第7話

 ベッドからリビングに移動して、朝食を準備する。

 キッチンからリビングでぼけーっと寛いでいるさゆちゃんに視線を向ける。


 「どう? 一日経って考えは変わった?」


 さゆちゃんに質問を投げながら、フライパンに卵を二つ割って中身を落とす。菜箸で落とした卵をぐちゃぐちゃにする。


 「変わるわけないじゃん」


 そう答えた。

 その返答に驚くことはない。そりゃそうかって簡単に受け入れることができた。なんで、の反論をすることももちろんない。

 ただ「変わった」という返答を求めてはいたけどね。

 そう簡単に問題は解決しない、か。


 「変わるわけ……ないよねぇ。うん」


 焦げそうになったスクランブルエッグを菜箸で崩す。


 「なんか焦げ臭くない?」


 さゆちゃんはすんすんと鼻を鳴らす。

 若干焦げ目のついたスクランブルエッグへ一度視線を落とす。掻き混ぜれば掻き混ぜるほど、焦げ目はバラバラになっていき、やがてこんなものかなという具合に落ち着く。


 「気のせいじゃない?」

 「うーん、気のせいかなぁ……」

 「そうだよ。気のせいだよ」

 「……」

 「気のせい」

 「そっかぁ」

 「そうだよ。ほら、はい。朝ごはん」


 スクランブルエッグとハム二枚。


 「怒ってる?」

 「怒ってはないよ。別に面倒な仕事押し付けてきた上に、焦げたとか文句言ってくるから、スクランブルエッグとハムだけの質素な朝食にしてやろうだなんて、そんな酷いこと考えてないからね」

 「河合さん。ダダ漏れだよ、思考が」


 私はなにも聞こえないフリをした。





 さゆちゃんが家にいるから大学をサボっても許されるかな、と思っていた時期が私にもありました。

 でもサボれなかった。長谷川に呼び出されてしまったのだ。

 呼び出されたら行かざるを得ない。さゆちゃんが家にいるから無理という言い訳をしたら、連れてくれば良いと言われるのが目に見えたから。

 大学へさゆちゃんを連れていくか家で留守番させるか。天秤にかけたら後者に傾くのはしょうがない。その方が楽なのは火を見るより明らかだ。


 というわけで、私は大学にやってきた。

 十月に入ったということもあって、肌寒さを時折感じる。でも歩くと暑くなる。寒いのか暑いのかどっちかはっきりして欲しいものだ。


 鬱陶しくて眉間に皺を寄せる。

 はぁはぁと若干息を切らし、部室へと向かう。


 「あっ……」


 目的は講義に出席することではない。だから別にそのまま部室に行っても良かった。だが、せっかく大学に来たのだから、講義に出席するか否かは置いておいて、出席処理くらいはしておいた方が良いと思った。

 進行方向を一八○度変えて歩き出す。

 講義が始まる前の大教室に向かい、出席処理をする。

 まだ講義は始まらない。だから騒がしく、ごちゃつきがある。なので出席処理をするだけして逃げることも容易い。

 悪いことをしているのかもしれないけど、決して犯罪ではない。

 常習犯過ぎて罪悪感の欠片もない。なんなら大学に来て出席処理をしている時点で偉いよね、とか思ってしまう始末。


 「ちょいまち」


 飄々とした態度をとりながら部屋を後にしようと歩み出した時だった。

 ガチっと手首を捕まれる。声をかけられる。

 え、なに? 今日そういう日? 逃げる人の取り締まりでもしてたの? 落単確定じゃん。と、ネガティブな思考が駆け巡った。一通りネガティブになってから、ふと冷静になる。あれ、今の声の主って長谷川じゃね? と。

 声のする方へ視線を向ける。

 長谷川が座っていた。よっと軽く手をあげる。


 「なにしてんの?」


 座っている彼女に私は問う。


 「なにしてんのって……講義を受けようとしている以外ありえないでしょ。逆になにがあるの」

 「サボり」

 「河合だけだよ、それ」

 「大学生なんて大半こんなもんでしょ」


 ちらっと部屋の出入口付近に目をやる。

 出席処理だけをしてさっさと立ち去る人の姿。

 私以外にも沢山いる。


 「というか、長谷川もサボれば良いじゃん」

 「なんでよ」

 「時間もったいないし。私に用事あったんでしょ。この間にその用事済ませようよ」


 さゆちゃんを留守番させている。やっぱり怖い。なにされるかわからないし。隠しカメラを設置されていることとか、覚悟しなきゃならない。やっぱり留守番させたのは失敗だったかもという後悔が押し寄せてくる。その直後に、いや、さゆちゃんいつでも私の家入れるからあんま関係ないか、と自分に都合の良い結論を出した。


 「悪い子だねぇ」

 「部室を私用化してる長谷川も悪さで言ったら変わらないと思うけど」

 「それはそれ、これはこれ、でしょ」


 手首を掴む手はずるずるとずれて指を絡めてくる。それから長谷川は立ち上がって、隣の椅子に置いていた荷物を持つ。そして軽く微笑みながら私の手を引くように歩き出す。


 「でも私も悪い子だからねぇ」


 こうして通算何度目かすらわからないサボりをした。





 新鮮さが一切ない部室へとやってきた。

 生活感漂う部室。ここだけを切り取ったら部室というよりもただの部屋だよなぁと思う。毎回思う。


 「で、用事って?」


 前置きとかしない。

 早々に本題へと入った。

 長谷川は私の急アクセルに驚くことなく、淡々と対応する。慣れているような雰囲気を出しながら。

 とてとてと歩き、棚の引き出しからCDが入っているプラケースを一枚取り出した。


 「なにそれ」

 「最近来てるアイドルのライブ映像」

 「ふぅん……」


 なにかと思えばただ布教されるだけか、とガッカリする。もっと面白いなにかをくれるのかと勝手に期待していた。

 勝手に期待して、勝手に落胆する。長谷川からしたらたまったもんじゃないのだろうけど、こればっかりは許して欲しい。大学に呼び出したそっちも悪いよ。うん。


 「ねぇ帰って良い?」

 「まぁまぁそう言わずにさ。ほら、河合。座って、座って」


 両肩を押さえつけられて、ぐいぐいと押される。そして近くの椅子をががががと音を立てて引き、私を座らせる。

 モニターの下にあるDVDプレイヤーに持っていたDVDを差し込む。ぐぅぃーんという読取音が響く。それを気にせずに長谷川はモニターの電源をつけた。手馴れた手つきでぴこぴこと操作し、映像は再生される。


 「興味無いから帰りたい」

 「諦めなよ。もう」

 「私、ALIVE以外のアイドルに興味無いんだって」


 浮気とかしないから。浮気したら私どうなっちゃうかわからないし。

 だから抵抗する。

 でも長谷川の力の方が強い。暴れなきゃ多分勝てない。


 「食わず嫌いは良くないよ」


 たしかにそれはそう。


 「……」

 「それに見るだけならタダだから」

 「好きになるかどうかは別問題……だもんね」


 長谷川に確認する。

 まぁ九割くらいは自分に言い聞かせているだけなのだが。

 私の問いに対して、長谷川はこくこくと頷く。やっぱりそうだ。別にライブ映像を見たから好きにならなきゃならないってわけじゃない。むしろ見た上で興味ないって言えたら、ALIVEへの愛が確かなものになる。


 「そもそも好きになると思って見せるわけじゃないしー」


 長谷川はそんなことを呟く。

 それと同時にモニターから歓声が響く。ライブが始まったようだ。


 「……」


 じっくりと見よう。

 私は腕を組み、吟味するような姿勢でモニターを見つめた。

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