やさしいウソ

「……つく姉ちゃん……つく姉ちゃん!」


 樹ちゃんが私を呼ぶ。でも、答える余裕はない。


 いま、私は宙ぶらりんの状態だ。樹ちゃんがガケから身を乗りだして、手をつかんでいるけれど……そのまま動けない。


「にゃ、みゅぁあっ……」


 手の中にコマコちゃんがいる。不安そうな鳴き声を聞いて、私は安心させたるために笑った。


「コマコちゃん。私に乗って、樹ちゃんのところまで行ける?」


「……みゃ」


 ひと鳴きのあと、コマコちゃんは私を器用に登って、ぴょんっと飛ぶ。安全な地面に着地した姿を見て、ホッとする。


 樹ちゃんは顔を真っ赤にして、私を引きあげようとしている。


「つく姉ちゃん、上がってきて! もう、保たないよ……!」


「樹ちゃん。聞いて」


「……イヤだ」


「聞きなさい。……手、はなして」


 樹ちゃんが、首を横にふる。


「でも……でも! それじゃあ、つく姉ちゃんが!」


「このままだったら、樹ちゃんも落ちちゃうよ」


 ガケにはいくつもヒビが入っていて、また崩れそう。すぐにここからはなれなきゃ。


「私は、樹ちゃんよりお姉ちゃんだから! ……お、落ちたって、平気だよ!」


 こんなときに、私の口からはウソが出てくる。


 本当はこわくて仕方がない。下は暗闇で、落ちたらどうなるのか想像もできない。


 でも、樹ちゃんに恐怖が伝わってしまうから……心をおさえて笑顔の私でいつづける。


「イヤだ。イヤだ! つく姉ちゃんを、はなさない!」


 樹ちゃんが、握る手に力をこめる。


「つく姉ちゃんと、いっしょにいるんだ。オレは、つく姉ちゃんのことが……!」


 その先の言葉を聞くと、私はもう、樹ちゃんをはなせなくなる。


 私は空いている手で、樹ちゃんの指をほどいた。


「!」


 ふわんと浮かんだ気がしたのは一瞬で、私は背中から落ちていく。


 風の中で、手をのばした樹ちゃんだけをぼんやりと見ていた……

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