第11話 未来と弁護士
「どうして貴方、タイムスリップなんて馬鹿なこと言い始めたのよ」
目の前にいる初老の女弁護士は鋭い目つきを緩和するような朗らかな笑顔でそう言った。
私は食卓テーブルに両肘をつき、手のひらで自分の顔を覆った。
あーもう最悪だ…!
カナエのやつ…なんでペラペラとタイムスリップのこと話したんだよ。
先に弁護士との面談を終えたカナエは、隣の部屋にあるピアノを弾いている。なんの曲か分からない。でも喫茶店とかで聞いたことがある曲だ。
流石に今回はもう誤魔化しが効かない。
諦めて私は全てを弁護士に打ち明けた。
教師がカナエ目的で風俗に来た話を。
私がカナエについたくだらない嘘の話を。
池袋にある女性支援施設に着いたのは15時だった。面談は15時半だったから、少し早めに着いてしまった。
池袋駅を降りて15分ほどで施設には着いた。カナエと病院に行った時よりは暑さが幾分かマシになっていた。気温は変わらないが少し風が出てきた。
その施設は年季の入った一軒家だった。庭に置いてあるプランターにはきゅうりと茄子が植えられていた。異常気象ともいえる暑さで、葉の少し先が枯れている。それでも手入れは細かくされていた。
チャイムらしきものも無かったので、私達は勝手に扉を開けて中に入った。
中を開けると、シューズボックスがあり、その上にはベルがあった。ファミレスの会計の時に店員を呼ぶ時に鳴らすベルだ。
私とカナエはどちらがベルを押すか見つめ合い、結局カナエが勢いよくベルを押した。
「はーい」と奥から声が聞こえた。3分ほど経って、階段から初老の女性が降りてきた。びっくりした。髪が赤い。
「こんにちは。海野さんですね?」
「は、はい。海野カナエです。」とカナエは緊張気味に手を挙げた。
「暑い中お疲れ様…さぁ靴を履いていらっしゃい。」
私とカナエは靴を脱ぎ家に上がった。初老の女性を先頭に廊下を歩いた。少し歩いたところで女性はこちらの方を振り返った。
「あら…申し遅れましたね。私は弁護士にの谷村トウコです。」と言ってニヤリと笑った。60歳は超えている。中背中肉。赤髪。目のギラつき。姿勢の良さ。あぁこの人、化け物だ。
「それで、貴方は…? 」と谷村弁護士は私の方をみた。
「カナエの友人です」
と微笑みながら言った。
谷村弁護士は私の方をじっと見て何も言わなかった。
少し時間が経ってから
「すみません。面談は海野さんとだけで宜しいですか?」と言った。
カナエも私も黙って頷いた。
カナエが部屋に案内され、私は隣のピアノが置いてある部屋に案内された。
30分後にカナエが出てきて、私の部屋に入ってきた。
「カナエ…お疲れ様。終わったの?」
「うん」
カナエの目には涙が浮かんでいた。支援を求める為にはどうしても被害の話をしなければいけない。
カナエは被害に遭ってから何人に何回、被害の話、それまでの過程、関係性を聞かれたんだろう。
「よし…一緒にパフェ食べに行こうか! 」
私の眉毛は八の文字になったままだが、口角は全力で上げた。
「なんか、次は未来ちゃんの番だって。」
とカナエは困った顔をして言った。
「はぁ!? なんで!?」
「分かんないけど、話したいって」
何故か私も谷村弁護士と面談することになった。
扉をノックし、谷村弁護士が待つ部屋に入った。谷村弁護士は椅子に座り年季の入った食卓テーブルに両手を置いていた。
テーブルを挟んで、向かい合う形で椅子に座った。
谷村弁護士は少し頷き「さぁ時間がないから、手短に聞きますね?」
「はぁ」
「どうして貴方、タイムスリップなんて馬鹿なこと言い始めたのよ」
「なっー…」
「海野さんから聞きました。」
「手短に理由を言って。貴方の発言次第で彼女を弁護するかしないか決めるわ。」
「え、えっと」
「未来から来た理由じゃないわ。嘘をつく必要があった理由よ。」
「…私みたいな人間になって欲しくなくて思わず…」
「どういうこと?」
「私みたいな奴が未来の自分ってなったら、そんなの嫌じゃないですか。未来を変えるために頑張ろうって…」
「ふーん…貴方は海野さんの未来って設定なのね」
「はい。」
「あなたは今何してるの?」
「風俗嬢です。」
「…そんな職業で海野さんと貴方はどう繋がるの?」
私はサングラスを外した。谷村弁護士にカナエと変わらないそっくりな私の顔を見せた。
「バカみたいにそっくりね」
「私もです。親族かと思いましたよ。」
「なるほど…被疑者である教師の男は風俗に行って貴方を指名した。理由は海野カナエに似ているから。」
「そうですね。」
「これは私の推測だけど、貴方は罪滅ぼしで彼女に近づいたのかしら?」
罪滅ぼし…。
私は言葉が浮かばず彼女から目を逸らし目の前の年季が入った茶色い食卓テーブルを見つめた。ここで彼女はカナエみたいな若い女の相談に乗って法的支援を無償でしている。弁護士って金あるな。一軒家まるまる買い取って支援施設にしちゃうんだもん。
目の前の食卓テーブルを見つめた後は横の掲示板に貼られている国や自治体の犯罪被害に関するポスターに目をやった。こういうポスター、小学生の時は学校に貼ってあるの暇で見てたな。当事者になる前もなった後も相変わらずこのキャッチコピーは全く響かない。私だったら何にするかな。
『心の余裕は金の余裕。金の余裕は未来の余裕』
うん。これだな。間違いない。
「まぁ安心しなさい。」 と谷村弁護士は軽く息を吐いて食卓テーブルの上で手を組んだ。左手に着けている手編みのハンドウォーマーの糸がほつれている。本当に手だけみると、ただのおばぁちゃんだ。この人。こんな高齢でも弁護士やるって本当に凄い…。
「海野さんの話を聞いて、貴方が彼女に危害を加えることなく、心の支えになっているなら良いのよ。」
「心の支えになれているか自信は無いんですが…」
「いいのよ。貴方の人となりを見てセカンドレイプはしないと思ったわ。まぁそうね、貴方が海野さんを支える上で気をつけなきゃいけないことは2つよ。」
「2つ…」
「彼女は、いつ、どのタイミングで再び悲劇に襲われるか分からない。明日にでもクラスメイトに被害者とバレるかもしれない。雑誌に被害者バッシングの記事が出るかもしれない。」
確かにその通りだ。カナエは今綱渡りをしながら日々を生きている。
「そうなったら、パッと人は死にたくなるのよ。」と谷村弁護士はどこか遠くを見つめながら言った。
これは後に知ることになるのだが、谷村弁護士は過去に弁護した性犯罪被害者を1人自殺で亡くした。被疑者の不起訴が決まった日に命を絶ったそうだ。
「絶対にそんなことさせません。」
私は机の下で拳を作り強く握りしめた。
「そして、あと一つは…」と谷村弁護士は言いかけて少し間を開けた。
そして私の方を見つめて
「自分に価値がないと思って身売りしようとすること。海野さんがそうならないように、今言ったこの二つを貴方は全力で止めて。」と優しい口調で言った。
そして谷村弁護士は、カナエの弁護を無償で引き受けてくれることになった。
施設を出てスマホで時間を確認した。20時まであと3時間10分だった。どうして私は20時までの残り時間を計算してしまったんだろう。
「さぁ未来ちゃん!パフェいくよ!」と言って、カナエはタクシーを勝手に捕まえた。
やれやれ。今日は1日がとても長い。店で12万稼いだ日と同じくらい長く感じるな。
あの時の谷村弁護士の言葉「自分に価値がないと思って身売りしようとすること」。あれは私に向けても言ってたな。
違うよ。私はね、自分に価値があると思うためにこの仕事を始めたんだよ。
私はタクシーに揺られながら、風俗を始めた最初の日を思い出そうとしていた。
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