第6話
夜になる。
お風呂も入って、スキンケアもして、さゆちゃんが見ているテレビの音を横目に私はひとつ大きな欠伸をした。目の下が重たかった。目を開けているつもりなのに、ぐわんぐわんと今にも瞼が閉じてしまいそうな感覚があった。痛いという表現はあまり的確ではない。重たいという表現の方が近しいなと思う。
人差し指を涙袋のあたりに当てて、ぐーっと指圧を強める。
そうすると痛いという感覚とともに気持ち良いという感覚も襲ってきた。
あれ、あれれ。もしかして、いや、もしかしなくても、私ってマゾヒストなのかなとか考えてしまう。まぁ、あれだ、今日色々とありすぎて、単純に疲れているだけ。
「ふぁぁぁぁぁ」
油断するとまた欠伸が出てくる。
無意識のうちに出てきてしまうので、もうどうしようもない。
もしかしたら私が自覚している以上に心身ともに疲弊しているのかもしれない。仮にそうだったとしてもまぁ驚きはしない。そうだろうなって受け入れられる。
「眠いの?」
さゆちゃんはテレビから視線を私に移し、問いかける。
「眠いね。というか、純粋に疲れた」
特にお前のせいで、という余計なことは言わないでおく。
大人な対応ができて私偉い。
「ふぅん。おやすみ」
さゆちゃんは特になにも言ってこなかった。
決してなにか求めていたかと言われればそういうわけじゃないのだが。
かと言って、なにもないというのはそれはそれで寂しさを覚える。
「お、おやすみ……」
一抹の寂しさと、なにもないんだっていう違和感。それが絡み合って、素直に返事ができなかった。
気だるさを感じながら、私はゆっくりと意識を覚醒させる。
眠い、だるい、辛い、苦しい、二度寝したい。負の感情が波のように押し寄せてくる。そんな中、私の温もりとは違う、温かな感覚が私の手にあった。意識すると色んなところにその温かな感覚があることに気付く。手というか指はもちろん。胸元、腰、太もも、足の甲。
統一性のない部位。言ってしまえば全身だった。
その不思議な温かさを私は思わず求めてしまう。抱きしめたくなる。独り占めしたくなる。
意識がさらにくっきりはっきりしていく中で、この不思議な温かさの正体に気付く。
胸元に目線を落とす。寝起きでぼやけた視界の中、私に温もりを与えていた正体が見える。
「さゆちゃん。なんで?」
さゆちゃんが私の布団の中に潜り込んで、そのまま抱きついて眠っていた。まるで私を抱き枕みたいにして。だから息苦しさがあったし、気だるさもあったのか、と納得できた。
納得できた、じゃない。なんで私はこんなにも冷静でいられるんだ。おかしいだろ。
「おーい、起きて。起きてー。さゆちゃーん」
眠っている彼女を無理矢理起こす。最初はむぐむぐと腕とか足とか上手いこと抜け出そうと思っていたのだが、そうするとガシッと余計に強く締め付けられてしまうので、起こす決断をした。決して、気持ち良く眠っているところをわざと起こそうという悪魔の所業を行いたいわけじゃない。結果的にそうなっているだけ。そこは理解していただきたい。
しかし、声をかけても反応は薄い。
精々「んんっ……」という妖しい声を漏らすだけ。
私のベッドの中でそんな声を出すのはやめて欲しい。普通にえっちじゃんって思うから。推しにそんなことされたら理性が吹っ飛んでもおかしくない。私で良かったね。私じゃなかったら今頃押し倒されて、あんなことやこんなことされているはずだ。
とか言いつつ、実は少しだけ理性のリミッターがおかしくなっていたりもする。
しょうがない。今どう考えてもさゆちゃんが悪いという状況ができあがっているのだから。言い訳の余地を作ってしまうさゆちゃんが悪い。どう考えても悪い。
だから私はさゆちゃんの額にそっと唇をつける。このくらいなら許される。今まで迷惑かけられてばかりだったし、このくらい許されて当然だ。推しに額へとはいえキスをする。背徳感が物凄い。言語化スキルが幼児退行してしまうほどだった。やばい、すごい、えぐい。便利で抽象的な言葉ばかりが浮かんでくる。
「河合さん……」
キスをしたのと同時にさゆちゃんは目を覚ます。
タイミングが良すぎて、実は起きていたのではないだろうかと訝しむほどのジャストタイミング。
でもその思考はすぐに吹き飛ぶ。
まさに寝起きというような目つき、そして眠そうな欠伸、ぽかーんとした表情。
これが演技であるのならば、いますぐアイドルをやめて女優を目指すべきだってほど。
だから本当に寝ていたのだと理解できる。
いや、ねぇ……。
ウチの推し、白雪姫かよ。
さゆちゃんのせいというか、おかげというか、とにかくそういうわけ……で、目が覚めた。寝起きはかなり悪い方という自覚はある。基本的に寝起きは機嫌が悪いし。だけど今日はすぐにシャキッとする。気持ち良いほどの目覚め。
脳みそがしっかりと働いているなと思う。
それを感じながら、目の前の女性をベッドの上で正座させていた。私は腕を組んで見下ろす。
「説明を求む」
なにがどうなって、どういう結果を経て、こうなっているのか。
一から、いいやゼロから説明して欲しかった。
「河合さんのベッドに忍び込んで、寝てた」
さゆちゃんは私がわかっている部分だけをそのまま答える。怖気付く様子もなければ、臆する様子もない。素直に、ストレートに、はっきりと。堂々とされると、まぁそうだし、それだけで良いか……と一瞬思って引いてしまいそうになる。しかし、甘やかしちゃダメだって心を鬼にする。
今までさゆちゃんを甘やかしてきたからこそ、こういう現状が待ち受けていた……のだ。
「私が知りたいのはそこまでの話。なんでこうなったのか、が知りたいんだけど」
「今日の河合さん面倒……かも」
正座をしているさゆちゃんは口元に手を当てて、眉間に皺を寄せる。
「……」
「眠くなったから、河合さんに一声かけようと思って部屋に来たら寝てたの」
「おやすみって言ったじゃん」
「ベッドに入りつつ、中々寝付けないタイプでしょ?」
当たり、だ。
本当に疲れて疲れてどうしようもない日はスイッチが切れたかのように睡眠に入ることもあるが、基本的には三十分ほどごろごろしてしまう。で、寝れないなぁとか考え始めると、脳みそが働くせいでさらに眠れなくなるという悪循環に陥る。
もうなんでそこまで知っているんだって驚くことはない。なんでもありだからね。
「そうだね」
こんな淡白な返事だって余裕だ。
「だから起きてるかなと思って挨拶しに来たわけ。そしたらすやすや気持ち良さそうに寝てたから、そうだ。ベッドに潜ろうと思って――」
「なにがそうだ、なのかな。なにもそうだじゃないでしょ。気持ち良さそうに寝てるな、まではわかるよ。そこからベッドに入ろう! って思考に辿り着くのはどう考えてもおかしい」
「おかしくないよ」
「おかしいよ。おかしい……おかしいはず……」
さゆちゃんは自信満々に答える。だから、あれ、私が間違っているのかもしれない、と不安に駆られる。
間違っている気しかしなくなってくる。
「と、とにかく。勝手にベッドに入り込まないで。それで、勝手に私を抱き枕にしないで」
二つ注文をつけた。
つけてから、私はなにを言っているのだろうかという気持ちになる。
「言えば良いの?」
「……」
そういう問題じゃないと反射的に否定しようと思ったが、事前に告知してくれるのであれば、まぁ時と場合によっては許せることもあるのかもしれない。
でもやっばりアイドルとオタクという関係が構築されているうちはその時と場合とやらはやってこないだろうからなしだ、なし。
「ダメ」
「うーん、じゃあ今度からはバレないようにやるね」
「そういう問題じゃないんだよなぁ……」
あんなことがあったのに良くもまぁそんな悠長だなぁと感心していたが、ふと気付く。あんなことがあったから、こんなにも私に甘えてきているのだ、と。
だから、心を鬼にして、突き放すのはもうやめにしておこう。
って、私、やっぱり推しに甘すぎるかな。
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