第10話

 カフェの端っこで甘ったるいカフェオレをちまちまと飲む。これカフェオレじゃなくてミルクコーヒーなんじゃないかってくらい甘い。

 まぁ向かいに座る星空未来のせいでその甘さは中和されているのだが。


 彼女はブラックコーヒーをすする。

 せっかくカフェに来たのに、会話は特にない。生まれない。

 飲み物という会話をしない理由があるから、ずっそそこに逃げてしまう。別に喉が渇いているわけじゃないのに、口をつけて、時間を埋める。喋らないことをそうやって正当化する。


 「どっちから話す?」


 ことんとカップを置いた星空未来は若干迷うような仕草を見せながらもそう問う。


 私の話は無理矢理捻り出したものであり、そこまで気にしていたことではない。だからこの場において、率先して話題を切り出す……というようなことをするつもりないが、私もなにかしら話さなきゃならない雰囲気になっているのもまた事実。じゃあさっさと言ってしまえと思うかもしれないが、先に話すほど軽い話でもない。ただでさえ重たい空気がさらに重たくなるのが目に見える。


 「……」


 かと言って、お先にどうぞとも言えない。

 言えないというか、言う勇気がない。


 どうしたもんかと黙り、様子を伺う。私あれだな、黙ってばかりだな。


 「うぅん……」


 頬杖を突き、私のことをじーっと見つめる。見つめるというか睨む。

 とても行儀の良い態度とはいえない。それでも絵になっているのはやはり顔が整っているから、なのだろう。


 「先にいいよ。話して」

 「えっ……」


 黙り込んでいると、会話の主導権のバトンを突然渡された。

 肯定も拒否もしなかった私が悪いと言われればそれまでだが。こういう時って普通は言い出しっぺが話を始めるものではないだろうか。

 じゃあ話しますって素直に言えない程には気分が悪かった。

 でもまぁこうなった以上私から喋らなきゃいけないのは決定事項と言える。

 私の性格上、今更断れないし。だから結局そのバトンを受け取ってしまう。押し返せば良かったがそんなことはできなかった。


 「触れるなよって思うことかもしれないけど……」


 だから意を決した。覚悟を決めた。

 そして前置きを口にする。


 「それは多分お互い様じゃないかな」

 「お互い様?」

 「そう。多分私の用件も、まき……いや、河合さんで良いか。今はプライベート……というかお隣さんとして会話してるし」


 お隣さんなのは星空未来じゃなくてさゆちゃんなのだが。いや、居候という立場である以上、星空未来もお隣さんになるのだろうか。

 うーん、その辺の扱いは良くわからない。難しい。日本語って。

 まぁ良いや。なるってことで。そんなに重要なポイントでもないし。


 「私の用件も河合さんの感情をぐちゃぐちゃにすると思う」

 「ぐちゃぐちゃ……? かぁ」


 眉間に皺を寄せた。

 つまり、どういうことなんだ?

 ぐちゃぐちゃというなんとなく曖昧で造形の見えない言葉を使ってくる。

 傷付けるとか、面倒臭いとか、気分を悪くするようなとか、そういった言葉であれば覚悟のしようがあるのだが、これだとどういうモチベーションで聞けば良いのかわからない。


 「だから良いよ。先に話して」

 「じゃ、じゃあ……」


 マイナスとプラス、どっちに振り切れてもおかしくない会話を先にされるのはちょっとというかだいぶ困る。プラスであるのなら良いが、マイナスであった場合、どうやってテンションを保ち私から話題を振れば良いのかわからない。

 だったら先に話しても良いかぁという気持ちにさせられた。掌で弄ばれているのだろうか。そうだったら……うん? そうだったらなんだろうか。別に良い気がしてきた。正直、星空未来にどう思われようが関係ないし。さゆちゃんに嫌われるのは嫌。冗談抜きで自分で命を絶つという許されざる行為を本気で検討するくらいには嫌だ。でも星空未来に嫌われたところで、ふぅん、それで? という感じだ。全くショックがないというのは流石に強がりだけど、それで寝込んだり落ち込んだりするほどのショックはない。

 嫌われても良いかって考え始めると、なんでこんなにも尻込みしていたんだろうかと面白くなってくる。


 「え、なに? 急にニヤニヤしないでくれる」


 星空未来は露骨に引いた。

 頬が緩んでしまっていた。

 でもしょうがない。頬を緩まさざるにはいられなかったのだから。頬を触って、バレないようにこそこそと深呼吸をして、すっと表情を戻す。


 「ニヤニヤしてない……けど」


 と、まるでなにごともなかったかのように、大嘘を吐く。

 コイツマジかよ、みたいな眼差しを向けられるが、知ったことじゃない。バレバレ過ぎる嘘。だけどまぁ良い。嫌われる勇気を手にした私には容易いことであった。


 「星空未来」

 「またフルネームなんだ」

 「推しじゃないのにニックネームで呼ぶのはなんか気が引ける……」

 「みぃちゃんでも良いんだよ。私的には」

 「いや、私が嫌。そういうのは推しだけにしたい」


 星空未来の接触イベント列に並んだりしておいて、なにを今更……という感じはするけど。でも気が引けるのだからしょうがない。多分こうやってさゆちゃんに黙って二人で会っているという罪悪感も起因しているのだろう。

 ふぅん。一応悪いことをしているって自覚は私にもあるんだ。と、今頃になって気付く。


 「そういうもの?」

 「オタクはみんなそうかと」


 と、勝手にオタクを代表してしまった。ぼんやりとハルヒの顔が浮かんでくる。そういや彼女はさゆちゃんのこともさゆちゃんって呼んでるな。一瞬で私が異端であることに気付いたが、このタイミングでやっぱり違うと否定するのは違う気がする。


 「じゃあ別にそれでも良いや」

 「どうも」


 突っつかれたら簡単に嘘がバレるなぁなんて思っていたので、あっさりと引いてくれて助かった。とはいえその感情がバレると厄介なことになりかねないので、そういう素っ気ない反応をした。


 「本名じゃないし」

 「え?」

 「え?」


 嘘がどうとかどうでも良いなって思うくらいの爆弾発言をした。しかもポロッとだ。お腹空いたとか眠いとか疲れたとか、そういうことを言うくらいの軽い雰囲気で。テンション感絶対に間違ってる。


 かれこれ……えーっと、何年だろう。とにかく長いことALIVEのファンをしてきた。ALIVEのファンをしていたということは当然ながら、推していないながらも星空未来という存在をそれだけの期間、見ていたことになる。

 入学したての小学生が卒業するくらい……なんならそれ以上の付き合いである彼女だが、本名じゃないなんて知らなかった。


 「そんな驚くことじゃないでしょ。星空なんてロマンだらけな苗字存在しないよ。未来って名前はいるだろうけど」


 言われてみればたしかにそうだ。

 星空未来なんて名前、ロマンに溢れている。アニメチックというか、創作チックというか。非現実的な名前だった。

 良く考えれば案外わかったのかもしれない。まぁそれだけ興味がなかったということだろう。


 「で、話を戻して。どうぞ」


 いや、無理でしょ。

 気になるんだけど。

 本名は? これ聞いちゃって良いのかな。偽名だと暴露したってことは聞いても良いってことなのだろうか。でも本当の名前は口にしなかったし。そこは触れないで欲しいのかな。

 嫌われる勇気を持ったとはいえ、ちょっと流石に躊躇する。人としてというか、オタクとして。

 アイドルの本名を探るようなことはあまりしたくない。

 オタクとしての私のポリシーに反するような行いだから。でもそれはそれとして気になるのもまた紛うことなき事実であって。

 いや、ないな。そもそもそんなに興味ないわ。別に本名知ったところでふぅんで終わっちゃうし。


 「じゃあ戻す」


 彼女はこくりと頷く。


 「星空未来。なんで家出したの?」


 さっき聞こうとしたことを改めて訊ねた。

 別に真摯に答えてくれたからって、私になにかができるわけじゃない。というか素直に答えてくれたところで私にはなにもできない。さゆちゃんとの関係はちょっと歪であるが、それ以外に関してはただのオタク。ファンである。普段はサボることしか考えていない女子大生。周囲よりも貢ぐ額の多い新垣紗優オタク。それだけ、だ。

 本当に空白を埋めるためだけの質問であった。

 だからそれ聞いてどうするんだろうという気持ちが、言葉を放った今でも私の頭の中をぐるぐると駆け巡る。答えは出ないというか出せないから、その駆ける思考はさらにスピードを上げる。


 「うぉ。本当に触れるなよってことじゃん」


 星空未来はおどけたような反応をした。

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