第5話

 我が家にハルヒがやってきた。

 帰る道中、ふと思った。私の家の隣がさゆちゃんというのは知られているが、家に来るような間柄であるというのは知られていない。家に来るような間柄というか、家に勝手に来られるような間柄……というのが正解か。とにかくさゆちゃんが家に来ていたらどうしようという不安を抱えていたが、家を開けてみれば誰もいなかった。杞憂だった。家にさゆちゃんが居たらそれこそハルヒにガチ詰めされるところだったろう。ストーカーに加えて誘拐まで疑われる。やってないと言ったって、さゆちゃんがそこにいる以上、信憑性は限りなく失墜する。

 私がいくら「誘拐してない、ストーキングしてない」って言ったってそこにさゆちゃんがいれば「本当かよ、それ」と疑われるのは詮ないこと。仮に私がハルヒの立場で、ハルヒの家にお邪魔した時にみぃちゃんがその場に居たら真っ先に誘拐を疑う。そして事を荒立てぬようハルヒを刺激しないで、タイミングを見計らい逃げるはず。連絡先をぜんぶ消して、見て見ぬふりをするだろう。

 と、冷静に判断できるから、本当に思う。居なくて良かった、と。いやいや、どういう心配してんだ、私。


 「え、まききんの家……広すぎない?」


 私の家に足を踏み入れたハルヒは驚くように周囲をきょろきょろして落ち着きがない。

 ほへ〜と感嘆に近い声を漏らし、ねっとりと舐め回すように見渡した。


 「んー、そうかな。そうかも」


 一人暮らしなのに寝室とリビングがわかれている。たしかに広いのかもしれない。どっちの部屋も六畳を超えているし。

 リビングに関してはほっそいカウンターを隔ててキッチンと繋がっているので、なおのこと広く感じる。

 まぁその分都市部からは離れている。だから家賃だけで見ればビックリするほど高い、ということもない。学生が暮らすに相応しい程度の金額だ。家賃に関しては両親に頼っている。学生だししょうがない。別に恥ずかしいことじゃない……と思う。え? さゆちゃんに貢ぐ分を家賃に回せば良いじゃんって? はぁ。そういうことを言うのはナンセンスだ。さゆちゃんに貢いでるのは余剰分のお金ではない。無理矢理算出したものなのだ。家賃に回すために捻り出したお金ではなく、さゆちゃんに貢ぐために捻り出したもの。それをやっぱり家賃にっていうのはこの上なくオタク的センスが欠けている。


 「一人暮らしだよね?」

 「うん、そうだよ」

 「こんなに広くてどうするの?」

 「まぁほとんど使ってないかな」


 家が広いからなにという話だ。

 片方は広めの寝室として、もう一つはリビングとして運用しているが、基本的に滞在するのは寝室のみ。リビングに居るのは食事をする時くらいだ。もっともその食事だって、キッチンで立ちながら済ますことが最近増えてきた。行儀が悪いというのは重々承知している。だからその点に関しては今更指摘とかしないで欲しい。でも一人暮らしだとどうしてもそうなってしまう。周りの目はないし、自炊するわけでもないから。比較的自然な流れではないか、と私は思う。


 「もったいなー」

 「使い道がないんだよ」

 「ふぅん……」

 「いや、だってさ。恋人がいるならまだしもね、そういうわけじゃないしさ」


 多分このアパートは家族連れが使うことを想定されて設計されている。風呂トイレは別だし、二つ部屋があるし、広いし。

 そんな部屋に一人で暮らす。そりゃ場所を持て余すというものだ。

 しかも住んでるのは金欠大学生である。家具やら装飾品なんかも最初に買い揃えたものが基であり、他は本当に必要最低限しか追加で買っていないし、買えない。もったいないと言われても仕方ない。


 「広いと掃除するの大変だから。でも部屋使ってなきゃ掃除楽だよ」


 現状の利点を上げてみた。

 使えば汚くなるし、使わなきゃ綺麗なまま。精々ホコリが被るくらい、か。だからうんと掃除は楽になる。でもそれならもっと狭い部屋に引っ越せば良いのでは? となる。わかってる。わかってるよ。


 「贅沢な話だね」

 「え、う、うん……」

 「隣に推しが住んでて、部屋が広いって……前世でどんな徳を積んだらこうなるんだろう」


 恵まれている。そう思うことはあまりなかったが、たしかに今、私がおかれている環境ってかなり恵まれているのかもしれない。いや、家に対して贅沢な悩みを抱き、隣にお金を注ぎ込むほどに好きな人が住んでいる……これってどう考えても恵まれている。幸せだ。


 「お風呂はこっち?」


 ハルヒは扉が閉まっている洗面所を指差す。私はこくりと頷く。


 「入っても良い?」

 「うん、良いよ。ってか気遣えなくてごめんね」


 本来であれば私か提案すべきことだった。お邪魔している立場であるハルヒからその提案はしにくいだろうし。ほんと私って気遣いのできないダメ人間だ。




 ハルヒも私も風呂に入った。

 お風呂から出てきたはずなのに、ハルヒの顔面はなんにも変わっていない。むしろお風呂に入ったことによって潤いを増している。あれ、スッピンってなんだっけ。ほんとなんでこの人ALIVEを推してるんだろう。なにか違えば推される側の人間だったろう。間違いなく。


 「私ので良ければ化粧水とか使って良いけど……」


 なにもつけていないであろうハルヒに声をかける。ソファで動画を観ている彼女はチラッと私に視線を送る。


 「あー、そーいうの使ってないから大丈夫」

 「なにを持ってして大丈夫なのかわかんないけど……」


 なにも使わずしてそれか。でも保てているのなら良いのかな。


 「面倒だし」

 「手間はかかるけどさー。やんないと乾燥して肌荒れちゃうよ」

 「そういう体質じゃないから。私」

 「体質の問題なのかな……これって」


 本人がいらないって言うのなら、まぁ良いのだろう。でも使うと思ってたから手のひらに出しちゃったんだよね。化粧水。捨てりゃ良いんだけど、捨てるのはもったいない。

 どうしようかなと考えてすぐに答えを出す。


 「えい」


 ハルヒの頬に両手を当てた。化粧水を塗ったくってやる。


 「うげー」


 鬱陶しそうに手を払った。

 頬はすべすべしていた。未知の感覚が私の手のひらに伝る。あれ、今私赤ちゃんの頬っぺを触ったんだっけ。そう思ってしまうほどだった。本当になんのケアもしていないのだろうか。うーん、ありえん。考えられない。

 比較的無頓着側である私でさえそうやって思うのだから、毎日何十分、何時間と費やしてケアをしている人達がこのことを聞いたら殺しにくるかもしれない。


 「次は乳液塗るからね」

 「ベタベタするから嫌なんだけど」

 「化粧水だけだとすごい乾燥するよ。肌荒れるよ。それでも良いの?」

 「別に良いけど」

 「良くないんじゃないかな。だってみぃちゃんに汚い肌見せたくないでしょ」

 「た、たしかに……!」


 オタクという生き物は非常にちょろい。推しを引き合いに出せば大抵は口説き落とせてしまう。こればっかりはガチ恋勢じゃない私も例外じゃない。推しには良い印象を抱かれたいし、嫌われたくない。そういうもんだ。

 だから優しく包み込むように乳液を塗る。時折もみもみ揉んで。いやだってさ、すべすべで気持ち良いんだもん。しょうがないじゃん。


 オタク同士のイチャイチャと表現するとなんか凄くゲテモノみたいなのを想像してしまうけど、でもまぁ実際オタク同士のイチャイチャではある。私もハルヒも生粋のオタクだし、頬をむにむにしたりそれに対して満更でもなさげな「やだー」という反応とか。これをイチャイチャと呼ばずしてなんと呼ぶか。じゃれ合いとか? うーん、似たようなものだろう。

 とにかく、イチャイチャしていると、隣の部屋からもなんだか楽しそうな声が聞こえてきた。家と家の壁。いわばプライベートの壁である。隔てる壁は立派で基本的には声や音を遮ってくれる。こうしてプライベートを守ってくれる。

 ただそれにも限度というものがあって、一定の声量を超えた時、壁を飛び越えてくることがある。

 それが今である。

 私たちは手も口も表情も動かすのをやめた。そして聞き耳を立てる。


 「これさゆちゃんの家からだよね」


 声のする方を指差す。私はこくりと頷く。壁の向こうにいるのは新垣紗優。私の推しだ。

 まぁ星空未来と話が盛り上がったのだろう。さっきの私たちみたいに。


 「……」


 ハルヒは顎に手を当て、うーむと考え込む。

 そしてひらめいたみたいにぱーっと表情を明るくした。


 「これあれじゃない?」

 「あれ?」

 「うん。男連れ込んでるよ。絶対にそう」


 ハルヒは嬉々としている。

 人の推しだからって適当なこと言いやがって。


 「ないね」


 勝手にさゆちゃんの評価が下がるのは気に食わなかったので、とりあえず否定した。否定してから、男が居るよりもヤバいことさゆちゃんしてるからなぁと思ってちょっと落ち着きがなくなる。


 「推しへの愛が凄い……信用してんね」

 「信用……かぁ。まぁ、そうかな」


 なにがどうなっているのか把握しているだけなのだが。まぁ言えないよね。


 「そこは断言した方がカッコイイけど」

 「そうかもね」

 「他人事じゃん」


 ケラケラとハルヒは笑う。そしてソファから立ち上がった。

 なにをするかと思えばすたすたとベランダの方へと歩きだし、窓を開ける。


 「あれ、煙草吸ってたっけ?」

 「吸ってないよ」

 「……? じゃあどうしたの?」


 唐突にベランダへと出向く。煙草を吸うわけじゃないのなら理由がわからない。


 「こっから部屋覗けないかなって」

 「はぁ!?」


 とんでもないことを言い出した。腹の底から声が出る。


 「推しの家を覗くとか犯罪でしょ」

 「推しじゃなくても犯罪だよ」


 ハルヒに至極真っ当な指摘をされてしまった。


 「でもさ、絶対に面白いよ」

 「面白くないから。やめとこ。やめておいた方が良いって。そもそもベランダから隣の部屋覗くの多分無理だし」

 「そう……?」

 「うんうん」


 こくこくと激しく頷く。

 やっとハルヒは「じゃーしょーがないかぁ」と諦めた。


 「大スクープの予感したんだけどなぁ」

 「仮に男連れ込んでたらどうするの? みぃちゃんだって困るでしょ。ALIVEが悪い意味で注目されるし」

 「た、たしかに……」


 オタクはちょろかった。

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