第3話 大仏殿

 タケル達は奈良の変異種が中心拠点としている東大寺にたどりついた。来意を告げ、大仏殿に通される。季節は初夏、晴天の外は暑いくらいの陽気であったが、薄暗い殿内に入るとひんやりとした空気を感じる。お香の匂いに混じって、読経の声が聞こえてくる。

「ここに来るのは小学生の時の修学旅行以来だわ。大仏が無駄にでっかいわね。でも、お寺なんて、たいがい陰気くさい場所なのよね。こんなところでお経を唱えて生活してるなんて、奈良のヤツらとは仲良くなれそうにないわね」

 ヨミが不満げに言う。

「ヨミ、失礼な事を言うなよ。大仏殿は世界最大級の木造建築として国宝にも指定されているんだよ。とても歴史のあるスピリチュアルでありがたい場所なんだ」

 カネオが奈良県民の誇りを持って反論する。


 一行が大仏を見上げながら待っていると、奥から僧衣を来た小柄な人物が現れた。よく見るとその僧は女性で、しかもかなり若いようだ。

「来たか、アマテラス。お前たちの成すべき事について、少しは考えてみたのか?」

 僧衣の人物は、聞き覚えのある声で一行に問いかけた。

「あなたは先ほどお会いしたチャナ様ではありませんか?今はあの可愛いシカさんのお姿ではないのですね」とサクヤが、少し残念そうに言う。

「いかにも、私はチャナ。寺院の中にはシカは立ち入り禁止だ」

「チャナ、君の言っていた融合神の果たすべきことって、大神呪のことなのではないのか?それを使って観音力を得ることが、ぼくたちの最後の目的ってことだろう。その方法を知っているのか?それなら是非とも教えて欲しい」

 カネオが、やや興奮気味に訊ねる。


「そう焦らずともよい。その前に、お前たちは自らの本地を知らねばならない」

「本地?っていったい何の事ですか?」タケルが聞く。

「それは真の姿、本源である。お前たちが合体して現れる神の姿は化身であり、仮の姿、あるいはまやかしである。真の姿を見ない限り、真実の力を得る事はない」

「真の姿?それは何なのですか?」

「天照大神の本地は大日如来である」

「大日如来?仏様の?」タケルは不審げな表情を浮かべる。

「いかにも、国津神、天津神、八百万の神の全ては権現(仮の姿をとって現れたもの)に過ぎぬ、仏こそが本地であることを知らねばならない」

「何いってんのよ、そんなはずないじゃない。日本書紀には天孫降臨が紀元前179万3千年のことだって書いてあるのよ。それで、その前からアマテラスは高天原で一番偉い神様だったわけなの。お釈迦様なんか紀元前600年の生まれだから、こっちの方が古いにきまってるわ。ホント失礼しちゃうわね」

 ヨミは意外と物知りである。

「釈迦が仏を作ったわけではない。仏は宇宙の最初から存在しているのだ。究極の本地は宇宙の真理そのものであるダルマカーヤ(法身)に他ならない」

「宇宙の真理とはいったい?」タケルが尋ねる。

「この世界は空無であるということだ」

「空無?何もないって事ですか?そんな筈はないでしょう。僕たちが生きてここにいるのは疑いのない事実です。全てが無であるなら感覚も意識もないのではありませんか?」

「空無であることは何もないのではない、固有の実体がないことを示している。全ては縁起にもとづく因縁のなかにある。そして因縁は移ろいゆくものである。その事に気づかず、自らに固有の実体があると思っているから執着と煩悩が生まれ、それが世界に苦しみをもたらすのだ。その実相を知り、固有の実体があると思っている執着を捨てることで、この苦に満ちた世界を解脱する事ができるのだ」

「難しいこと言うてはるけど、意味わからんわ。俺らは別に解脱とかしたいわけとちゃうしな」サルタも少なからず困惑しているようだ。


「まあ、よい。時は近づいている。真理はほどなく明らかになるであろう。我の依代は廬舎那仏るしゃなぶつである。すなわち宇宙の実相を示す仏格だ。別名は大日如来。お前たちと同じ仏となる。大日如来には金剛界大日如来と胎蔵界大日如来の二つがある。なぜ二つあるのか、それは智慧と慈悲の現示である。この二つが揃う時、全仏格が発揮され、宇宙の現象全てがそこに示されることになる。金剛界である我らと、胎蔵界であるお前たちが一緒になる時こそが、究極の智慧の完成を示している。大神呪などと言うが、何も秘密はない。そのようなものは最初から分かっているのだ。仏典には1700年以上前から明記されている」

「そうなのか、ぼくたちは救われるのか?全能の神となって永遠の世界に行くことができるのか?」カネオが思わず大きな声で問いかける。

「永遠の世界などない。世界の成り立ち、宇宙の実相がまだわかっておらぬようだな。まあ、よい。大神呪を教えておこう。最終決戦で我と合一するために、この真言を唱えるのだ “ガテ ガテ パラガテ パラサンガテ ボディスバーハ”」

「なにそれ?変な呪文ね。やっぱりあんたたち、ちょっとおかしいんじゃないの?」

「ヨミ、失礼なことを言んじゃない。チャナさんすみません。十分に理解できたわけではありませんが、とにかく力を合わせて努力するようにします」

 タケルがあわててフォローする。チャナはヨミの発言をあまり気にする様子もなく頷いた。バックグランウドに唱えられていた読経は一段落したのか、小休止が入り、りんが打ち鳴らされた。多くの倍音が含まれた涼やかな音色が響きわたる。


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