アイドルと家出

第1話

 翌朝。というか、もう昼。スマホの時計は十三って表示してあった。

 純粋にマジかよ……と驚愕する。

 たしかに昨日は疲れてた。慣れない環境で、緊張して、そして夜遅くまで酔っ払いに付き合って、それから帰宅してさらに推しの対応をして。

 疲れるなって方が無理がある。そんな一日だった。

 そう考えると、お昼すぎまで寝過ごしてしまうというのは致し方ないことなのではないかと思う。

 まぁ、今日は休みだし。というか、大学生なんて一年中長期休暇みたいなもんだし。寝過ごしたからってなにがあるわけでもない。特に今日は一日暇だったから尚更。元々ナマケモノも顔負けなくらいだらだらした一日を送ってやろうと思っていた。怠惰を目指していた。

 つまり、出だしとしては絶好調、というわけだ。なにが絶好調だ。


 本当はさらに寝たかったけど。さすがにそれは人として終わってしまうような気がしたのでやめておく。

 というか、リビングから音がする。うかうか寝てらんない。


 「さゆちゃん、今日も来てるのかぁ……」


 音の正体を一瞬で見破って、ため息を吐く。深い深いため息だった。

 しょうがないのでリビングへと向かう。

 無視するという選択肢がなかったかと問われれば決してそんなことはない。無視してやろうと思っていた。けれど、やめた。無視したところでさゆちゃんはどうせ帰らない。私が顔を出すまでどうせ居続ける。だから向かう。そうするしかない。


 リビングにチラッと顔を出す。

 案の定、さゆちゃんがいた。やっぱり。むしろ安心感がある。彼女の顔を見るとホッとする。果たしてそれが正常なのか。一考の余地はある。正常な気もするし、異常な気もする。

 どっちなんだろうね。うーん、わかんない。


 ソファにあるクッションを抱え、顔に押付け、鼻から上だけをひょこっとだし、こちらをじーっと見つめる。

 今の彼女はとてもあざとく、小動物のような可愛さがあった。肉食動物を警戒する草食動物という表現の方が近いのかな。とにかくむしゃむしゃって頭を撫でてやりたい。髪の毛をぼさぼさにして怒られたい。

 そういう欲求に駆られるが、自重する。


 「おはよう」


 代わりに挨拶を一つ置いておく。

 睨むような視線は少しだけ。ほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。気がするだけかもしれない。


 「河合さん、こんにちは」


 冷静に訂正された。

 さゆちゃんが圧倒的に正しくて、私はただぐぬぬってなる。


 「今日はどんなご用件で?」


 別に勝負なんかしていなかったが、勝手に負けたような気分に陥った。そして、負けを認めたくなくて、すっと話を逸らす。惨めだ。


 「えーっと、ちょっと、ね」


 歯切れの悪い言葉が彼女の口から飛び出す。そしてその歯切れの悪い言葉たちは結局明確な言葉として形を成す前にするすると消えていく。さゆちゃんの顔も徐々にクッションによって隠れていく。顔も言葉もなにも見えない。見えるのは髪の毛だけだった。


 「ちょっと、なに……」


 焦らされる。

 まてをされて、そのまま一向に「よし」と言ってくれずにずっとハァハァ言いながら待つ犬みたいな気持ちになった。


 「ここに居ても良い?」


 なんだか弱々しい。

 いつもならそんなこと聞かずに堂々と居座っているのに。

 礼儀正しいというか、まともだからこそ、違和感がある。


 「良いけど……なんかあった?」


 このまま立ちっぱなしというのもしょうがないので、ソファに腰掛ける。さゆちゃんの隣だ。

 さゆちゃんは顔を上げた。顔を埋めていたクッションを今度は腕で抱え込む。


 「喧嘩した」

 「おぉ、喧嘩ねぇ。ん、喧嘩?」

 「うん」

 「誰としたの。喧嘩」


 今のさゆちゃんが喧嘩しそうな相手。ぽつりと一人浮かんできた。

 ただ確信は持てない。そんな中、名前を出して仮に間違っていたら気まずいどころの話じゃない。申し訳なさで切腹することになる。

 だから、敢えて問うことにした。

 さゆちゃんは目線を右往左往させて、私に合わせようとしない。泳いでいる目線の先に回り込んで無理矢理目を合わせると、今度はガチっと固まる。

 そして目を細める。逡巡しているのか、唇を小刻みに動かす。そしてしばらくしてからむぎゅっと唇を軽く噛む。


 「みぃちゃん」


 やっと出てきた答え。

 それは私が想像していたものそのままであった。

 だから特段驚くことはない。まぁ、今の状況から考えて、私の元に駆け込んでくるような喧嘩相手って、居候相手の星空未来しか考えられなかった。後出しジャンケンだって? うるさい、黙れ。


 「ふぅん。そっか。大変だったね」

 「別に同情して欲しいわけじゃない」


 ピシャリと言われる。

 そうですか、すみません。


 「じゃあどうして欲しいの? お金とかあげられないから、同情するしかないけど」


 残念ながらプライベートの新垣紗優さんに貢ぐお金は一銭もない。ALIVEの新垣紗優さんに貢ぐお金は山のようにあるけど。


 「お金が欲しいわけじゃない」

 「ふぅん」

 「しばらく泊めてくれない?」

 「ここに?」

 「そう」

 「うちに?」

 「そう」

 「さゆちゃんを?」

 「そう」


 私の問いにさゆちゃんは何度もこくこくと頷く。

 推しが我が家に泊まりたい、と言い出した。


 「ちょっと、ごめん。考えさせて」


 こめかみに指を当て、眉間に皺を寄せる。そして俯きながら「うーむ」という唸るような声を出す。しばらく考え込む。

 ただの友達や知り合いを泊めるのとはわけが違う。例えばさゆちゃんに加えて、だれかがいる。そういう状況ならば、まぁギリギリ許容できるのかなぁと思うけど……って、それもまぁギリギリアウト寄りではあるが。今回に限っては二人っきりである。アウトもアウトだ。


 「無理かも」


 結論を出す。


 「なんで」

 「さゆちゃんは私の推しだから」

 「……?」


 説明をしたのに、それでっ? という顔をされてしまった。

 マジか、と呆れていると、さゆちゃんはさらに口を開く。


 「アイドルとファンが繋がってるから? ダメってこと?」

 「そうそういうこと」


 わからないのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。

 しっかりと言いたいことが伝わっていた。


 「なら大丈夫だよ」

 「なにが大丈夫なの。どういう根拠で大丈夫だと思ってんの」


 謎の自信を見せてきたので、勢いに任せて深く触る。


 「根拠というかさ、ほら、今私たちって既に繋がり持ってるじゃん。そういうの気にするの今更なんじゃないかなーって思うんだよね」


 そりゃそうだ。今更だ。どう考えても今更だ。私とてそれは知っている。


 「……」

 「ダメ?」

 「もしも、仮に……私が、拒否してさゆちゃんのことを家から追い出したらどうするつもり?」

 「きっとこの辺りで放浪することになるかな。もしくは公園で野宿とか」

 「ホテルとか泊まれば良いのに。野宿なんてしなくてもさ」

 「そんな贅沢できないよ」

 「じゃあネカフェとか、は?」

 「無理無理。そんな贅沢できないから」


 アイドルってもしかしてとんでもなく薄月給なのかな。

 ネカフェでさえ贅沢って相当だと思うけど。


 「財布ないから」

 「えぇ、家に置いてきたの? 財布?」

 「うん。ほぼ飛び出してくるような感じだったし」


 それならたしかに野宿がベターになる。


 「他に頼れる人は?」

 「お金ないから電車乗れない」


 根本的過ぎる問題であった。


 「ダメなら野宿するから大丈夫」

 「なにも大丈夫じゃないでしょ。わかった。良いよ。泊まって良いから。さっさと仲直りしてね」

 「河合さん。ありがとう」


 綺麗な笑みを浮かべ、私の手を握る。握手会みたいな握り方だった。あれ、ライブに来たんだっけって錯覚する。この笑顔に握手に「ありがとう」という言葉。まぁ良いかって思えてしまう。さすがは現役アイドル。人心掌握術がお上手で。

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