第7話
玄関に足を踏み入れる。ビニール袋がやけに冷たい。というか、違うな。私の手が異様に熱いんだと思う。
「……」
ハルヒはなにも喋らない。沈黙を貫く。それが怖い。喋らないのが逆に怖い。なんか喋って欲しい。おどけたりして欲しい。
ただ私の願いは届かない。届くことはない。
でもふと思う。彼女が怒る要素あっただろうか、と。
たまたまハルヒの推しである星空未来も隣に居ただけ。それだけだ。
ちょっと私にはわからない。怒る要素あったかな……いや、ないでしょ。多分。
「なんで怒ってんの」
アイス食べる空気感ではなくて、冷凍庫にアイスを片付ける。
「怒ってないよ」
と、ハルヒは言うけれど。怒ってる人が怒ってるよ、とは言わない。ってあれ。これ私の訊ね方が悪かったんじゃ……。
「なんで疑ってんの。ほんとに怒ってないって」
ハルヒは私の頬をむにっと触ってくる。さっき化粧水とか塗った時のおかえしだっという感じで。むにむにもみもみと。
「やへぇへぇふぅはぁさぁい」
やめてくれと言いたくても頬を揉まれているので言語が言語として成立しない。
しょうがないのでキリッと睨む。そうするとアハハ、と笑いながら手を離す。
空気は柔らかい。あれ? もしかして本当に怒ってないのでは?
「なんで怒ってるみたいな雰囲気だったの」
「そりゃ隣に推しが居たんだよ。言葉くらい失うよ……」
でへへー、と表情が緩みまくっている。
別に怒っていたわけじゃない。ただ緊張していただけなのか。紛らわしいことをしないで欲しい。怒ってるのかなって余計な気回してしまった。今の気遣い返して欲しい。
「むしろなんでまききんがそんな冷静でいられるのか謎なんだけど。私爆散しそうだったよ」
「爆散って……」
「まききんレベルの厄介オタクなら盗聴器くらい仕掛けそうなもんだけど。してないんでしょ? ……してないよね?」
疑われた。失礼な。そんなことするような奴に見えるのだろうか。と、ハルヒを見る。冗談を言っているようには見えない。真剣な眼差しを向けられる。どうやら本気でやると思われているらしい。
……。
過去の行動を鑑みると、そういう評価になっても致し方ない、か。
でも私とて紳士的なオタクである。私の場合は淑女的なオタクになるか。まぁどっちで良い。羽目を外しながらも、超えちゃいけない一定のラインは絶対に超えない。それをモットーにオタクもとい推し活をしている。そりゃまぁ、あっちから超えてきたのは知ったこっちゃないけど。それはほら、不可抗力だし。
「この壁の向こうにはみぃちゃんがいて。きっと今頃、あんなことやこんなことをしてて……。やば、鼻血でそう」
壁に耳を当て、興奮気味に語っている。鼻血が出るってのもあながち嘘じゃなさそう。ちょ、嘘じゃなさそうじゃなくてさ。やめてよ。人の家で興奮して鼻血出すの。
アイスを食べる。
蓋を開けると、アイスは変な形で凝固していた。どうやら溶けてしまっていたらしい。溶けてしまったとはいえ、冷凍庫にぶち込んだので今は固まっている。だからなにも問題はない。味も特段かわっているわけじゃないし。
「冷静になればなるほど隣にみぃちゃんが居るって事実にドキドキしちゃうわ」
「ドキドキしてるなら冷静じゃないのでは?」
「冷静だよ」
断言する。はぁそうですか、とそれ以上突っかかることはない。なんとも言えない反応を見せながら、アイスをすくう。うんめぇ。
余裕で日を跨ぎ、なんなら朝日がそろそろ昇ってきそう……というような時間になった。
夜更かしはお肌の天敵と言うけれど、今日くらいは許して欲しいなぁと思う。友達が来てるわけだし。というか、夜中にアイスを食べてるのも結構大罪かもしれない。やばー、背徳感で興奮してきた。
「そろそろ眠くなってきたかも」
ユーチューブでALIVEの動画を見漁っていると、ハルヒはそう声を漏らし、可愛らしく小さく口を開けて欠伸をした。
「時間も時間だし……寝る?」
「うん。少し仮眠したい。朝になったら帰るから」
「別にゆっくりしてっても良いけど……」
「それは……迷惑だよ」
「迷惑ではないよ。どうせ私一人しか居ないし、明日はなんもないし」
事実を淡々と述べる。いや、まぁ……一切気遣いがなかったかと言われれば、決してそんなことはないのだが。でも嘘を言っているわけでもない。
「あ」
「うん?」
「布団いつも使ってるの……私用しかないや」
やらかしてしまった。しょうがない。わたしがソファで寝ることにしよう。
「じゃー、私ここで寝るから」
ハルヒはソファをとんとんと叩く。
「いやいや。お客さんにそんなことさせられないよ」
「お客さんってか、私駆け込んだ側だからねぇ」
「お客さんはお客さんだよ。私が寝るよ。ここで」
「いいやここは私が」
ああいえばこういう。
お互いに譲らない。
もはや譲ったら負け、みたいな雰囲気さえ出てしまっている。
これはもう泥沼だ。
どっちかが折れるまで続くやつだろう。下手したらこの掛け合いだけで朝を迎えてしまうかもしれない。
「……そうだ」
このままだとどうしようもない。だから一つ提案することにした。まともな提案では無いとは思うけれど。このまま無駄な時間を過ごすことに比べれば幾分かマシかと思う。
「一緒に寝る?」
相手がフォースだったら絶対に提案しなかった。
ハルヒは同性だし、生理的に受け付けないようなタイプでもない。まぁ同じベットで寝ても良いかなと思えるような相手だ。だから提案した。
「私はそれでも良いけど。良いの? まききん」
「このままソファを奪い合うのに比べれば良いかなと」
「私、襲っちゃうかもしれないよ?」
小悪魔みたいな笑みを浮かべる。
いやーな笑みだ。油断したら本当に襲われそうな気がする。
でも私には絶対に襲われないという確信があった。同性だからとかっていう理由ではない。嘘。少しはあるけど。でもそれは大きな理由ではない。一番の理由。それは。
「だってハルヒ、みぃちゃんにしか興味無いじゃん」
星空未来ガチ恋勢だから。以上。
非常に簡単な答えである。それでいてもっとも信用できる。
星空未来のことが大大大大大好きなオタクだから仕方ない。
「ちぇー、見抜かれてんじゃん。つまんな」
「どれだけの付き合いになると思ってんの……わかるよ、そんくらい」
そこらの知り合いよりもうんと付き合いは長い。そしてALIVEがALIVEとして活動してくれる限り、この付き合いはきっと続いていくことになる。
「ふふーん、まききんがこーんなにちっちゃい頃から見てるもんねー」
腰辺りに手を出す。
「盛りすぎ。そんなにちっちゃい頃は出会ってないけどね」
「気持ち的にはこんなもんだよ」
ハルヒもその分若い。というか似たようなもんだ。ほんとちょっとだけ歳上ってだけ。
「んー、じゃあお先にベットに失礼して、と」
ツッコミを入れる前に、ハルヒは私のベットに入り込む。
時間をおけばおくほど入りにくくなりそうなので、早めに隣にお邪魔しよう。
いつも一人の空間に違う温もりがあるというのは新鮮だ。それと同時に違和感もある。でも心地良い。ハルヒの鼓動が背中を伝ってくる。これめっちゃヤバい。そこらの睡眠ドリンクよりもよっぽど安眠効果があると思う。もう瞼が重たい。
――ドンッ。
突然壁ドンされた。明らかに壁を叩いている。
「壁叩かれたね」
ハルヒも困ったような声を出す。
「なんもしてないんだけどなぁ。さゆちゃん、みぃちゃんと遊んでるんじゃない? 知らないけど」
「壁ドンして遊ぶアイドルとか終わってんな」
「それみぃちゃんにも刺さってるけど大丈夫?」
「可愛らしい遊びだよね。アイドルらしいと思うよ」
凄い。急ハンドルをきった。
一回きりの壁ドンでその後音が鳴ることはなかった、と思う。
まぁ正直そのあとどうだったのかは知らない。気付いたら寝ていて、目が覚めた時にはもう朝だったから。
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