恵くんのヒミツは、だれのため?

 玄関の端っこに、私は恵くんと逃げこんだ。


「よく降るなぁ。天気予報では、降水確率0%だったよね?」


 ガラスに当たる雨音に負けないよう、私は恵くんに話しかける。


「髪も顔もジャージも、雨と泥でぐっちょっちょ! 私は雨が降る前からだけどね! 今日の女子の洗濯係は私だから、大変だぁ」


「…………」


 タオルを頭からかぶる恵くんは、答えてくれない。足元をじっと見たまま、動かない。


「恵くん」


 ゆっくり近づいて、私は……わしゃわしゃわしゃ! と、恵くんの頭をふいてあげる。


「風邪、ひいちゃうよ」


「……ありがとう」


 そう言ってくれるけど、恵くんは暗い顔のままだ。


「ねぇ、覚えている? 恵くんが、風邪をひいちゃったときのこと」


 怒りを忘れてほしくて、私は話をそらしてみる。

 

 何年も旧校舎で暮らしていると、だれかが体調をくずすことももちろんある。そんなとき、恵くんは率先して看病をしてくれる。


 でも、頼みの綱の恵くんが病気になってしまうと、私たちはいつもパニック!


「恵くんがねこんじゃうと、いつもこんな大雨になって、電気が点かなくなることもあったよね。私、恵くんを看病する! なんて言っていたのに、暗いのがこわくて……」


 闇夜の保健室は、雨が打ちつけてガタガタゆれる窓の音が鳴っていた。


 私がふるえていると、いつも恵くんが布団の中から手を出して、背中をさすってくれる。


 熱っぽい手があったかくて、ぽかぽかしていて……私はそのまま、ベッドのそばでねむってしまう。


 恵くんといっしょにいる。それだけで、私の心は恐怖に勝てる。


 だから、決めている。もしも恵くんが不安なときは、私から手をのばすんだ。


「つくね」


 やっと、恵くんが顔を上げてくれた。目が合うだけで、私も安心してしまう。


「ありがとう、恵くん。あんなに怒ってくれて……ちょっと、スッキリしちゃった」


 ぺろっと舌を出すと、恵くんは私から目をそらした。


「つくねは、どうして怒らなかったの? 自分のことより、花のことを気にかけて……」


「だって、あの花の一本ずつが、恵くんの作品になるんでしょ?」


 私は、自分の胸に手を当てる。


「恵くんの作品、私、大好きなんだ。見ているだけで、ほわほわってあったかい気持ちになる。見ている人みんなに、幸せをくれる」


 恵くんだけじゃない。太陽の運動神経の良さは運動部みんなのためになるし、樹ちゃんの献身さは動物たちのためになる。ミハル姉の発明品なんて、世界中の困っている人のためのものだ。


 S組のみんなは、特別な力をだれかのために使っている。


「私には、特別な力なんてないけどさ」


 ひと呼吸して、私は続ける。


「S組を、みんなの居場所を守ることができたら……みんなのための私になれるのかな、って思うんだ。だから、へへ……怒っているヒマなんてないよ!」


 恵くんはぱちぱちと瞬きをしてから……ふわりと笑った。


「怒っているヒマもない、か」


「変かな?」


「うぅん。つくねらしい」


 恵くんは立ちあがると同時に、雲のすき間から光が差しこむ。雨が、止んだみたい。


「通り雨だったんだ!」


「うん。土が水を吸って、植え替えがやりやすくなったよ」


「ふふ、いつもの恵くん、復活だ!」


 おだやかで前向きな、みんなのまとめ役。それが、私たちの恵くん。


 玄関から出ようとする私を、恵くんは呼びとめる。


「つくね。ひとつだけ、誤解しているよ。……ぼくは、みんなのために作品を作ったことは、ないんだ」


「えっ」


「見た人が、僕の作品に感動してくれることはうれしい。でも、ぼくはたったひとりに届けるために、作品を作りつづけている」


「ひとり……?」


 恵くんは私をまっすぐ見つめて、教えてくれた。


「ぼくはただ、好きな人をとびきりの笑顔にしたいだけなんだ」

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