第6話
「もしもーし」
夜も深いタイミング。医学的にはこの時間くらいから眠り始めると、肌荒れの予防に良いらしい。なんか成長ホルモンが分泌される時間らしくて、新陳代謝に良い時間なんだそう。どこで見たかすら覚えていないような小手先の知識。正直合っているのかすらわからない。そのくらいに曖昧なものである。とにかくそういう時間。
だけど、スマホを耳に当てる。そして声を出した。
相手が出ない、という心配は一切していない。むしろ相手は夜行性。私はもう眠たいなぁ……という感情に支配され、時折欠伸をして、視界を潤ませたりするが、多分相手は元気だ。
『もしもーし。突然どーしたの? こんな時間に』
眠そうな声は一切ない。ハツラツとしている。まるで眠気覚ましでも服用しているかのような元気さである。
さすがは長谷川だ。
「怒らないんだ。何時だと思ってんのって」
『そりゃ起きてたし。むしろここからが本番って感じだかんねー。怒らないよ。怒らない』
本番ってなにが? なにと戦ってんの。
『用事あるんでしょ。河合の声、めっちゃ眠そうだし』
「わかる?」
『うん。寝起きみたいな声してる』
言われて反射的に唇に手を当てる。手を当てたところでどうにもならないのはわかってるんだけど、ね。
というか、寝起きみたいな声って。私そんなに眠そうだったかな。
「眠いから端的に伝える」
『はーい、どーぞ』
「さゆちゃん来るってさ」
『ほぉー。あんなこと言ったけど、ほんとに来るとは思ってもなかったわー』
素直に感心する。そんな反応。
「私はなにがなんでも来ると思ってたよ」
『信頼?』
「んー、どうだろ。でもある意味信頼してんのかな?」
さゆちゃんのストーカー気質に対しては信用してるし、信頼をおいてる。
あそこまでしっかりとストーカーとしていられるのはさゆちゃんしかいない。褒めてはいない。
『なんでそこであやふやになるの』
さゆちゃんがストーカーだから、とは言えない。
「逆に聞くけど。友達のこと心の底から信頼してるって言える?」
『うーん。人によるんじゃない? 少なくとも私は河合のこと信頼してるって言えるよ』
「まじ?」
『まじまじ』
良くもまぁそんな恥ずかしいことを堂々と言えるものだ。
私にはできない。
素直に羨ましいと思う……って、私もアイドルモードのさゆちゃんに似たようなことというかもっと恥ずかしいようなこと言ってたわ。私にも言える資質はあるってことだろうか。多分そう。そういうことにしておこう。その方が精神的に良い。
「ってことなので、さゆちゃんを連れていくから。よろしく」
眠気が限界に達したので、話を纏めた。
ファーストのライブ当日。長谷川に聞いて知ったのだが、ガールズバンドで小さい箱であったとしてもワンマンができるのは凄いことらしい。ワンマンをするってことは、箱をそのグループの力だけで埋めることのできる見込みがあるのだから。しかも何度もワンマンを行っているとなれば尚更である。
アイドルとガールズバンドは似ているようで似ていない。音楽という大きな括りで考えれば同じであるが、細かい部分に目を向けると違うことに気付く。ターゲットやら、なにを目的にしているか、どうやって売上を作っているか、などだ。
まぁつまり。偵察だのなんだのと言ってたが、純粋に楽しみ。
年甲斐もなく前日にドキドキワクワクして眠れなかった。遠足を楽しみにして寝不足になる小学生みたいなことをしてる。
「眠そう」
目を覚ました私はもごもごベッドで丸まっていた。
でもしょうがない。目覚ましを止めるのも許して欲しい。そして二度寝をすることも許して欲しい。昨日はまともに眠ることができなかったのだから。寝不足になるのは仕方ない。文句を言うのなら今の私に対してじゃなくて、過去の私に言ってくれ。
「眠そうじゃなくて眠いんだよ……って」
当たり前みたいに受け答えてたけど、寝室で私のことをじーっと見ているさゆちゃんに驚く。今更か。
「起こしに来たの?」
「寝顔見に来た」
「……起こしに来たんじゃなくて?」
「ううん。寝顔を見に来ただけだよ」
冷静に再度問うと、冷静に再度答えがくる。
聞き間違えではなかったらしい。彼女の言い間違いというわけでもない。本当にただただ寝顔を見に来ただけ。マジかって思う。寝起きの冴えない視界で私の顔を覗き込むさゆちゃんの顔をじーっと見つめる。顔を背けることもなければ、顔を歪めるようなこともない。見つめられたから見つめ返す。という感じで、じーっとこちらを見てくる。やましいことがあるわけじゃないのに、思わずこちらが目を逸らしたくなってしまう。
「私の寝顔なんか見てさ、楽しい?」
目を擦りながら、問う。
嫌味ではない。純粋無垢な疑問である。
果たして私の顔なんか見て楽しいのだろうか、という疑問。
特別可愛いわけでも、カッコイイわけでもない。かと言って、国宝級のブサイクかと問われればまたそれも違う。中の中。良くもなければ、悪くもない。そんな人間の顔を見て、楽しいという感情を抱くのが、あまりにも不思議であった。
「楽しいよ」
さゆちゃんは私の顔に手を伸ばしてくる。
頬を指で撫で、輪郭を沿ってつーっと指を耳タブまで持ってきて、ふにふにしてからそのまま額まで進行させて、前髪を触る。
表情は恍惚としていた。
あまりにもうっとりしていて、これ以上声をかけるのは憚られるほど。やめてと声を上げるのもやめといた方が良いかなという意識が働いてしまう。
プライベートゾーンにづかづかと踏み込まれ、ボディタッチも重め。であるが、嫌悪感は一切抱かない。なんならこれが心地良いとさえ思う。
「そっか」
淡白な返事。
今の私にはそれが精一杯だった。
「河合さん」
さゆちゃんは私の名前を呼ぶ。
別に珍しいことでもない。なのに心が揺れる。
「……」
朝なのに変な空気が漂う。
まるで夜のような妖しい雰囲気。油断するとそのまま丸ごと飲み込まれそうになる。
その時のことだった。
ブーブーブー。
スマホが鳴り響く。
さゆちゃんはビクッと身体を震わせて、私から距離を取った。
絵に描いたように驚いている。
まぁ私も多分似たような反応をしていた。だから人のことは言えない。なので苦笑するだけ。
音が鳴るスマホを手に取る。
そして腕をのばし、掲げるようにスクリーンを見る。
着信。その主は長谷川であった。
朝からなんだよ、と思いながら電話に出る。
「もしもし」
『河合!』
「え、なに……」
あまりの勢いに気圧される。
『ライブ今日だから連絡したんだよー』
「デートみたいなことしないで……」
「デートっ!?」
さゆちゃんは叫んで、腕を組んで、ぐぐぐと私のことを睨む。
「みたいって言ってんじゃん」
『アッハッハ……河合に恋は難しいって思われてんだねー』
長谷川は勘違いをしている。絶対に勘違いをしている。
癪に触る。それは間違いない。どんだけ私のことを低く見積っているんだ。恋人くらい一人や二人作ろうと思えば簡単に……って。あれ? 作れないな。長谷川は勘違いしているのに違いはないが、別に低く見積っているわけじゃない。むしろ正当な評価をしているまである。
目の前にいるさゆちゃんは不満顔だし。これからどうやって機嫌とんだよ、これ。
悩み、迷い、絡まった糸のようにぐちゃぐちゃになる。
「バーカ、行くから、待ってろ! バーカッ!」
色々な意味で敗北を押し付けられた私は、著しく語彙力と思考力が低下した。
『小学生かよ』
「小学生みたい」
電話口と目の前、二方向から同様の言葉をぶつけられた。
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