第5話

 なんとも言えない空気がこの部屋に漂う。

 とりあえず間違いなく言えるのは一つだけ。気まずい。


 どうすんだよこれ、どうすれば良いんだよ。

 なになになに? せめて二人どっちか喋ってよ。この空気とっぱらってよ。

 少なくとも私にはどうしようもできないからね、これ。二人が作った異常な空気なんだから、責任もってどうにかして。


 と、心の中で叫ぶ。

 その間にもどんどんと空気は重たくなっていく。

 空気が重くなれば、さらに喋ることを憚られてしまう。

 口を開いたら負け。そういう雰囲気さえある。


 「……っ」


 この空気を動かしたのはさゆちゃんだった。

 悩むような表情を浮かべながらも口をもごっと動かす。もっとも動かしただけで声は出ていない。音は聞こえたけど。


 「あっ、まぁ好きだよ、私も。友達として」

 「そうじゃなくて」

 「……仲間として」

 「だからそうじゃなくて」

 「……アイドルとして」


 さゆちゃんは逃げ腰だった。

 一方で星空未来はなぜか追いかける。黙って見過ごせばそれで丸く収まるのに。なぜか追いかけてしまう。


 「私は! 女の子が好き。さゆちゃんが好き。友達としても、アイドル仲間としても、一アイドルとしても! さゆちゃんのこと好きだけど……。そういう好きじゃない」

 「……大丈夫。言わなくてもわかってるから」


 饒舌になった星空未来はどんどんと勢いを増していく。それに伴って声の大きさもどんどん大きくなっていく。


 「わかって! ……ない」


 爆発して、萎む。

 まるで風船だった。

 膨らんで膨らんでパンパンになって、破裂して、萎む。


 「なんにもわかってないよさゆちゃんは」

 「……」

 「私はさゆちゃんのことを恋愛対象として見てるの」

 「……」

 「好きなの。さゆちゃんが」


 愛の告白。真剣な告白。

 茶化すことさえも憚られる。逃げ道を完全に塞がれる。そういう告白だった。

 ある意味でさゆちゃんを苦しめるようなものになる。


 恍けることも、茶化すことも許されない。

 いや、別にしようと思えばできるけど。物理的に不可能というわけじゃないし。

 ただ人としてどうなんだろうとは思う。倫理観がぶっ壊れているような人間であればこの期に及んで恍けたり、茶化したりできるのだろうが、さゆちゃんはあくまで真っ当な人間だ。

 アイドルとしては、そりゃ、まぁ、ツッコミどころだらけな人間ではあるけどね。ファンをストーキングして、隣の部屋に引っ越してきて、こうやって繋がって、最低最悪なアイドルだけど。


 とにかくさゆちゃんが少しだけ不憫に思えた。

 告白を受ける気があるのであれば、全くなにも問題ないのだが、さゆちゃんの表情やらさっきの言動を鑑みれば、受ける気は毛頭ないというのがわかる。

 受ける気がないから逃げようとしていた。ふわふわっと避けていた。核心に触れないように。爆発物でも触るかのように丁寧に。


 眉間に皺を寄せ、そのまま目を瞑り、俯いて、また顔を上げる。目を開き、私と目を合わせ、助けを求めるような眼差しを向けてきた。私は首を横に振る。この場において私が横から入れる隙は一切ない。完全にさゆちゃんと星空未来の二人で完結してしまっていたから。私が二人の間に入ったとして、それが助けになるとは思えない。むしろ場を掻き乱すだけ。今よりもさらに面倒なことになる。そういう未来しか見えない。私が入るのは得策ではない。愚作。


 「わかんない……」


 苦し紛れにさゆちゃんは呟く。

 そして部屋を飛び出す。


 私と星空未来は部屋に取り残された。


 勝手に来て、勝手に場の空気をぐちゃぐちゃにして、勝手に逃げていく。

 いや、まぁ、状況やらなんやら同情する余地は大いにある。

 けど、逃げるのは違うじゃんって思ってしまう。

 この場から逃げる。それってつまり後始末を私に押し付けているようなものだから。

 あまりにも酷い。

 自分で蒔いた種くらい自分でどうにかして欲しい。

 と、直接文句を言ってやりたい気持ちはある。だが、それは酷だろう。

 それくらいはまぁわかる。それに私だって畜生ではない。しょうがないなって流してあげられる。


 「とりあえず星空未来」

 「うん」

 「私、今のはなにも見なかったから。なにがあったのか知らないから」

 「……」


 今の私に星空未来はフォローできない。

 安易に大丈夫だよとか声はかけられない。

 私が今どういう立場にあって、星空未来が私に対してどういう感情を抱いているのか、なんて言われなくてもなんとなくわかる。


 だから私は星空未来を見て見ぬふりをする。


 「さゆちゃん探してくる」


 追いかけるように私は部屋を出る。

 後ろは見ない。振り返らない。

 見たらきっと足を止めてしまうから。だから走る。足音を鳴らして。





 スマホも財布もない。だから一旦家に帰った。

 それらなしに探しに出るのは中々厳しいから、と思って帰ったら私の家にさゆちゃんがいた。探すという手間が省けた。というか良かった。動揺して、なにも持たずに、手がかりなしに探そうとしなくて。


 「さゆちゃん」


 と、リビングで項垂れているさゆちゃんに声をかけた。

 パッと顔を上げ、目を合わせ、死んだような目をしていたさゆちゃんは瞳をキラキラ輝かせた。それはもう瞳の中にエメラルドでも入っているんじゃないかというようなほどに煌びやか。目を奪われるとはまさにこのこと。吸い込まれそうになる。危ない危ない。

 自我を保つ。

 その間にさゆちゃんは私に思いっきり抱きつく。私は勢いに負けて「ぐはっ」という弱キャラみたいな声を出してしまった。

 恥ずかしくて、こほんとわざとらしい咳払いをして誤魔化す。誤魔化せているとは思えないけど。


 「急に抱きつかないで」

 「だめ」

 「そっちが拒否するの絶対におかしいでしょ」

 「だめだから」


 なぜか拒否される。

 すごい。さゆちゃんに拒否権なんてあるはずないのに。まるであるかのように思えてしまうし、実際にまぁ良いかってこの抱擁みたいなこれを受け入れそうになっている。

 とはいえやっぱり色々な意味でダメな気がしてきたので無理矢理引き剥がす。抵抗を見せたさゆちゃんであったが、私の意思の方が強かったようで、無事離れることに成功した。


 「どうしよう」


 離れた彼女は不安を表情に乗せる。

 心の底から不安だと思っているのが伝わってくる。


 「どうすれば良かったんだろう。私わかんないよ。わかんなかったから逃げちゃった」


 さゆちゃんは絶対にダメだったのに、と付け足す。

 わかってはいたようだ。逃げることが得策でないことに。逃げたところでなにも解決しないし、解決の糸口を生むこともないということに。


 「向き合うべきだったんだろうね。まぁどうやって向き合うのって言われても私にはわからないけど」

 「……」

 「そんな悩んで、後悔するなら、いっそのこと受け入れちゃえば良かったのに。別にそれでなにかが失われるわけでもないんだしさ」


 私はアイドルに向かって、なんていう進言をしているのだろうかと頭が痛くなる。こめかみをおさえる。


 「それは無理」


 明確な拒否。拒んだ。

 そうなればもう私にできることはなにも残されていない。


 「そっか……」


 というなんとも言えない反応をすることしかできない。

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