第2話 後編
……呪い殺した、とは少し違うかのう。
妾は、確かにその許嫁を殺した。この手で、のう。
刀を手に入れるのは一苦労じゃった。その許嫁の行動習慣を徹底的に調べて、其奴が一人になる時間帯を洗った。
そして殺した。
背後から刀で背中を刺して殺した。
……其奴は随分あっさり死におった。何があったか理解できぬといった顔でな。
……死ぬ間際に懺悔してくれたらと思うとったが、あの女は、自分がしたことが悪かったなど微塵も思ってなかったのじゃろうな。
さて、無事に仇を討った妾は何をしたと思う?
「……え?」
急にクイズを出された綾花は面食らった。
少女は、空虚な顔で綾花を見つめていた。
「……証拠隠滅?」
首を傾げてそう問うと少女は皮肉に唇を歪めた。
「妾も、最初はそうするつもりじゃった」
じゃが、と少女は続けた。
「あの女の死体を見た時、ふと思ったんじゃよ」
少女は顔を手で覆った。叫ぶような口調で言う。
「あの女を殺したところで、あの人は帰って来ねぇ!それどころか、妾は、あの人を裏切りんした!あの人が、妾に人殺しを望むわけがのうござりんしたのに、妾は、妾はーー‼︎」
そこで少女は声を落とした。感情が突如抜け落ちたように。
「ーー妾は、取り返しのつかねぇことをしんした。それでも、それでも妾は、あの女を殺したことを後悔したことはありんせん。……やはり妾は、御身に釣り合うような女には、なれのうござりんした」
少女は冷静さを取り戻したようだった。
淡々と言葉を続ける。
「……そう思った妾は、自殺しようとしたのじゃよ」
「……自殺」
重い言葉に綾花は顔を強張らせた。
「あの人のいない世界に生きる意味も見出せぬし、死んだ方が楽だと思ってのう……。ま、あの人が行ったのは極楽、妾が逝くのは地獄じゃからな。死んでもどうせ逢えはせぬが」
自嘲気味に笑って少女は立ち上がった。
カランコロンと下駄を鳴らして、呪いの木の下へと向かう。
「ここは妾があの人と初めて逢った場所でーー妾が首を吊った場所じゃよ」
綾花は思わずガタンと立ち上がった。
この際この少女が幽霊であることは置いておくとしても、人が死んだ場所はあまり気分が良いものじゃない。
「……まぁしかし運命とは不思議なものじゃ。こうして今は刈り取り人をさせられておるし、機会ももらえたわけじゃしな」
少女はそう言って木の幹に触れた。
綾花は眉を顰める。
「……さっきも思ったけれど、『刈り取り人』って一体何なの?」
「聞きたいかえ?」
少女は薄く笑って綾花を見つめた。
「妾はとある御仁と取引をしてのう。666年間、人の願いを叶え続けたら……あの人ともう一度逢わせてやると言われた」
「……人の願いを叶える?」
「そうじゃ。……まぁ詳しい仕組みは妾にも分からぬが」
そう言いながら、少女は優雅に礼をしてみせた。
「妾は命の刈り取り人。ここに呪いを頼みに来た者の願いを受け止めて相手を殺すのが仕事じゃ。彼らの命と引き換えにーー」
綾花はゆっくり彼女の言葉を咀嚼した。
「それはつまり……」
綾花は懐の小瓶に手を触れながら首を傾げた。
「貴方は、死神、ということ?」
「そういうことじゃな」
少女は淡々と首肯した。
しかし、不意に哀願するような声音に変わる。
「……其方の恨みはよう分かった。恨みを捨てろとは言わぬ。じゃが、其方はもう18歳なのじゃろう?もう親のしがらみから抜け出せる年頃じゃ」
少女は綾花に近づいてきて、真っ直ぐ見つめた。
手で優しく頬を包み込む。
「ーーだからどうか、妾に其方を殺させないでおくれ。そんな奴等のために、命を棄てる必要はないであろう?」
「……貴方は」
綾花は掠れ声で呟いた。
「……貴方は、一つ勘違いしてる」
少女は眉間に皺を寄せた。
「……勘違い、じゃと?」
綾花は少女の手をゆっくり引き剥がすと、呪いの木へと歩を進めた。
小瓶を取り出し、蓋を開け、そしてーー
ーー紅い液体を、木の根元に振り撒いた。
その刹那。
あぁ、と嘆く声が辺りに響いた。
背後を見た綾花は、思わず息を呑む。
「……其方を殺したくはなかったのに……残念じゃよ」
少女は感情の見えない瞳から、滂沱の涙を溢していた。
その瞳は、黒曜から、深紅へと変わっていた。
「……じゃが、捧げられた願いは叶えるのが妾の使命じゃ。ーー血桜が咲くぞよ」
綾花はハッとして呪いの木を振り返った。
「何……これ」
雪を被っていたはずの木が、淡い光を放ち始める。
紅い紅い桜が咲く。咲き誇る。
まるで返り血のようだと綾花は思った。銀世界を鮮やかに彩る鮮血。
月明かりの下咲き誇る満開の桜は、幻想的で美しくて……とても悍ましかった。
「……」
綾花は思わず後ずさる。
「今更後悔しても無駄じゃ。お望み通り、滝上綾花を殺してやる。其方の命と引き換えに」
その言葉を聞いて、綾花は薄っすら微笑んだ。
「……さっきの自分語りにはね、続きがあるの」
少女の反応を待たずに、綾花は語り出した。
最近ね、お母さんはよく男の人を家に連れてくるようになったの。もちろん、お父さんじゃなくて、別の人。
再婚、する予定なんだって。
ちなみに5歳年上なの。私にも良くしてくれるよ。
……いつも、綺麗だって褒められる。
お母さんはそのこと知らないんだよね。
知ったら悲しむと思うよ。お母さん、かなりその人に心酔してるみたいだし。
だからね。
私なんてきっといない方が、皆幸せになれるんだよ。
だからお願いだよ、美しい死神さん。
私、滝上綾花を殺してくれる?
「なっーー⁈」
少女は動揺を顔に浮かべた。が、すぐに納得したように小さく呟いた。
「……そうか、そういうことじゃったか」
綾花の手の中の小瓶に目をやる。
「……誰の血にしろ、よくそんな大量に採れたものじゃとは思うとったが……。なら、妾の自分語りは、ただ単に其方の背中を押しただけじゃったな」
綾花は自嘲気味に笑う。
「私には、自殺するような勇気すらないんだよ。だからこうして呪い頼りなの。……でも、呪いが実在してくれて良かった」
綾花は、本当に嬉しそうに笑っていた。
少女は、辛そうに顔を歪める。
「……其方は、優しいんじゃな。復讐に走った妾とは違って、とても強くて、とても優しい……」
少女は目を伏せ、しばし考え込んでいた。
「……ま、これくらいなら閻魔様も赦してくれるじゃろ」
そう呟く。
「綾花よ。妾と取引をせぬか?」
「……取引?」
少女はコクンと頷いた。
「妾は其方を殺す。死んだ其方は、妾の眷属になれ」
「……眷属?」
綾花はポカンと口を開けた。
「妾もこう見えて忙しいのじゃ。呪いを頼みにきた者の話を聞き、諌め、追い返す。話を聞かない愚か者共の願いを叶え、命を刈る。丁度今みたいに、じゃ」
綾花は気まずくなって視線を逸らした。
「要するに人手不足なんじゃよ。妾の仕事を手伝ってはくれまいか?妾と同じ、死神として」
「……まあ、良いけど」
この少女の側でなら、死神というのも悪くはないのかもしれない。
「決まりじゃな」
すると少女の手元が紅く光った。鋭く輝く刀が現れる。
少女は朗々とした声で言った。
「滝上綾花。其方の願いを叶えて、其方を殺してあげんしょう。だからどうかーー」
刀が袈裟懸けに綾花を斬りつけた。
酷い苦痛と燃えるような熱さに薄れる意識の中で、少女の声が優しく響いた。
「ーー『私なんていない方が皆幸せになれる』なんて、そんな悲しいことは言わねぇでおくんなんし。妾には、其方が必要でありんす」
今日未明⚪︎⚪︎公園で、滝上綾花さん18歳の死体が発見されました。正面から刃物で斬りつけられた跡があり、警察は、詳しい調査を進めています。続いてのニュースはーー
「本当さ、あんまり型破りなことはしないで欲しいんだけど。俺の仕事が増えるじゃん。記憶消して死神に生まれ変わらせるとか、結構重労働なんだよ」
「まあまあ、赦しておくんなんし。……200年この仕事をしてきて、自殺を頼みにきたのは綾花が初めてでありんした。少し、情が湧いたんでありんす」
「……ま、良いけど」
そう言って彼はニヤリと笑った。
「残り434年だ。そしたら、あの男のいる極楽に案内してやるよ。ついでにあんたの新しい眷属も。あ、その親はちゃんと地獄行きだから安心しろよ」
「ありがとうござりんす」
少女は微笑って礼をした。
青年は、とある公園を訪れていた。
「……あった。この木……だよな?」
とある桜の木の根元に呪いたい相手の髪や血を埋めると、その相手を殺してくれるらしい。
青年は、震える手で髪の毛を取り出した。
その時。
「……何をしているの」
淡々とした声が響き、青年はビックリして後ろを振り返った。
その場にいたのは、白い布地に桜の模様が描かれた着物を着た、大学生くらいの見た目の女性。
「……誰だよ」
そう問われた女性は妖艶に微笑んだ。
私は命の刈り取り人。
覚悟ある者の願いを叶える存在。
……まぁ、あまりお勧めはしないけどね。
さあ、貴方は何をしにここに来たの?
血桜が咲く前に 桜月夜宵 @Capejasmine
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