第2話

 家でごろごろしていた。

 いつもならライブで体力を使い切るのだが、今日はあまりに余っている。ベッドで横になっても眠れない。むしろ、眠れないというように意識をするせいで脳が覚醒しているまである。勘弁して欲しい。

 脳内でALIVEの音楽を流す。こうなってしまったら数時間は眠れない。こういう時は睡眠を諦めるに限る。


 照明のリモコンを無造作に探す。こつんと指先がぶつかる。鷲掴みするように確保して、ボタンを強く押す。そうすると部屋は光に包まれる。まるで雷鳴でも響いたかのように。それから上体を起こして、ぐーっと背を伸ばす。

 一睡もしていないのに、数時間程度寝たような気分になる。得した気分だ。


 眠れない憂鬱な気持ちと、実質寝たわという高揚した気持ちがぶつかり合って、私の中で勝手に喧嘩する。それを仲裁するように、玄関の扉が開く音が聞こえた。

 目を細め、耳を澄ます。

 気のせいだろうと思うことにしたけど、それを邪魔するかのようにつかつかと足音が聞こえてくる。とてもじゃないが、気のせいだって思えない。気のせいってことにはできない。


 「今日も……かぁ」


 誰かが我が家に侵入してきている。それは足音から明白にわかることであった。

 女性一人の家に誰かが侵入してきている。本来であれば警戒すべきなのだろう。でも警戒心は一切抱かない。

 誰が入ってきたのか。顔も声も聞いていないが、大体見当がつくからだ。


 ぎぃっと睨むようにして寝室の扉を睨む。

 待ってましたと言わんばかりにぐいーっと扉は開く。

 扉の向こうに立っていたのはやっぱりさゆちゃんであった。

 驚きもしないし、ホッとすることもない。

 これが当たり前、とさえ感じている。うーん、明らかにおかしい。


 さゆちゃんはなぜか私のことを睨んでいる。

 誰がどう見てもさゆちゃんは怒っていた。ぷんぷんとかぷんすかとかそういうオノマトペじゃ支えられないくらいには怒っている。

 いや、なんでよ。なんでそんなに怒ってんの。てか、怒りたいのこっちなんだけど。勝手に家に入られて。


 「どうしたの」

 「なんで今日来なかったの?」


 問い詰められる。

 デートにでも遅刻したのかなってくらい怒ってる。


 「ごめん。話が見えてこない。まずなんの話し? どこに私が来なかったの?」


 一瞬ライブかな、と思った。接触イベントには顔出さなかったから。

 でもライブそのものには参加していたし。

 だから問う。


 「ハートビーオン」

 「いや、行ったし……」


 もしかしてと思ったが、やっぱり来ていないと思っていたらしい。

 たしかにいつもの場所にはいなかった。だから私を見つけるのは難しかったと思う。けど、中団だよ。しかも人の影に隠れないように意識もしてたんだよ。だから見つけられないってのは私の責任じゃなくて、探す意識が欠如していたさゆちゃんのせいなんじゃないのと思う。


 「いなかったよ」

 「行ったから。まじで」

 「ほんと?」

 「こんなしょうもない嘘吐かないよ……」

 「……浮気してるなら嘘吐く理由になる」

 「浮気って……。アイドルに関しては興味あるのさゆちゃんしかいないから。正直みぃちゃんとあかりんにも興味ないし。私にはさゆちゃんしか見えてないよ」


 アイドルとして、という部分はしっかりと強調しておく。そうしないと厄介な方向に話が逸れていきそうな気がしたから。

 実際アイドルとしてのさゆちゃんには釘付けになっている。他のアイドルとかどうでも良いレベルだ。私にはさゆちゃんしか見えていない。だから浮気とか言われるのはちょっと心外だ。想いって伝わらないもんだなぁと思う。言葉にも出して、行動でも示しているのに。こればっかりは難しい。


 「本当? 私しか見えてない?」


 流れるようにベッドに寄るさゆちゃん。そして私の隣に座って、太ももにそっと手を乗せる。妖艶な雰囲気が漂う。


 「もちろん」

 「じゃあなんで握手会来てくれなかったの?」


 太ももから手を離した。


 なんでって言われても困る。

 うーん、なんでなんだろう。

 別に握手券付きのCDが買えなかったというわけじゃない。そりゃいつもより購入枚数は少ないけど。でも手に入った。ただ行かなかった。一応手元には握手券とCDがある。

 行こうと思えば行けた。


 「なんでだろ……」


 考えれば考えるほど、なぜ行かなかったのか。不思議でしょうがない。

 当時の私は「行かない」という判断をした。具体的になんでという理由はなかった。そうした方が良いと直感的に思ったから。そうした。

 でもその直感にもそれなりの理由があるはず。こうした方が良いと思った理由が……。

 じゃあそれってなんなの。って言われるとわからなくなる。


 「……」


 さゆちゃんは不安そうに私のことを見つめてくる。

 そんな表情をされると罪悪感を抱いてしまう。なんか悪いことをしたような気分に陥る。

 とはいえ今かけられるような言葉もない。


 「……」


 だから私も黙る。その沈黙をさゆちゃんは破った。


 「本当は私のこと嫌いになっちゃったんじゃないの?」


 今にも泣き出しそうだ。

 声が震えている。瞳も潤み始めていた。


 「それは! ない! ありえない……」


 思わず叫ぶ。さゆちゃんはビクッと身体を震わせた。

 私は「ごめん」と弱々しく謝る。

 でもありえないから。アイドルのさゆちゃんを嫌いになるなんてことは。推しに関しては盲目である。アイドルのさゆちゃんだったらなにをしていても可愛いし、愛おしいし、好きになる。多分人殺しをしていても「好き……」ってなる。極端すぎるけどそのレベルだ。

 アイドルのさゆちゃんはね。隣人のさゆちゃんは知らん。

 スマホで盗聴、盗撮は普通にキモイと思ったし。もちろん直接言わないけど。


 「じゃあ。どうして?」


 ぐるぐる回って、結果この質問に戻ってくる。

 そして私もまたその答えを探そうと頭を回転させる。で、結局答えに辿り着けずにわかんねーってなる。


 「それはわかんないけど。でも見てよ。この部屋。嫌いになったらグッズなんてぜんぶ片付けるよ。嫌いな人の顔なんて見たくないじゃん!」


 言葉で説明するのは難しい。頭の中がもやもやして、言語化しようとするとエラーを吐く機械のように思考が停止する。ただ言葉で説明できないだけ。それ以外の方法ならどうにでもなる。というか、やり方はあるよねって感じ。


 「そうかなぁ」

 「そうだよ。普通はそう」

 「でも面倒なだけって可能性も……」

 「もー。なんでそんなに卑屈なわけ」


 面倒なのはお前だよ、と言いたくなったがグッと堪えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る