●10裏_シスターは悪役令嬢と出会った!
「ねえ、聞いた?
今日、新しいシスターが来るんだって」
シスター・ローザが、同じ修道女のリサからそう話しかけられたのは、朝食の席上、硬いパンを齧っている途中だった。
「むぐぅ? ひってるお?」
「あー、ごめん。 急に話しかけられたの悪かったから、取り敢えず飲み込んで?」
差し出されたヌルい水で、口の中に広がる無味な固形物を流し込むローザ。
「ぷはぁ。知ってるよぉ。
昨日、夜のお祈りの後で、マザー・マギアが言ってたでしょぉ?」
飲み込んでみたものの、舌足らずな声が出た。
朝は弱いのだ。
リサはそんなローザの頬をムニムニして遊びながら、噂好きらしい楽しそうな顔で続ける。
「それがねえ、そのシスター、すごいトコの出身らしいのよ」
「すこいっふぇどうふごいふぉ(すごいって、どうすごいの)?」
「そこまでは知らないけど、きっと、王族の不興を買って修道院送りにされた貴族様とかに違いないわ! 私の第六感がそう言ってるの!」
ああ、こうやって噂は背びれ尾ひれがつくんだな。
そう思っても、口には出さない。
口に出せば「じゃあ、ローザはどう思うの?」「あら、それいいわね! きっとそうだわ! 私の第六感もそう言ってる!」と、背びれ尾ひれがさらに立派になるのが目に見えている。
まだ見ぬシスターに、そんな重荷を背負わせる訳にはいかない。
決して、ほっぺたをムニムニされるのが気持ちいからではなく、これは必死の抵抗なのだ。
そんなローザの小さな抵抗は、やってきた修道院長、マギアによって止められた。
「食事中におしゃべりとは感心しませんね、シスター・リサ」
「あ、マザー、違うんですよ! これはちょっと気になる噂のせいで!」
「口ごたえしない。ローザも、早く食べてしまいなさい」
「はぁい」
一生懸命口を動かして、硬いパンを咀嚼する。
その横で、リサが凄まじい勢いで朝食を片付けた。
「ぶはあ、マザー、今度来るシスターが立派な方ってホントですか?」
「ああもう、この子は……少なくとも、おしゃべりのために朝食を無理やり飲み込むようなはしたない真似をするような子ではありませんよ」
「おお、そんな高度なマナーを守れるなんて、やっぱりすごい方なんですね!
私の第六感は正しかった!」
「シスター・リサ、誰かをすごいと思うのは、成長の余地がある証拠ですよ。追いつけるよう努力をしなさい」
「はーい」
リサの元気な声とマザーのため息を、ローザは朝食と一緒に飲み込んだ。
「マザー、その新しいシスターは、いつ紹介してくれるんですかぁ?」
「この後、朝のお祈りの時です。
お祈りは皆さんと一緒に行いますから、遅れないように。
ローザ、それまでに、顔を洗っておくのですよ」
「はぁい」
気の抜けた返事と一緒に立ち上がる。
後ろからマザーの大きなため息が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
それよりも、朝のお祈りだ。
今日は途中で寝ないで済む気がする。
ローザは足取り軽く、本堂へと向かった。
# # # #
そして、朝の祈りの時間。
新しいシスターに、ローザは見とれていた。
ステンドグラスの光に照らされ、朝の空気に溶け込む修道女。
その姿は、着飾っているわけでもないのに、幼いころパレードで見たお姫様のようで、少女の憧憬をどうしようもなくかきたてた。
「イザベラと申します。
これから、この修道院でお世話になることになりました」
美しい声に、美しい所作。
どこか影のある表情までも、その美を引き立てる。
「それでは朝の祈りを。
シスター・イザベラは――そうですね、ローザの隣でお願いします」
「ふぇ!?」
だから、突然指名された時は、思わず飛び上がってしまった。
ざわめく周囲。
だが、当のイザベラは小さく微笑んだだけで、ゆっくりとローザの隣に座ると、祈りの姿勢を取り始めた。
ローザも慌てて、腰のロザリオを取り出す。
他のシスターたちもそれに倣ったのだろう、あっという間に静かになる。
(はあ、やっぱり、リサちゃんの言うとおり、すごい人っぽいよぉ)
つい、一緒に行動してしまう。
そんなカリスマが、イザベラにはあった。
# # # #
が、ローザがイザベラに触れたのは、その一瞬だけだった。
イザベラはあまりにも模範的な修道女過ぎて、一緒に話すということができなかったのである。
誰よりも早く起きるイザベラ。
誰よりも遅く起きるローザ。
朝食もすぐに済ませるイザベラ。
朝食をだらだらと続けるローザ。
さっそうとお祈りへ向かうイザベラ。
リサに引っ張られながらお祈りへ向かうローザ。
話したくても、話せるわけがない。
「はあ、最初に会った時、もっとお話ししてればよかったなぁ」
「もう、ローザったらそればっかり」
教会の窓を拭きながら、リサがなだめる。
もちろん、この場にイザベラはいない。
さっさと与えられた仕事をこなし、部屋へと戻ってしまった。
「でもさ、イザベラって、ちょっと怪しいよね」
「えぇ? 怪しいって、なにが?」
「ほら、掃除とかミサとかが終わると、さっさと部屋に引きこもっちゃうじゃない?
普段は何してるのかなぁって、みんな噂してたんだけど、そしたら、他のシスターが、夜トイレに行ったら、イザベラの部屋から明かりが見えたって! それで、気になってのぞいてみたら、なんか変な匂いがして、それでくらっとなって、気が付けばベッドで寝てたって!」
「寝ぼけてただけなんじゃないのぉ?」
「いーや、イザベラはやっぱり元貴族で、刺客に追われているに違いないわ!
きっと、部屋に内緒の罠とかがたくさん張ってあるのよ!
私の第六感がそう言ってる!」
「さすがにそれはないと思うよぉ?」
「というわけで! 今日の夜、イザベラの部屋へ突撃しようと思います!」
「えぇ! ちょっと、リサちゃん、マザーに怒られちゃうよぉ」
「ローザは気にならない?」
「ええっと、それはぁ……」
気になる。
それはもうものすごく気になる。
そして、同時にリサの真意に気づいた。
修道院に溶け込めないイザベラを、心配しているのだ。
# # # #
「だからって、私を盾にするのはどうかと思うよぉ?」
「まあ、ほら、私ってヘタレだし?」
夜。
うっすらと蝋燭の明かりがこぼれる部屋の前。
ローザはリサに背中を押されていた。
どうやら、いざドアの前に立つと、怖気づいたらしい。
「自分でヘタレとか言わないでよぉ」
「じゃあ、ほら、えっと、あこがれのお姫様をローザに譲るってことで、お願い!」
まるでマザーのようなため息をついて、ドアに手をかけようとするローザ。
が、その前に、扉が開いた。
出てきたのは、言うまでもなく、イザベラ。
「何か、用事?」
「え? ええっと、イザベラちゃんと、お話ししたいなって、リサちゃんが……」
「ちょぉっと! ローザ、私ヘタレだって言ってるでしょ!」
勢いで正直に話すと、リサが後ろで叫びだす。
イザベラは、初めて会った時のように上品に笑って、
「いいわ、ハーブティがあるの。入って」
部屋の中に、二人を招き入れた。
# # # #
イザベラの部屋は、確かに他の修道女と違っていた。
書棚には見るからに難しい薬学の本がずらりと並び、机の上にはガラス製の奇妙な道具が並んでいる。教会らしいものと言えば、窓際のサイドテーブルに置かれた、一冊の聖書くらいだろうか。
物珍しさのままに眺めていると、来客に使われるような立派なティーカップが差し出された。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
「ど、どうも」
リサと一緒に、何とか受け取る。
そんな様子を見て、イザベラはいたずらっぽく笑った。
「ハーブティには、心を落ち着ける効果があるの。苦手でなければ、飲んでみて」
飲んでみると、すっきりとした香りが広がった。
気が付かないうちに、喉も随分乾いていたらしい。
水分が、身体に染みていくのがはっきりと分かる。
「それで、私と話したいことって?」
「うんとねえ、イザベラちゃんが魔女って、ほんとぉ?」
「ちょ、ちょちょぉおっと、ローザ?」
変に落ち着いたせいで、思わず聞いてしまった。
叫ぶリサ。
イザベラは、相変わらず楽しそうに笑っている。
「どうしてそう思ったの?」
「んーとねぇ、私たちじゃないんだけどぉ、お部屋からお薬のにおいがしてぇ、シスターが倒れたって、リサちゃんが」
「私を盾にするのはどうかと思うよぉおっ!」
完全に普段の調子に戻ったローザに、またも叫ぶリサ。
イザベラは、やはり笑っている。
「ふふ。そうね、魔女じゃないわ。ただ、実家が薬師なの。
今は修道院にお世話になっているけど、実家の手伝いもしたいと思ったから、夜に時間を貰って、調剤の仕事もしてるのよ」
「ふーん、リサちゃんも実家……じゃないけど、近くのお店のお手伝いとかしてるからぁ、一緒だね?」
「ろ、ろろろ、ろーざ? なんでふつうにしゃべれてるの?」
「もー、いつまでもヘタレてたって仕方ないじゃない」
ついに口調まで怪しくなったリサに、本当に楽しそうに笑うイザベラ。
綺麗な人なのに、こんな顔もできるんだ。
ローザが見とれている間も、イザラは上品に会話を続ける。
「でも、シスターが倒れたっていうのは、知らないわ。本当なの?」
「本当なのぉ、リサちゃん?」
「し、知らないわよ! 私だって聞いた話だし!」
「リサちゃん、第六感は?」
「それは、ホントだって言ってるけど……」
「じゃあ、やっぱりぃ、寝ぼけてただけなんだよぉ」
「ちょっとローザ、それ、どういう意味!?」
笑いあう三人。
その時、扉の外で、誰かが倒れる音がした。
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