第2話
アンジェロさんを見送った後、彼の使ったカップを洗い終えて、店は静かになった。
誰も来ない。いつもこんなものだ。
とりあえず自分用のコーヒーをいれて一息ついた。
カップのなかでかすかにゆれる黒い水面をぼぅっと眺めていると、アンジェロさんに初めて会った日のことを思い出す。
初めてアンジェロさんが店に来たのは、一か月ほど前、まだ春になったばかりの肌寒い日だった。
あの時も、今日と同じようにフードをまぶかに被っていたので、少し怖かったのを覚えている。
「紅茶を一杯もらおう。あと、『占い一回 銅貨一枚』というのは?」
「私の固有魔法で占います。まぁ、簡単なものに限りますし、当たるも八卦、当たらぬも八卦なんですが」
「固有魔法か。珍しいな。ハッケというのは?」
「えーと、要するに、しょせん占いなのだから当たることもあれば当たらないこともあるので、真剣にとらえないでね、という意味でしょうか」
「ふむ……」
「なにか占いたいことはありますか? たとえば明日の天気であったり、恋のゆくえであったり」
そんなやりとりをして、少し悩んだ後に彼が口にしたのは、
「俺の一番好きな食べ物、または飲み物は何か、それを占ってほしい」
「それは、ご自身が一番理解しているのでは? 占いの力が本当なのか試したいのであれば、やってもいいですけど……」
「いや違う。自分でも何が好きなのか本当によくわからないんだ。エルフにありがちなんだが、もともと感情が薄い種族でな。長生きをするとさらにそれが薄まる。食べ物の好みも、人の好き嫌いも、よくわからなくなっていくんだ」
口には出さなかったが、それはひどく悲しい人生だなと思った。それで彼が救われる可能性があるならぜひとも占ってみたいと思えた。
「わかりました。ではこちらの水晶で占います」
私はカウンターの下から、両手で持てるくらいの大きさの水晶玉を取り出した。
自分の魔法についてまだあまり理解していなくて試行錯誤していたとき、まっさきに試したのがこれだった。占い師といえばこれでしょう、ということで。
水晶玉に手をかざして「彼の好きな食べ物、飲み物はなに?」と問いかける。集中していると、その透明な球の中に少しずつ何かの映像が見え始めた。
「なにかの種か、豆のようなものが見えますね。……え? これは……コーヒー豆!?」
水晶の中では目の前の彼が誰かからコーヒー豆らしきものを貰って手のひらにのせていた。
それにしてもコーヒーとは! 私は紅茶よりコーヒー派だったので、この世界に転生してからずっと探していたのだけれど、一度も見かけたことがなかったから諦めていたのに。
「コーヒー豆? 聞いたことがないな」
「黒っぽい、筋の入った豆というか種なんですけど」
「ふむ……いくつかここに出していいか?」
そう言いながら、彼がテーブルの上で手のひらを私に見せた。と、次の瞬間、彼の手のひらから、いくつもの豆や種が、ざばぁ! と、なだれのようにあふれ出した。
「うわぁ! うわわわ。なにやってんですか!」
「すまん、ちょっと出し過ぎた」
カウンターテーブルから零れ落ちそうなほど、大量の黒っぽい種が散らばっている。
二人で協力して一粒ずつ検分しながら聞いたところ、どうやら彼、アンジェロさんはエルフだけが使える植物魔法で、この種を生み出したらしい。過去に触れて特徴を読み取った植物であれば、さきほどのように生成できるらしい。
黒っぽい種というだけでも大量に知っているらしく、全部出そうとしたらこんなことになってしまったそうな。とんでもなく整った顔をしているけれど、以外と天然ボケなのかもしれない。
「あった! これですアンジェロさん」
「なるほど、しかしこれは『炸裂草』の種だな。コーヒー豆という名前ではない」
「あ、名前は私の勘違いですけど、この香りは間違いなくそうです! あれ、でも焙煎もしてないのになんでこんなに良い香りなんだろう」
よく考えるとおかしい。前世でよく目にしていた茶色いコーヒー豆は、コーヒーチェリーと呼ばれるサクランボのような実の中に入っている種子を洗ったり乾燥したり焙煎したりした結果、あの状態になっているはずなのだ。
「この炸裂草の種は、アンジェロさんが焙煎――火であぶったりしたんですか?」
「いいや、俺は何もしていない。ただ、炸裂草の特徴として、その名の通り炸裂するからな、その過程において火であぶったような状態になるのかもしれない」
そう言った彼は「少し危ないか?」と言いながら席を立って、店の中央の広いスペースがある場所へ移動した。その時点で私はほんのり嫌な予感がした。
「あの、アンジェロさん、なにを――」
「炸裂草の種はこんな感じで取れる」
アンジェロさんの手のひらからコーヒー豆ならぬ炸裂草の種が一粒あらわれた。
種が少しふるえたかと思うと、種から一気に芽が生え、太い茎になり、茎の先端から赤くて丸い実がふうせんのように成長し始めた。
赤い実は人の頭ほどのサイズになったと思ったら――いきなり燃え始めた。
「いやいやいやいや、アンジェロさん、あきませんて……」
私の困惑に気づく様子もないアンジェロさんは「来るぞ」とつぶやいた。
そして次の瞬間、パァーン! と爆音を鳴らして赤い実がはじけ、実の中からたくさんの黒い粒が飛び出して、店中に散らばった。幸い火は炸裂する直前で消えていたので火事になる心配はなさそうだ。店内は少し焦げ臭いけれど確実にコーヒーだとわかる香りがただよっている。
「ちょっ、なに、この……なに?」
「これが炸裂草という名前の由来だな。この植物は成長しきった最終段階で、種を周囲にまき散らすために自発的に燃えるんだ。そのせいで種が焙煎されたようになっているのではないか?」
「なるほど」
この後めちゃくちゃ掃除した。
「で、粉にして、お湯で抽出した結果、こちら、コーヒーという飲み物になります」
「ほう。黒いな」
店中に散らばったコーヒー豆をがんばって集めて、がんばって粉状にして、コーヒーもどきを作り上げた私は、アンジェロさんに見せた。
「ただ、味見というか毒見がすんでいないので、飲んでいただくわけにはいきません」
「それなら問題ない。俺に毒は効かない」
「あっ、ちょっと!」
彼はなんのためらいもなくコーヒーを一口飲んでしまった。もう理解した。このエルフ、人の話をぜんぜん聞かない。
「苦いんだな。うまいのかはよくわからない」
「初めて飲むならそうでしょうね」
「だけど、なんだろう、俺はこれが好きかもしれない」
「あっ、いろいろあってすっかり忘れていましたが、あなたの好きなものを占った結果でしたね」
「そうだ。ありがとう。どうやら君の占いの腕は確からしい」
アンジェロさんと交渉して、今後は定期的に一定量のコーヒー豆をこの店におさめてもらうことになった。
交渉中に発覚したのだが、なんとアンジェロさんは黒金級冒険者だった。
この世界には魔物がいる。さすがに街中には入ってこないが、街の外にでると、荒野や森にはわりと魔物が存在する。そんな魔物を狩ったり、薬草などの有益な素材を集めたり、あとは力仕事などの雑用を仕事として請け負うのが冒険者ギルドであり、冒険者という人間たちだ。
冒険者はギルドによって管理されており、請け負える仕事の難易度によって、冒険者はランク付けされる。
ランクは下から鉄級、銅級、銀級、金級、黒金級。
鉄は見習い、銅で一人前、銀で中堅、金は数少ない一流。
そして黒金は例外。常人がたどり着ける領域ではない。
そんな例外的価値をもつ黒金級の冒険者であるアンジェロさんに依頼をするのであれば、本来はとんでもない高額料金を支払わなければならない。
が、今回は彼の判断で「今後、無料でコーヒーを飲ませてくれればそれでいい」と一方的に決められてしまった。やはり人の話を聞かないのだ、彼は。
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