても、気を失うだけです。
迷ったら、使った方がよいでしょう。せっかく作ったのですから」
いや、大丈夫じゃないと思いますわよ?
というか、明らかにせっかくだから使いたかったというのが本音ですよね!?
心の中で突っ込んでいる間に、重い音が響く。
止める間もなく、オバラ司祭はどこからか取り出した顔全体を覆うマスクにモーニングスターを装備し、素早く扉を開いた。
扉の奥から倒れこんできたのは、言うまでもなく、シスター。
オゥ、と小さく声を上げるオバラ司祭。
無言で顔を覆うイザベラ。
「いやはや。さすがイザラお嬢様。
シスターの行動を予測するとはさすがですな。
しかし、これも貴女の安全を考えれば、やむを得ない措置。
責任をもって、彼女は私が部屋へ送り届けます。
ああ、毒液は明日にも補充しておきますのでご安心ください。
今度、無くなったらすぐ補充できるよう、予備のビンも持ってきましょう」
では、と、さわやかな笑顔を残して去っていくオバラ司祭。
微妙に人のせいにして逃げていくところが腹立たしい。
ああ、変な噂にならなければいいのですけど。
――そう思って数日後が、冒頭である。
噂のせいで、修道院のシスター達の中に溶け込めないイザベラを心配して訪ねてきてくれたリサとローザ。
その前で響いた、重い音。
いけないっ!
ほとんど条件反射で扉を開け放つ。
倒れていたのは、修道院長のマギア。
その先には、マスクをかぶったオバラ司祭。
床には、割れたビンが転がっている。
替えの瓶を持ってきたところを取り落とし、騒ぎを聞きつけたマザー・マギアが犠牲となったのだろう。最悪の展開に、悲鳴を上げそうになるイザベラ。
が、その口を、素早く近づいたオバラ司祭が大きな手でふさいだ。
「失礼。未だガスが充満しています。
私はマスクをしていますから問題ありませんが、念のために呼吸は最小限に――」
しかし、イザベラはそれどころではない。
オバラ司祭の指から、強烈な刺激臭が襲ってきたのだ。
薬学を勉強したイザベラは、この刺激臭が毒液のそれであることを知っている。
ビンを割った際、オバラ司祭の手に付着したのだろう。
崩れ落ちるイザベラ。
無意識に、司祭服につかまる。
布が裂けるような音が、響いた。
「イザベラ待っぎゃぁああ! 全裸!? 筋肉! マスク! へ、へへ変態ッ!」
「イザベラちゃんにぃ! 何してんのぉ!」
「ま、待ちなざアッ――――――!」
同時に、リサの絶叫!
炸裂する、ローザの金的!
悲痛の声を上げたオバラ司祭は、泡を吹きながら、よりにもよって、イザベラの方へと倒れこんだ!
暗くなる視界!
反転する意識!
流れ始める走馬灯!
ああ、そういえば、修道院に飛ばされる前、クラウス様から婚約破棄を言い渡された時も、こんな風に意識が飛びましたね。
あれは薬ではなく、理不尽を前にした精神的なショックのせいでしたが――
意識を失う寸前、脳の最後の抵抗とでもいうのだろうか。
妙に冷静な感想が浮かんでは消えていく。
が、それをさえぎるように、リサとローザの悲鳴が響いた。
「ぎゃーっ! いざ、いざ、いざ、イザベラがッ! 汚されちゃうぅぅうう!?」
「イザベラちゃんっ! 今ぁ! 助けるからねぇえ!」
自分にのしかかる重さが、僅かながら浮かび上がる。
ローザが、小さな体で、オバラ司祭をどかそうとしてくれているのだろう。
ああ、修道院に飛ばされてもなお、こうして手を差し伸べてくれる人がいるというのに、私はまた無力にも倒れ、理不尽を受け入れるしかないのでしょうか。
――それは、よくありませんわね!
貴族として、差し出された庶民の意思に応えなければ!
意地が、イザベラを突き動かす!
決意とともに、引き戻される意識!
決意に手を握りしめ――
なんというか、形容しがたい、軟らかいものを握りつぶすような感覚!
同時、修道院に、喪失の声が響きわたった!
# # # #
「マザー、お手紙ですよぉ? 差出人はぁ、オバラ司祭ですぅ」
「そうですか。ご苦労様です」
数日後。
マザー・マギアは自室で、ローザから手紙を受け取っていた。
封を開けると、リサが後ろから覗き込もうとする。
「そういえば、最近、司祭様って見ませんね。どうされたんですか?」
「しばらく、別のご奉仕をなされているだけです。
あなた方が心配するようなことではありませんよ?」
そんなリサをかわすように、手紙を伏せ、窓の外へと視線を向ける。
そこには、箒を手にするイザベラの姿が。
「ほら、シスター・イザベラは、もう先に初めてますよ?
手紙はもう受け取りましたから、早く仕事に戻りなさい」
「あ、ホントだ。イザベラちゃん、手伝いに行かなきゃぁ!」
「マザー、後で手紙のこと、教えてくださいね!」
パタパタと去っていく二人を見送り、視線を手紙に戻す。
しばらくの黙読の後、マギアはロザリオを取り出すと、祈りをささげた。
「おお、神よ。
大切な人を思うあまり、毒に手を出した彼の罪をお許しください。
そして、彼に変わらぬ慈愛をお与えください。
たとえ、彼の尊厳が、失われたとしても――」
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