第2話
「ひっどい」
思わずそう呟いてしまう。
まず気になるのは物販で売っているようなフェイスタオルがくしゃくしゃになって転がっているというところだ。それから乱雑に置かれているポスターたちも気になる。物によっては一切封を空けられていない。買ってそのまんまという感じだ。アクリルスタンドも飾っているのか、放っておいているのかわからないような扱いだ。ほとんどが倒れている。
部屋を見渡し一番気になるのは山積みであったろうCDが崩れて、悲惨な状態になっているところだ。何枚あるのか、ざっと数えられないほど多い。
「ねぇ……」
私はできるかぎり深刻そうな雰囲気を出す。
「どうした河合」
「今猛烈に帰りたいんだけど」
一歩下がって、今すぐにでも逃げられる。そういう体勢をとる。
「まぁまぁそう言わずに。ほら、入るだけだから」
「……」
逃げられそうだと長谷川は察したのか、私の手をガッチリと掴む。所謂恋人繋ぎというやつだ。
そりゃもうねっとりと、絡ませてくる。
状況が状況であれば、エッチな雰囲気は加速する。だけど今はこんなことされたって一ミリもエッチな気持ちにはならない。
むしろ恐怖が勝る。
「逃がさないよ」
とか言われちゃうから尚更怖い。
「逃げないから」
「つま先、エレベーターの方向向いてるけど」
「そういう気分なだけ」
「そういう気分ってどういう気分」
「エレベーターにつま先を向けたい……気分? みたいな?」
言っていて思う。
無理がある、と。
だいたいなんだよ、エレベーターにつま先を向けたい気分って。聞いたことないんだけど。
無茶苦茶な言い訳に対して頭を抱えたくなる。うがーって。
そんなことをしていると、ぐいっと手を引かれて、部室の中に引きずり込まれてしまった。
「え、あ、ちょっ」
反抗混じりの声を出すが、もちろん誰も手を差し伸べてくれない。そもそも夏休みのサークル棟は人気がないし、運良く誰かが通りかかるなんてことがない。だから、私の出した声は空虚に消えていく。水に溶ける砂糖のように。
パタンと扉は閉じられる。密室。
この前のここへやってきた時の記憶ではもうちょっと広かった……という認識であったが、手狭だ。
二人で窮屈だと思って相当の狭さ。私の家よりも小さい可能性さえある。
まぁ冷静に考えれば、部屋の広さが数ヶ月で勝手に変わるなんてことはありえない。生き物じゃあるまいし。成長も退化もしない。
単純に散らかっているからそう思うだけ。
気持ちの問題か、実際物が多すぎて空間が狭くなっているか、どちらかだ。
「人を招く前に片付けたら?」
なににせよ、片付けた方が良い。
だから素直に提案した。
「そうだよね。河合もそう思うよね」
部屋を見渡しながら、彼女は苦笑する。
てっきりああでもないこうでもないって反論されるもんだと思っていたので、ちょっと……いいや、かなり、拍子抜けしてしまう。
「そう思うなら片付けてよ」
「片付けられるなら片付けてるよ」
「う、うん?」
「一人で片付けられるならとっくにやってるって話」
「いや、うん……」
嫌な予感がした。
相当な面倒ごとを押し付けられそうな。そんな嫌な予感。それを想像して、ぐへーっと顔を歪ませる。
できることならここから逃げ出したい。
でも部屋に入った今でさえ、指を絡ませて手を繋いでいるので逃げられない。今だけはトカゲになりたい。
「河合、お願いがあるんだけど」
「嫌。却下」
「まぁまぁそう言わずにさ」
宥められた。
しょうがないので話を聞く。
「手伝って? 片付けるの」
やっぱりそう来るか。
なんとなく想定できていた。故に驚きはない。
「嫌だよ」
とはいえ、嫌なものは嫌。
面倒じゃん、片付けって。
百歩譲って自分が関与するところの片付けなら良いよ。自室とかならね。
ここは部室。私が使用することはまぁほぼない。そんな部屋の片付け。しかも私が汚したわけでないし。そんなところの片付けを時間かけてやれって……相当なお人好ししか請け負わない。それか世話焼き好き。
しかも滅茶苦茶散らかってるから、片付けに相当時間かかるだろうね。
「本当に嫌なんだけど……」
念押し。
そして、あわよくば「そんなに嫌ならじゃあ良いよ」と言ってくれるのを期待している。
「そこをなんとか!」
「えぇ」
「ね、お願いっ!」
パンっと手を合わせてくる。
神に祈るような、懇願の仕方。
そのまま勢いで土下座までしてきそうだった。
私とて、知り合いに土下座をさせたくはない。なんか私が悪いことしているような気分になるし。
「……わかった。片付けよっか」
我ながらなんとまぁちょろい人間なのだろうかと悲しくなる。いや、ほんと、マジで悲しくなる。こんなんだからこうやって片付けの手伝いをさせられるし、推しが我が家に転がり込んできても追い出せずに迎え入れてしまう。
端的に言ってしまうと「舐められてるんだろうなぁ」という話。
だから悲しい。わかってても直せない。これが私の性格だから。
「やったー。河合。神だね」
「こんなんで神なら、長谷川視点九割くらいの人間は神になっちゃうね」
疫病神とか死神とかそういうのも含めたらぜんいん神も夢じゃないかも。
なんつーか脳天気なやつだ。
「てか、なんでこんなに汚くできるわけ? ある意味すごい才能だよ。これ」
「でへへ」
「いや、褒めてないからね」
嬉しそうな反応を見せた長谷川に対してつっこむ。
ベタ過ぎるつっこみをさせないで欲しい。こっちが恥ずかしくなるんだけど。
「このCDは?」
「握手会に参加するのに必要で溜まってく一方だったやつ」
「……」
思い当たる節がありすぎて、黙ってしまった。
一歩間違えれば、私もこんな風になっていただろう。
というかこれからこうなる可能性だってある。今はまだなんとか管理できているけど。
「じゃあ……この、タオルは?」
「会場の空気に飲まれて買ったは良いけど、普段使いできないからここに放置してる」
「……」
気持ちはわかる。
フェイスタオルって案外使い道ないし。その上デザインがこてこてだとさらに使える場面が限られてしまう。そうなると自然と押し入れコース行きだ。
「あのアクスタは? 飾ってんの?」
「飾ってるけど。すぐに倒れるから。もうそのまんま」
部屋が汚い弊害だよ、それ。物が多いから、当たって倒れるんだよ。
「このチケットは?」
「記念にと思って取ってはいるけど、置く場所なくて放置してる」
チケット系は一度収集し始めるとキリがなくなる。あれもこれもって貯め始めちゃうから。良くないよね。ほんと。
「……」
アイドルからインディーズバンドまで幅広く浅く追いかけている長谷川だからこそ陥ったこの汚さなのかもしれない。
特にCDの山積みに関しては共感しかできないし。
「とりあえず売れそうなものからわけていこうか……」
他人事じゃないなと思って、本気で取り掛かろうと決意した。
片付けていく。
その中で私は「あっ」と声を漏らす。
手に取ったのはALIVEのCDだった。
持っていてもなんら不思議じゃない。驚くようなことじゃない。が、やっぱり想定していないところで好きなものを見つけると心は弾む。得したような気分に陥る。
「さゆちゃんじゃーん」
手を止めたのに気付いた長谷川は私の頭に顎を乗せて、CDを見下ろす。
「可愛いでしょ? こんなに可愛い子がね、私の推しなんだよ」
「だねぇ、さゆちゃん可愛いよねぇ……。って、そうだ」
私から離れて、ぽんっと手を叩く。
「ALIVE関係で河合に言っておこうと思ったことがあったんだ」
「言っておこうと思ったこと……?」
話を切り出され、私は首をこてんとかしげた。
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