第10話

 帰宅する。

 さゆちゃんが家にいることを少し期待していた。もしもいれば話が早いなーとか思っていたのだが……。居なかった。静寂に包まれていて、真っ暗だった。なんで居て欲しい時に居ないんだよ、と謎の八つ当たりを心の中でしてしまう。なんも悪くないのにね、さゆちゃん。


 どうしたもんかなと考える。

 ソファに座ってゆっくりしていると、さゆちゃんの部屋から生活音が漏れ聞こえる。

 留守にしているわけじゃないようだ。


 「するかぁ……?」


 腕を組み考え込む。

 突撃するか否か。


 百合営業の提案。これは早くした方が良いと思う。これ一つで諸々の問題が綺麗に解決するのだから。いや、綺麗ではないか。でも誰も損しない形で収まる。後回しにすればするほど致命傷が残る。今ならまだかすり傷で済む。だからさっさと行くべきなのだろうと思うが、隣の部屋には多分当事者がいる。だから多分だが、乗り込んだところで百合営業の提案は難しい。

 そもそも飛び込む勇気と覚悟がないのもあるが、それ以前に飛び込む必要性があるのか……。それすらもうよくわからない。

 あるようなないような。そんな曖昧な思考。


 「あっ……」


 ポンっと手を叩く。

 妙案が浮かんだ。

 さゆちゃんの家に飛び込まなくても万事解決する良い方法だ。

 しかも……多分、気持ち的には複雑だけど成功率も高い。


 「あーあぁ。さゆちゃんに会いたいなぁ……。とーっても。無性に。すんごく会いたくなっちゃったなぁー。やばーどーしよー」


 わざと大きな声を出す。

 言い終えてから、あまりの棒読み具合に苦笑してしまう。

 演技の才能が一ミリもない。別に役者になろうだなんて思っていないので、演技の才能がなくたって困らないけど。でも悲しいものは悲しい。


 大きな釣り針のような言葉をぽとんと私の部屋に垂らした。


 ……。


 ……。


 待つこと四十秒。


 「河合さん。願い叶えに来たよ」


 さゆちゃんが現れた。家にやってきた。

 やっぱりな! という気持ち、やっぱりかぁという気持ちがグチャグチャに混ざる。


 「そう……」


 色々込み上げてきて、色々押さえつけて、諸々考えた結果、大人しめな返事がぽろりと出る。


 「元気ない?」

 「そんなことはないよ。むしろ元気元気。ちょー元気」

 「ほんと?」

 「仮に嘘だったとしても本当とは言わないでしょ」

 「それもそっか。元気そう」


 さゆちゃんは私の前に回り込んで、満面の笑みを浮かべた。


 「さゆちゃんに一つ提案があるんだけど」

 「提案?」

 「そう。提案」


 彼女は首を傾げる。


 「もしかしてみぃちゃんの件?」


 少し考え込んださゆちゃんは一つの答えに辿り着いた。

 大正解である。


 「そうだよ」


 それしかないじゃんとかまぁ正直思ったけど。

 一々突っかかると話が冗長になる。脱線して、本題に入れなくなるのは色々とこちらとしても不都合があった。

 だから突っかかりたい気持ちを押し殺す。ぜんぶ押し込めて、淡白な返事に変えた。


 「百合営業っていう建前で付き合っちゃえば良いんじゃない? っていう提案」

 「えー付き合うの?」

 「だからそういう建前だって。本当に付き合うわけじゃないから」


 露骨に怒ってますよアピールをするさゆちゃんに対して、私は淡々と告げる。

 あまりにも冷酷だからだろうか。さゆちゃんの勢いは弱々しくなっていく。


 「う、うん」


 と、最終的には静かになった。


 「百合営業っていうのはわかった。たしかにそれなら付き合うわけじゃないから私は大丈夫……」

 「向き合える?」

 「ううん」


 さゆちゃんは首を横に振った。


 「向き合えないから百合営業で良いやって思えるんだよ」

 「それもそっか」


 ごもっともだなって思った。


 「じゃなくて」

 「うん」

 「私は百合営業で良いの。というか百合営業ってことにして付き合うふりをするのはむしろありがたいというか、助かるというか」

 「そりゃそうだよね。本気で付き合いたいわけじゃないんだもんね」

 「本気で付き合いたいのは河合さんだよ」

 「あー、はいはい。そーですねー」

 「流した」

 「そりゃ流すよ」


 推しに面と向かってそんなこと言われて、やったって素直に言えるオタク何人居るのだろうか。八割くらいは耳を疑い、事実から目を逸らし、それでも事実を受け入れようとして爆散する。爆散していないだけマシだ。


 「みぃちゃんはそれで納得するのかなって話。それが気になる」

 「するでしょ。納得」

 「だよね、わかんないよね……って、するの!?」


 驚く。そこまで驚くようなことじゃなかったと思うのだが。かなり驚いている。


 「するよ」

 「なんで? 付き合えないんだよ」

 「そうだけどさ。付き合ってるって実感はあるでしょ。それに百合営業って形なら完全に捨てられるわけじゃないからね」

 「チャンスが残ってるってこと?」

 「そう思うのが自然でしょ。星空未来があまりにもワガママ言うような子であるのなら、付き合えないってだけで駄々こねるかもしれないけどさ。そういう子じゃないでしょ?」


 今まで接してきて、そうであると確信している。だからわざわざこうやって質問を投げる必要はない。だけど一応聞く。外と中で態度を真逆にしている可能性もあるから。仮にそうならば色々考え直さなければならない。


 「そう……だね。うん。みぃちゃんはそういう子じゃない」


 付き合うのは嫌だってだけで、星空未来のことが嫌いってわけじゃない。だからさゆちゃんはこんなにも悩んで苦しんでいるし、こういう時はちゃんと星空未来を庇う。そしてそういうところがさゆちゃんらしさであり、さゆちゃんの良いところだよなーって思う。


 「じゃあ大丈夫だよ。受け入れてくれるよ。星空未来も絶対に」


 予定調和。

 さゆちゃんがそうやって言ってくれると思っていたから、私は言葉を用意することができて、待っていましたと言わんばかりにすらすらと言える。


 「絶対に?」


 なんとなく勢いでくっつけた言葉にさゆちゃんは反応した。


 「う、うん。多分……」

 「絶対じゃないじゃん」


 さゆちゃんはそうやってツッコミを入れると、クスクス笑う。

 正論をぶつけられると反応に困る。


 「……っ。じゃあ星空未来にも提案してね」

 「やってみる」

 「うん」


 話が一段落する。そこから流れるのはいつもの柔らかな空気。元に戻ったな、と実感できるほどに弛緩した。







 とある日のALIVEのライブ。

 隣には顔も名前も知らないオタク? がいる。多分オタク。

 最近こういうことが増えてきた。ALIVEの知名度が上がってきているということなのだろう。嬉しいような、寂しいような。複雑な感情だ。もしかしてこれが……子が親元を離れる時の親の気持ちなのだろうか。


 最初のMC。


 「はいはーいっ! みーんなにっ、とーっても自慢したいことがありまーすっ!」


 星空未来は作り出したキャラクターを前面に押し出す。

 あざといを通り越してぶりっ子だよなぁ……と冷静に彼女のことを見る。

 オタクたちが「なーにーぃ?」とか「おしえてー」とか各々騒ぎ始めたところでまた彼女は喋り始める。


 「それはねー」


 と、言葉を止める。

 焦らす。


 ふらふらと歩き、さゆちゃんの元へ行く。

 さゆちゃんの手を握り、腕を組み、頬と頬を合わせてすりすりする。


 「二人っきりでこの前ディナー食べに行ったんだ。しかもねー、ちょーっと高いとこ。コース料理だよ。いくらしたっけ、さゆちゃん」

 「一万円ちょっと超えるくらい……」

 「えーっ、そんなにしたっけ」

 「したよ。した。美味しかった」

 「反応うっすー。でもね、ほんとに美味しかったんだよ。えへへー、楽しかったなぁー」


 まるでデートに行ったみたいな空気を出しているが、多分違う。

 百合営業の件を二人でしっかりと話し合ったのだろう。

 今同じ家に住んでいるんだから、わざわざディナー食べに行って話すんだ……と思ったりもするが、こういうのって雰囲気が大事だってのはわかるし、否定する気持ちにはあまりならない。

 それにこうやってしっかり百合営業しているし。


 「え、二人で食べに行ったの? 聞いてないんだけど」

 「あかりんには言ってないもんねー」

 「言う必要ないと思ってた」

 「リーダーなのに? 誘われてないんですけど」

 「わー、ごめーんごめん。次はあかりんもいこーよー。あかりんの奢りで」

 「なんで私の奢り?」

 「リーダーだから? リーダーなんだし奢ってくれても良いと思わない? さゆちゃん」

 「その通り」


 ガハハとオタクたちの中で笑いが起こった。

 百合営業としてもMCとしても大成功。私は特になにもしていないのに鼻が高い。

 ひと笑い起こして満足そうな星空未来はフロアを見渡す。悦に浸っているのだろうか。と、彼女のことを見ていると、目が合った。


 「……」


 物凄いドヤ顔である。

 色んな意味でやってやったぜ、と勝ち誇るような表情であった。

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