血桜が咲く前に

桜月夜宵

第1話 前編

とある公園の端にある一本の桜の木。

その木は、呪いの木と呼ばれている。

その根元に呪いたい相手の髪や血を埋めると、その相手は死ぬという。



とある冬の日の夜。

滝上綾花はいわくつきの公園を訪れていた。

「……寒い」

人気が全くない。時々風が木々を揺らす音だけが辺りに響いていた。

人気と同じように電灯すらもなく、月が冷たく辺りを照らしている。

「……さっさとお願いして、さっさと帰ろう」

呪いの桜が実際にあるのかは半信半疑だが、今は藁にも縋る思いだった。

綾花には、自力でどうにか出来る強さはない。

「……どの木だろ」

不安を打ち消すように、独り言が漏れる。

ふと、ある桜の木が目に留まった。

特段他の木と違う特徴はない。が、何か惹きつけられる雰囲気があった。

「……あれかも」

フラフラとその木に近づき、根元にしゃがむ。

「……どうか、私の願いを叶えてください」

そう呟いて、綾花は懐から小瓶を取り戻した。

「……」

なんとなく月の光にそれを翳してみる。中を満たす液体が、ドロリと波打った。

ポン、と栓を抜いたその時。


「何をしているのかえ?」


聞き慣れない口調で問われ、綾花はしばしフリーズした。

ギシギシと音がしそうな緩慢な動きで振り返る。

「……誰」

「そう警戒しないでおくんなんし。妾は、ただの刈り取り人でありんす」

そう微笑んだのは、着物姿の女子だった。

見た目は高校生くらいだが、着物のせいか妙に貫禄がある。そして、とてつもない美人だ。100人見れば100人ともが見惚れてしまうような。

生憎、綾花は人の美醜にあまり興味がなかったが。

「……何でこんな場所で、こんな時間帯に着物なんか」

あまりの混乱に、少し場違いな質問をしてしまった。

「着物なんかとは酷いでありんす。よく見なんし。美しいとは思わぬかえ?」

「……」

彼女が纏う着物には、黒い布地に紅い桜模様が描かれていた。確かに美しいが、同時にどこか空恐ろしくも感じる。

「……じゃあ、その喋り方は?」

「気に食わぬかえ?……なら変えるか」

つと話し方の雰囲気が変わって、綾花はビックリした。

先程までの小難しい雅な口調はどこへやら、普通の女子高生のような雰囲気に変わる。

「どう?ちょっとは親しみやすくなったかな?」

「……」

ややあってから綾花は頷いた。

「それは良かった。じゃあ、次は君の番だよ」

「……え?」

彼女はヒラヒラと手を振った。

「妾を質問攻めしたのは君なんだから、次は君が答える番だよ」

「……」

(……放っておいてはくれないか)

綾花は小瓶を仕舞って立ち上がった。

「……何が聞きたいの」

そう言うと謎の少女はニンマリ笑った。

「そう来なくっちゃ。じゃあ、最初の質問!」

彼女は鋭く目を細めた。

「……君は、何をしに来たの?」

「……」

綾花はしばし逡巡して、フワリと微笑んだ。

「呪い殺してほしい人がいるの」

「へぇ……?」

思っていたより淡白な反応が返ってきて、綾花は拍子抜けした。

「……驚かないんだね」

「見慣れてるからね」

謎の少女はサラリと言いながら、濁った瞳で何かを見ていた。

「『私をフッたアイツを殺したい』『ムカつく会社の上司を殺してほしい』......果ては『うるさい近所のガキを消したい』なんてのもあったな。生まれたばかりの赤ん坊が泣くのは当然なのに」

一息で語ると、少女は軽蔑しきった目で綾花を見た。

「君は誰を殺したいの?」

けれど綾花は怯まなかった。

「それは当然、私が世界一嫌いな人」

妙な時間帯に家を出て、妙な桜の木の下で、妙な少女に会って。

綾花は、どこか高揚していたのかもしれない。

「せっかくだからさ、ちょっとした自分語りに付き合ってよ。貴方、暇そうだし」

「……」

少女は小さく頷いて、ブランコを指差した。

座れということらしい。

綾花はブランコに腰掛け、淡々と話し始めた。



私はね、お父さんがいないの。

お母さんは元々水商売やってたらしいんだけど、お父さんがどうしてもって言うから辞めて、同棲し始めたんだって。

最初は仲良くやってたらしいよ。

……私を身籠るまでは、ね。

お母さんが妊娠したと分かった瞬間、お父さんはどこかに消えたらしい。

だから私は、お父さんのことなんて何も知らない。まあ、興味もないけど。

妊娠に気づいた時にはもう中絶可能期間を過ぎてて、産むしかなかったんだって。

そして私は生まれた。

「望んでお前を産んだんじゃない」

これが私のお母さんの口癖。

酷いと思わない?私だって、望んで生まれたわけじゃないんだけど。

「育ててやってるだけ感謝しろ」

これも口癖だね。

まぁ時々殴られたり蹴られたりはあるけど、ちゃんと3食くれるし、衣服もくれるし、中学校までは行かせてもらえたし、感謝はしてる。

……ん?あぁ、今の私は18歳だよ。よくもっと年上に見られるけど。



「ーーてことは」

一息ついたのを見計らって、少女は声を上げた。

「『お母さんを殺してほしい』ってこと?それとも二人を見捨てたお父さん?」

「…………」

綾花は何も答えなかった。

「……ま、流石にそこまで言う義理はないか」

少女は小さく呟いて、真っ直ぐ綾花を見据えた。

「どちらにしろ、やめておいた方が良い」

少女はピョンッとブランコから飛び降りた。

月が少女を冷たく照らす。


「人を呪わば穴二つ。誰かの命を奪うなら、それは自分の命と引き換えになる」


歌うように少女は言う。

「……それは」

綾花はふと思いついたことを口に出した。

「それは、貴方の体験談?貴方は幽霊?貴方も、この桜の木に呪いを頼んだの?」

そう問うと少女は微笑んだ。

ピリついた雰囲気が和らぐ。

「そなた、随分鋭いのう。まぁ、ほとんど正解じゃな」

そう言ってころころ笑う。

「せっかくじゃ。妾の自分語りにも付き合ってくれるかえ?」

再びブランコに腰掛けた少女は、朗々と語り始めた。



妾の家は貧しくてのう。その日暮らしの生活じゃった。

そんなある日、妾は桜が綺麗と噂の場所に散歩に出かけたのじゃ。

……少しでも、苦しい生活を忘れられればと思っての。

実際、桜は綺麗であった。こんな綺麗なものがこの世にあるとは思わなかったのう。それだけ鮮烈じゃった。

じゃが。

それ以上に妾の目を惹く存在があった。

後から分かったことじゃが、彼はある大店の若旦那で、許嫁もいたそうじゃ。

桜の木の下に佇む彼に、妾は……まぁ、一目惚れした。

……なんじゃその目は。そんな冷めた目をするでない。

……は?最初の神秘的な雰囲気はどうした、じゃと?

それは……あれじゃ!雰囲気というものじゃ!大事であろう⁈

そもそも妾は遊郭に入ったことなどないんじゃ!廓言葉なんて知らんのじゃ!

……話を戻すと、そう、妾は一目惚れをした。

あの時の感覚は一生忘れぬ。あの……身体中を電流が走るような、甘くて苦い毒のような、恋に落ちる感覚。

妾は結構大胆な性質でのう。すぐに彼に話しかけた。

「あ、あの……この手巾、御身のものではありんせんか?」

そう言って藍染の手巾……ハンカチを差し出した。もちろん、妾の持ち物じゃったが、話しかける口実に使うくらい良いじゃろう?

「いえ……僕のものではありませんが」

「そうでありんすか……」

そう呟くと彼は慌てておったわ。余程気落ちしたように見えたらしいの。

「……ここに来たのは初めてですか?」

そう会話を続けてきた。

「はい……。御身は?」

「僕はここ数日毎日来ているんです。家が近くて。ここの桜は綺麗でしょう?」

「はい、とても綺麗でありんす」

そう返すと彼は優しく微笑んだ。

「明日も同じ時間に来てくれませんか?もう少し、貴女と話をしてみたいです」

「……!はい、喜んで」

この時の妾の感動が分かるかえ?一生分の感動を使い果たしたわ。

それから妾達は逢瀬を重ねた。

桜が散り、葉が生い茂り、鮮やかに紅葉し、雪が降り積もる時分になっても、その関係は続いていた。

……思えば、この頃が一番楽しかったのかも知れんのう。



そこで少女は一旦口を噤んだ。

その目はどこか遠くを見つめていた。

「……それから、どうなったの?」

綾花は固唾を飲んで少女を見つめた。

今のところ、彼女の話はただの惚気だ。

語る顔は、正に恋する乙女のものだった。

(それがどうして……)

どうして、あんな目をするようになってしまったのだろうか。

「……あまり気持ちの良い話ではないぞよ。それでも聞くかえ?」

綾花は黙って頷いた。

それを横目に見ながら、少女は再度語り出した。



あれは、桜の季節がやってきた直後だったかのう。

いつもの時間になっても、彼はやって来なかった。その日まで、彼が約束の時間に来なかったことは一度もなかったのに。

「……どうしたのでありんしょうか」

不安になった妾はしばらく近くを彷徨った。

そして見つけた。

見つけてしまった。


「……嘘。嘘で……ありんしょう?」


桜の絨毯を染める、一面の紅、紅、紅。

そして。

あぁ、あの人が、あの人の身体が、妾の愛したあの人がーー


死んでおった。


本当に悲しい時は、涙すら出ぬのだと、妾はこの時初めて知った。妙に思考が冷えていて、あの人が死んだことを冷静に受け止めていた。

……嘘じゃ。

本当は、理解していなかった。理解したくなかった。だから涙すら出なかったのじゃろうな。

結局。

あの人を殺したのは、あの人の許嫁じゃった。妾との逢瀬が露見したから……というより。


相手が妾じゃったから、かのう……。


当時は身分が重視されとった。貧しい女にうつつを抜かすような馬鹿な男に愛想を尽かしたんじゃろう。むしろ身分を気にしない男を毛嫌いするような時代じゃったか……



少女は再び口を閉ざした。

顔が青白く見えるのは、月の光のせいだけではないだろう。

それでも、綾花は先を促した。

「じゃあ、貴方はその許嫁を呪い殺したの?」

それがどれだけ無情な質問か分からない程馬鹿じゃない。それでも、どうしてもその先を知りたかった。

目の前の少女は、未来の自分かもしれないのだから。

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