第9話
ハルヒを駅まで送り、帰宅する。
家には誰もいない。これが普通。当たり前。なのだが、なんとなく違和感というか寂しさがあった。
さゆちゃんは家に帰ったのだろう。この隔てる壁の向こう側にいるはず。多分。
「……ふぅ」
一人になったことで、溜まっていたであろう疲労感が波のように押し寄せてきた。それにお腹も空いた。
残された味噌汁を温める。
何人家族用のレシピで作ったのだろうか。かなり量がある。しばらく朝は味噌汁を楽しめそう。というか味噌汁って腐ったりしないのだろうか。カレーみたいに寝かせると美味しくなるみたいなのは聞いたことないし。豆腐が若干怖いけれど、その他はまぁ冷蔵庫に入れておけば腐る心配はあまりなさそう。数日なら。数ヶ月ってなると話はだいぶ変わるけど。
推しに貢ぐために無理な節約生活を送っているのに、推しに節約の手助けをしてもらった。さゆちゃんに貢いだお金をさゆちゃんから還元されたような形である。味噌汁の材料なんて我が家にほとんどなかったし。豆腐なんて絶対になかった。どれだけの材料かは不明だが、明らかに買い出しをした上で味噌汁を提供してくれた。用意周到である。
というか、もしかしてこれってお金を支払った方が良いのだろうか。状況が状況だったかは費用を要求してこなかっただけ……という可能性はあるよね。
レシートくれればお金渡すつもりだけど、さゆちゃん居なくなっちゃったし。わざわざそれだけのために推しの家に行くってのもなんだかなぁという感じだ。そもそも推しの家には行きたくない。
「まぁ、あれか。コンビニで材料の相場でも見てきて、お金をポストに投函しとくかな」
味噌汁に使う材料なんてそう多くない。豆腐、わかめ、ネギという具材にみそとだし。これだけで味噌汁は作れる。ここからなにか隠し味とか入れているのならちょっとわかんないけど。まぁなにか隠し味があるのならそれはまた別途要求してもらおう。
味噌汁をつくりにあたって必要な材料の値段をコンビニへ確認しに行くことにした。貢いだ分はファンサで返して欲しい。奢られるようなことはオタクとして本望じゃない。私の自己満と言われてしまえばそれ以上なにも言えない。ぐうの音も出ない。
「財布持った。スマホ……持った。メモは……スマホ使えば良いか。うん、オッケー」
パンっとわざとらしく手を叩く。
外出準備を終えた。それじゃあ買いに行こう。そうしよう。
外に出る。もう夏も終わりだというのにまだ暑い。セミの鳴き声がうるさくて、余計暑さを感じてしまう。やっぱり家に帰ろうかな。夏の終わりとはいえ、真昼間に外へ出るもんじゃない。
項垂れて額から輪郭を伝いぽたぽたと垂れる汗を拭う。そして踵を返そうとした時だった。ぎぃっと立て付けの悪い音を響かせながら、隣の玄関の扉が開いた。新垣宅の扉である。
人の気配を察知して私はそちらに目を向けた。扉を開けた方も私の方を見ていた。目が合った。合ってしまった。足を止めていたので、今更立ち去るわけにもいかず、ぼーっと立ち尽くす。彼女はちょっとビックリするような反応も見せる。私も音に対してビクッとしていたので反応に関してはお互い様だ。驚いたことに関して恥ずかしさは多少あったけど、お互い似たような反応をしていたのでそこは触らない。触ったらブーメランが帰ってくるのが目に見える。わざわざ針山に登るようなことはしない。多分あっちもそう思っているから指摘してこない。ツッコミももちろんない。
金色に近いクリーム色のポニーテールがゆらゆらと揺れている。
ハルヒなら興奮と暑さで鼻血を噴水のように出していたかもしれないが、私は大丈夫。
「星空未来……」
鼻血の代わりに、出てきて目が合った人物の名前をぽつりと呟く。
「なんでフルネーム」
「あっ、つい心の声が……」
「心の中で私のことフルネームで呼んでたんだ」
「私の中のアイドルはさゆちゃんだけだから」
「そう……」
「……」
「……」
間にさゆちゃんがいれば会話に空白が生まれることはない。仮にあったとしても今みたいに重たくて逃げ出したくなるような酷い空気ではない。
玄関前で顔を見合せ、会話が続かなくなり、とても気まずい。
気まずいからなにか話さなきゃという気持ちになるけど、じゃあなにか会話のネタがあるかと問われれば……ない。特に話したいことはないし、話せることもない。今日は良い天気ですねみたいな鉄板ネタでもぶつけておこうか。でももう今更言えるような雰囲気ではない。少なくともその程度の会話ネタでこの空気を払拭することは難しいだろう。
沈黙は流れ続ける。
時は止まらない。都合良く止まるわけがない。だから時間と空気の重たさだけがどんどんと大きくなっていく。
その間にも考える。この沈黙をどうやって割ろうか、と。割るためにはどうしたら良いのか、と。考えて、考えて、さらに考えて。そして結論を出す。
とりあえず会話をすりゃ良いのではないだろうかという果たして答えになっているのか……と懐疑的になるようなものであった。
少なくとも単純で簡単すぎるもの。捻りが一切なく、これで良いのかと不安になる。
「そういえば……」
「あのさ……」
捻り出すように出した言葉は星空未来の言葉と被ってしまった。タイミングを間違えてしまった。
「……」
「……」
お互いに言葉が被り、喋り出すのを譲るために黙り込む。星空未来も同じことを考えたのか喋らない。ちらちらと視線を合わせ、譲り、タイミングを見計らう。
「そうだ。とりあえずカフェでもどう? お互いに話したいことあるみたいだし。まぁ……チェーン店だけど。それでも良ければ」
ずっと黙っていると、星空未来は困ったように笑いながら提案をしてくる。
カフェに行ってまで対面で話したいことはない。今のもあくまで沈黙に耐えられなかったから言葉を発しただけだし。
でも断るのもまた難しい。ここで「行かない」と断れる勇気があるのなら、さっきの沈黙だって怖くない。
「コンビニ行こうとしてただけだから……良いけど」
「じゃあ行こうか」
と、カフェへと連れて行かれることになった。いや、今から普通にめんどいな。
まぁ星空未来にお味噌汁代渡しちゃえば良いか。そのついでってことで。
「というか、繋がりじゃないこれ? 大丈夫なの?」
まぁ良いかって結論付けて数秒で疑問がふと出てくる。カフェに行く相手は星空未来である。地下とはいえアイドルだ。これは繋がりになるのではないだろうか。というか、推しのメンバーとカフェに行くってどういう状況だよ。せめて推しであれよ。繋がるの。
「なに? 私に興味あるの? 推すの? 推してるの?」
アイドルモードか私生活モードかちょっと判断できないテンション感である。グイグイくるけど、声のトーンはそこまで元気がない。キャピキャピしていないという方が正確か。
「それはないけど……」
「じゃあ良いんじゃない? 大体、さゆちゃんとの繋がりの方がいろいろまずいし。今更じゃないの」
「それは……えぇっと、はい。その通りかと」
ぐうの音も出ない指摘に声をどもらせる。反論の余地すらないから仕方ない。
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