第2話
「で」
「はい」
ソファで向かい合うさゆちゃんは私の声に呼応するように声を出した。そしてこくりとはっきり頷く。
「なんで喧嘩したの?」
私に害がないのならば、そうなんだ大変だね、という当たり障りのない言葉をぶつけておけば万事解決だったんだろうけど。残念なことに実害だらけなのが今である。推しが我が家に泊まるって実害しかない。正直落ち着かない。いくらプライベートの新垣紗優だって自分の中で区分けしているとはいえ、やっぱり頭の中のどっかには「推しが家にいるんだよなぁ」という思考がある。こればっかりはしょうがないんだろうけど。でもしょうがないで片付けられない。だってさ、家でリラックスできないって大問題だから。
「……」
さゆちゃんは黙った。
無言。
言葉が見つからないとか、選んでいるとか、そういう感じではない。
これは……わざと黙っている。頭の中にぽつりぽつりと発言すべき言葉は浮かんでいるのに、それらを見て見ぬふりをして、口を噤んでいる。
言いたくないのか、はたまた言えないような事情でもあるのか。
前者なら自分勝手だな……と思うし、後者ならアイドルだからしょうがないのかもしれないけど私ももう部外者じゃないんだから隠すなよと思う。あれ、結論同じじゃん。
「なんで?」
聞かないという選択肢がなかった。問い詰めないという選択肢もなかった。
だから遠慮なく訊ねる。ぐいぐいと強く、そして大胆に。
ソファの上で徐々に身体を近付けていく。
さゆちゃんはビクッと身体を震わせる。そして少しだけ顔を強ばらせてから、身体を引いていく。じりじりと後退していく。
「なんで?」
ソファの肘掛に背中をぶつけたところで、再度彼女に問う。
追い込んだ。
「みぃちゃんに『そろそろ家出てよ』って言ったら喧嘩になった」
バツが悪そうにぼそぼそっと言った。
「なんでそんなにバツが悪そうなの? さゆちゃんが正しいでしょ」
他人が家に居座る。その辛さとかダルさというのは私も良く知っている。
だから共感できる。
「正しさがすべてじゃないんだよー」
「ふぅん……じゃあ謝って帰れば良いんじゃない?」
そうならさっさと謝って帰れば万事解決。すべて丸く収まる。
家に帰りたいさゆちゃん、家に帰って欲しい私。ウィンウィンだ。
「謝ったら負けな気がするし……」
「なにと戦ってんの」
「戦ってはないけど」
でもそれは戦ってる人の発言じゃなかろうか。
「私からは謝らないから。絶対に」
確固たる意思が感じられた。これは……あれだ。意固地になってる。
なんとまぁ面倒なことに巻き込まれてしまったのだろうか。
面倒だし、面倒だし、それに面倒。
勘弁してもらえないかなぁ。ほんと。
問題の解決はさほど望まない。しょうもない喧嘩だったから。仮にこれがALIVE存続の危機となるような喧嘩であれば、全力で仲介した。ALIVEが無くなるのは困るから。
でもそういうわけじゃない。
だから、問題そのものは本当にどうでも良い。するなら喧嘩しておけよと思う。
ただ家に居られるのは困る。なのでそこだけは解決したい。しかしさゆちゃんに対してあれこれ動いても意味無いのはなんとなくわかった。絶対に意味がないってことはないだろうが。さゆちゃんは今、意固地になってる。そういう状態の人を操るのは難しい。帰れって言っても帰らない。さゆちゃんにアクションを起こすのは愚策。無駄な労力を消費するだけだ。
であるのなら、違う方向からアプローチしなければならない。
そこで選んだ私の作戦。
それを実行するために私は今、とある家の前にやってきている。そして玄関の扉をノックする。
「おじゃましまーす」
相手の返答を待たずに、私は扉を開けて、家に上がる。
迷わずにリビングへと向かう。
ここに居るかなと思ったけど、誰も居なかった。
「あれ」
首を傾げながら、次に居そうな場所へ向かう。まぁあるならあとは寝室かな。
ガラッと扉を開ける。
そこに目的の人物がいた。
その人物はクローゼットの棚から黒くてレース柄のショーツ、所謂おパンツを両手で持って、ギィッと私のことを睨んでいた。
「なにしてんの」
「は? こっちのセリフ、それ」
キレられた。
なんでキレてんだよ。誰でもこの質問するだろ。この状況なら。
実際どうだったのかは知らない。偶然、そういう絵になっているのかもしれない。けどね、状況だけを見れば、「星空未来がさゆちゃんのパンツを漁って匂いを嗅ごうとしていた」ようにしか見えない。私のセリフは至極真っ当だろう。
「どうして勝手に家上がってんの」
星空未来はしばらく間をあけてから今度は真っ当な指摘をしてくる。
普通なら真っ当、が正解か。
私に関してはそれなりに反論できてしまう。
「ここの家主が勝手に上がり込んできてるしねぇ。私が勝手に入っても良いでしょ」
やられたからやってる。それだけ。
単純な話だ。
「そういうもんじゃない……って、さゆちゃんそっちにいるんだ」
「わかってたんじゃないの」
「そうかなと思ってはいたけど、いざそう言われると……」
「……?」
「ファンの家に転がり込むアイドルってどうなのかなって」
もっともだ。
なんというか、普通に情けない。オタクに縋るアイドル。字面だけ見たら酷い。
「とりあえずさゆちゃん返して?」
星空未来はそんなことを要求してくる。
なに言ってんだお前、という目で彼女のことを見てしまう。
「なにその目」
「いや、返すもなにも、そっちが勝手に手放したんじゃんと思って」
「逃げられただけ」
「同じようなもんでしょ」
むぅっと、星空未来は頬をふくらませてめいいっぱい不満をアピールした。
「それよりも」
私はぱんっと手を叩く。
こんな茶番みたいなやり取りは必要ない。さっさと本題を突きつけて、答えをもらって帰りたい。
「なんでさゆちゃんと喧嘩したの」
「……関係ないでしょ」
「関係大ありだから聞いてんだけど」
関係ないと言えないくらいには関わってしまっている。はっきりくっきり、と。
「……」
星空未来は黙った。
「……私が家出した理由」
「ん?」
「私が家出した理由を問い詰められたから無視した。そしたら喧嘩みたいになって、ヒートアップして、さゆちゃんが家を出た」
なにをさしているのかすらわからないような言葉の後に詳細をぶつけられた。
淡々とした口調ではあったものの、その中には怒り? 後悔? それとも間違っていないという自信? のようなものが感じられた。どれかはわかんないけど、明確になにかあるってのだけはわかった。
「家出した理由くらい言えば……」
そこまで言ってから、私は口を噤んだ。慌てて口元に手を当てる。
素直にやってしまったと思った。顔色を伺うように星空未来を見る。
彼女は気にしないというような空気感を出しながら、ふるふると首を横に振った。それを見て私は安堵するように小さく息を吐く。
「言えるわけないよね」
家出した理由。
それは『女の子が好きということをカミングアウトして、両親と喧嘩したから』であった。そんなのさゆちゃんに言えるわけないよな。
「そういうこと」
理由は言えないし、解決するのもまぁ難しい。でも家を追い出されるのはそれはそれで星空未来的には困ってしまう。あれこれ考えたら、黙るという選択をするのは正解だったんだろうなと思う。私が星空未来の立場なら多分同じことをしていたし。
「とりあえずわかった。しょうがないのはわかった……けど」
「けど?」
「さゆちゃんにずっと居座られるのは困る。だからどうにかして。両親かさゆちゃんと仲直りするか、さゆちゃんを無理矢理引き連れるか。それは任せるけど」
私が求めるのは問題の解決ではない。だからこの程度の要求で十分だった。
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