アイドルと対バン

第1話

 隣からベースの音が昼夜問わず聞こえてくる。多分さゆちゃんがベースを弾いてる。その音が隣の部屋まで漏れている。

 ぶっちゃけうるさい。煩わしい。

 昼間はともかく、夜はやめて欲しい。

 これ所謂騒音ってやつだ。

 相手が相手なら隣人トラブルになりかねない。

 さゆちゃんはそこまで考えているのだろうか。

 隣の部屋が私だからって気にせず弾いてるのだろうか。

 であるのなら、その判断は正しいと言える。

 うるさいし、やめて欲しいなと思っても、隣がさゆちゃんで、さゆちゃんが懸命にベースを練習してると思うと、ぐちぐち言うのを憚られる。推しが成長しようともがき、練習している。それを阻害しようとするオタクなんか存在しない。推しが成長できるのならば、私の寝不足なんて可愛いもんだ。いくらでも寝不足になってやる。そのくらいの覚悟はある。だから殴り込まない。


 ちなみに、上の部屋は空き部屋。さゆちゃんの隣の部屋。一〇三号室は小路を挟んでいる。電気のメーターとか、水道メーターとか、ガスのメーターとか、あとは大家さんの掃除道具や小物なんかが置かれている。

 というわけで、迷惑を被るのは多分私だけ。

 あまりにうるさければ、一〇三号室にも被害は出るだろうが。今のところは大丈夫だと思う。


 いつ寝てるんだろうかと思う。

 本当にずっと音が響く。

 元々どれほど本気であったのかは不明だが、目に見えて本気になった。それは嬉しい。オタクとして、アイドルじゃなくてバンドのALIVEを見るのを楽しみにしていたから。

 でもそこまで本気になられると心配が勝る。

 大丈夫かな。身体壊さないかな。絶対に無理してるよね、と。


 とはいえ、無理しないでねとも言えない。

 こちらから彼女に干渉するようなことはできる限りしたくないし、それでやる気を損ねさせるっていうのも私が望むことじゃない。

 私が求めているのはほどほどに頑張って欲しい。それだけ。

 そのほどほどってのが難しい……っていうのは、わかってるけど。






 時の流れというのは早すぎる。

 止まれと願っても止まらないし、遅くなれと努力しても実らない。

 あっという間に対バン当日を迎えてしまった。


 いつものオタク仲間を引連れて、例のライブハウス近くへとやってきた。

 ちなみに長谷川は居ない。

 ライブ自体には来ると言っていたが、彼女には彼女のコミュニティが、私には私のコミュニティがある。

 長谷川とは大学で嫌ってほど顔を合わせられるが、このオタクコミュニティはいつ縁切れるかわからない。明日急にぷつんと切れる。そういう可能性だってある。太い繋がりのように見えて、実は蜘蛛の糸よりも細いし、ほつれた糸よりも脆い。だから、このコミュニティと関われる時は極力関わる。多分これはどういう界隈でも同じだろう。


 「まききんさん。偵察してきたんですよね」

 「……なんでその情報を!?」

 「SNSに上げてたのそっちでしょう。てっきり推し変でもしたのかと思いましたよ」

 「私は生涯さゆちゃん単推し! だから。舐めんなよ」

 「舐めてないですよ。勝手に喧嘩売ったみたいな感じにするのやめてください」

 「うわー、フォースひっど」

 「ほら、この人、こうやって俺のこと容赦なく弄るんですから」


 はぁという深いため息と共にフォースはハルヒを指差す。

 指差されたハルヒは心外という感じで、むーっと頬を膨らませた。


 

 「弄ってくれって顔してたのに。私のせーにすんだね」

 「いや、してないですよ?」


 そんな茶番を繰り広げながら歩く。

 あっという間にライブハウス前へと到着する。

 周辺にはファーストのファンであろう人たちがたくさんいる。

 Tシャツや、トートバッグ、リストバンドなど。種類は様々であるが、グッズを身につけているので、ファーストのファンであると判断するのは容易い。

 こうパーッと見渡した時に、見知った顔はあまりない。全くないわけじゃないけど。

 でも明らかに数は少ない。比率で言うと、生徒と教師くらいかな。それほどに少ない。アウェーである。


 観客である私たちでさえ、若干萎縮してしまう。

 あまり慣れてない箱というのもあるけど。

 色々な要因が絡まって、いつもの威勢を失う。弱々しいというかしなしなだ。

 さっきまでぎゃーぎゃー言ってた二人も借りてきた猫みたいになっている。


 「私たちが緊張するのは絶対におかしいけどさ。でも緊張する」


 ドキドキするし、不安になる。

 大丈夫かなって心配になる。

 私たちでさえそう思っているということは、ALIVEの皆はもっとしているのだろう。プレッシャーに押し潰されて死にそうなほどに緊張しているのかもしれない。


 「みぃちゃん。だいじょーぶかな。きんちょーしてないかな」


 ハルヒも似たようなことを考えていた。でもそう考えるのはごく自然。


 「心配されるほどやわじゃない、と言いたいところですが。多分、しているでしょうね。いくらアイドルとしてステージ上に立っていたとはいえ、なにもかもが違いますから。ここは」


 フォースの言う通りだ。

 環境も、やることも、見に来る人も、関係者も。すべてが違う。

 こうやって並べてみると、緊張しない方がちょっと異常だ。仮に緊張したいのだとしたら、なにかしらの感情が欠落しているとしか思えん。


 「私たちになにかできないかな」

 「なにかってなんです」

 「なにかはなにかだよ! 力になりたい! みんなの力に!」


 ハルヒはアニメの主人公みたいなことを言う。暴論に近いところも含めて。本当に主人公っぽい。

 今の私たちにできることなんて、ほぼないに等しい。

 ファンと演者という関係性だから。しょうがない。直接なにか施せるわけじゃない。まぁ仮に直接なにかできたとして、緊張や不安を和らげることができるかと言われれば、それもまた否であるが。無理でしょ。普通に。

 力になれないよ、というのは簡単。ただ頭ごなしに否定するようなことはしたくない。


 「今の私たちには応援と願うことしかできないよ。私たちには。頑張れって祈って応援する。それだけ」


 と、少しかっこつけてみる。

 でも結局こんくらいしかできない。

 私たちは見守ることしかできない。だって、オタクだから。

 ファンだから。


 そうこうしているうちに、開場する。

 子供の授業参観に参加する保護者のような面持ちで、私たちは足を踏み入れた。

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