第15話 大人は余裕があるふりをする
結衣は、その日、少しだけ疲れていた。
前日の出来事が、思った以上に効いている。
結菜の感情は真っ直ぐで、分かりやすくて、
だからこそ受け止める側の体力も必要だった。
放課後、家に直行する気にはなれず、いつもの帰り道を少しだけ外れる。
気づけば、近所の商店街に足が向いていた。
「……あ」
その角を曲がったところで、見覚えのある後ろ姿を見つける。
桐生沙耶だった。
買い物袋を片手に、スマホを見ながら歩いている。
相変わらず、生活感があるのに、
なぜか余裕がある。
「桐生さん」
声をかけると、沙耶はすぐに振り返った。
「結衣」
驚いた様子もなく、自然に名前を呼ぶ。
「やっぱり。なんとなく会いそうな気がしてた」
「それ、勘が良すぎません?」
「長年の経験」
何の経験なのかは聞かないことにする。
「買い物帰りですか」
「うん。結衣は?」
「……帰る途中でした」
正確には、帰る途中で迷子になっていた。
沙耶は結衣の顔をじっと見る。
「少し、疲れてるね」
即座に見抜かれて、結衣は視線を逸らした。
「……そんなに分かりやすいですか」
「分かりやすい」
即答だった。
「よかったら、一緒に少し歩く?」
断りづらい誘い方だった。
「……はい」
並んで歩き出すと、自然と歩調が合う。
急がない速度。結衣が無理をしない速さ。
しばらく、他愛ない話をした。
学校のこと、天気のこと、最近できた店の話。
それだけなのに、胸の奥が少しずつ落ち着いていく。
「昨日、何かあった?」
唐突だけど、核心を突く。
「……ありました」
否定する気はなかった。
「結菜ちゃん、でしょ」
「……なんで分かるんですか」
「分かるよ」
沙耶は前を向いたまま言う。
「一番近い人ほど、感情がぶつかりやすい」
大人の言い方だ、と思う。
「結衣、ちゃんと受け止めた?」
「……多分」
「偉い」
さらっと言われて、少しだけ戸惑う。
「でもさ」
沙耶は続ける。
「受け止めすぎなくていい」
「……それ、どういう意味ですか」
「結衣は、全部自分の責任にしがち」
図星だった。
「相手が感情を出したら、それをどうにかしなきゃって思うでしょ」
結衣は黙る。
「でも、感情を出すのは相手の選択」
「結衣が悪いわけじゃない」
その言葉に、肩の力が抜ける。
「……桐生さんって、ずるいです」
思わずそう言うと、沙耶は小さく笑った。
「よく言われる」
「安心させることばっかり言う」
「それが役目だから」
「誰のですか」
「お姉さんの」
即答だった。
公園の前で、二人は足を止める。
「結衣」
沙耶は、少しだけ真面目な声になる。
「今は、答えを出さなくていい」
「急がなくていい」
「揺れていい」
それは、結衣が一番欲しかった言葉だった。
「……もし」
結衣は迷いながら聞く。
「誰かが、待てなくなったら」
沙耶は、少しだけ考えてから答える。
「その時は、その人の問題」
はっきりしていた。
「結衣が背負う必要はない」
「……大人ですね」
「ふりしてるだけ」
そう言って、沙耶は肩をすくめる。
「大人も、余裕あるように見せてるだけで、内心バタバタしてる」
「じゃあ、桐生さんも?」
「もちろん」
それを聞いて、結衣は少し笑った。
「……なんだか、安心しました」
「それならよかった」
家の前に着く。
「今日は、ありがとうございました」
「どういたしまして」
一歩離れてから、沙耶は振り返る。
「結衣」
「はい」
「無理しそうになったら、逃げていい」
「……逃げ場は?」
「ここ」
自分を指さす。
「ずるくないですか」
「ずるいよ」
あっさり認めた。
「でも、逃げ場があるって思えるだけで、人は楽になる」
結衣は頷いた。
「……覚えておきます」
「それでいい」
沙耶は手を振って去っていく。
玄関の扉を閉めて、結衣は小さく息を吐いた。
今日一日で、何かが解決したわけじゃない。
でも、背負いすぎていたものを、少し下ろせた気がする。
「……お姉さんって、やっぱりずるい」
でも、そのずるさに救われているのも事実だった。
結衣はそう思いながら、部屋の灯りをつけた。
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