第3話

 今日は良く晴れた。雲ひとつない青空。沖縄の海のような美しさを空に思わず見蕩れる。そんな綺麗な空の中でお日様が燦々と輝く。元気だね。羨ましい。


 こういう日は洗濯をしたくなる。お日様の香りを求めるだけのために布団とか干したくなっちゃう。今日布団を干したら、絶対寝る時気持ち良いじゃん。考えただけでうっとりしてしまう。もっとも今日はこの後用事がある。家をあけなきゃいけないのだ。そんなタイミングで布団を干して出かける……というギャンブルはできない。雨でも降られてしまえば布団が消滅し、雑魚寝することになってしまう。今日布団を干すのはちょっとぶの悪い賭けだ。


 天気予報の降水確率は二十パーセントなんだよ。高くはないけど、ゼロパーセントじゃないのならやっぱり干せないね。これだけ天気が良いと逆に雨が降りそうだし。ゲリラ豪雨とか。


 でも洗濯物は干しちゃおう。

 コイツらは雨にぬれても最悪洗い直して乾燥機にぶち込めば良いから。


 意気揚々と洗濯物をベランダに干す。

 そうするとどうしても隣の部屋がちらちらと気になってしまう。


 推しが隣に住んでる。

 こういう時にふと思い出して意識してしまう。

 良くないってわかってるんだけど。理性でどうにかできるなら貢ぐ系の厄介オタクしてないんだよね。


 隣に推しが住んでるってだけでヤバいヤバいって語彙力喪失しているのに、推しに加えて推しのグループ仲間も居候し始めた。もうヤバいって語彙すら手放しそうになる。いや、別にやましいことがあるわけじゃない。まぁ……さゆちゃんに関してはやましいことだらけだが。居候である星空未来に関してはやましいことはない。本当にない。これっぽっちも……ない。うん、ない。

 でもイケないことをしているような気分になる。アイドルのプライベートには干渉しない、というオタクの掟を破ってしまっているから、だろうか。不可抗力ではあるが、破っているという事実はまぁ覆せない。

 いくら時が流れようともそれはかわらない。

 罪悪感はずっと私の中で渦巻く。


 洗濯物を干し終えてからふぅと一息吐く。ただ洗濯物を干しただけ。それなのにとんでもない徒労感が襲う。結構重労働なんだよ、これ。マジで洗濯物干す私偉すぎ。時給発生しないかな。


 疲労を抜くために、ソファーで寛ぎながらSNSを眺めていると、ポッと通知がくる。誰かがいいね押したのかな、それともフォロワーでも増えたかな。なんて思いながらその通知の正体を探る。

 通知の正体。それは『新垣紗優さんの新たな投稿通知』というものであった。

 どうせ宣伝の投稿やら他アカウント投稿の拡散なんだろうなと思いつつも、そのポップを押してしまう。推しに調教されたオタクの末路である。思考と行動が一致しない。


 「ふーん、アイドルらしい投稿もするんだ……めずらし」


 さゆちゃんが投稿していたのは日常の投稿であった。プライベートをオタクに少しだけお裾分け、である。

 私みたいにプライベートに干渉したくない! というオタクがすべてではない。貢ぐことが目的になっているオタクがいれば、ガチ恋勢もいる。ただ純粋に子供を見るような気持ちで応援するオタクもいる。オタクと一括りにしても、様々。十人十色ってやつだ。だから、プライベートに干渉したくてしたくて堪らないっていうオタクもいる。そういう奴に向けた投稿だ。

 要するに私のようなガチ恋勢ではない人間に向けられた投稿ではないということ。


 『今日は天気が良いね。晴れてて干からびちゃいそう』


 というメッセージとともにパシャリとベランダで写真を撮っている。

 モザイク処理はなされているが、空が写るように部分部分という感じで、まぁ言ってしまえば若干甘め。とはいえ特定できるようななにかが写りこんでいるわけでもないので、大丈夫だろう。

 オタクというもの。推しの自撮り写真には人一倍気を配ってしまう。もしも……なにか特定できるようなものがあったらどうしようとか、彼氏バレするような物が入り込んでいたらどうしようとか。勝手に心配して、探してしまう。例えそれでなにか見つけてしまってもどうしようもないのに。さゆちゃんの自撮りを拡大して、瞳孔の反射を見たりもする。

 そしてふと我に返る。「ねぇ、待って。え、もしかしなくても私今めっちゃくちゃキモイんじゃない」って自己嫌悪に陥る。いや、実際問題キモイ。めちゃくちゃ気持ち悪い。犯罪級の気持ち悪さである。さゆちゃんにとりあえず死ねと横暴過ぎる罵倒をされても文句一つ言えない気持ち悪さだ。

 私は深いため息を吐く。

 一つのため息。それにたくさんの感情が乗る。

 やだやだーなんて思いながら、ぐーっと背を伸ばす。ソファーの背もたれに体重をかける。気持ち良くなって脱力感に襲われながら、「んん……」なんていう妖艶な声を漏らした。

 そしてスマホを持っていることを忘れて握力を弱める。スマホを持ちながら腕を天井へと伸ばし、スマホを持つ手を緩める。結果どうなるか。考えるまでもない。


 「いでっ……」


 情けない声を出す。

 額にスマホの角が落ちてきた。落下のスピードは凄まじい。まるで小隕石が私の額に降ってきたようだった。痛かった。本当に痛かった。

 ひりひりする額をすりすり触る。摩擦で熱くなる。痛かったり、熱かったり、と目まぐるしい。ぜんぶ私のせいなんだけどね。


 私の額でバウンドしてそのまま床に落っこちてしまったスマホを拾おうと、視線を落とす。スマホは珍しく、スクリーン側がこちらを向いていた。落ちる時っていつもスクリーン側で落ちるのに。珍しいよね。トーストはバターを塗った面から落ちる、みたいな。そういえばこれに名前あったような。マナフィの法則だか、ダーフィーの法則だか……あ、マーフィーの法則、だ。


 「えっ……」


 伸ばした手をそのままにスマホをじーっと見つめる。目を凝らして見る。

 スマホに表示されているさゆちゃんの自撮り。

 その脇にちいさーくではあるが私が写っていた。見間違えたかもしれない。そう思いながら目を擦って改めて見る。やっぱり私が写ってる。モザイク処理が甘すぎて、私にモザイクがかかっていない。うわー。

 過去の私に言ってやりたい。優雅に洗濯物を干してる場合じゃないぞって。お前その間にさゆちゃんが撮った自撮りに写りこんでるぞって。

 まぁ過去には戻れない。助言もできない。だからしょうがないよ、これはって割り切る必要がある。


 「でもー、気付かないかー、これ」


 脇にちょろっと顔が出ているだけ。しかもくっきりと写っているわけじゃない。モザイク処理はされていないがピントの関係でぼんやりとしている。

 熱狂的なさゆちゃんファンで生誕祭に関わっている人くらいじゃないと私が写りこんでいるって気付かないと思う。うん、低い確率だ。気にし過ぎだろうね、これ。


 「あっと。もう時間じゃん」


 のんびりとし過ぎた。用事の時間がやってきていた。もう家を出ないと間に合わない。なんなら既に押している。走らなきゃ、だ。いやぁかったるいな。風邪ひいたことにして今日の用事キャンセルしようかな。いや、でもキャンセルしたらこれの扱い困るし……。


 コンビニでもらえるような紙袋をチラッと見る。


 「行くかー」


 重い腰を上げて、家を出た。





 やってきたのはハートビーオンの最寄り駅にあるカラオケボックスの前。

 私が最後だった。オタク仲間であるフォースもハルヒも既に到着していた。


 「二人とも早いね」


 一応集合時間一分前に到着した。褒められることは無いが、かと言って責められることもない。間に合ってるから。

 でも含みのある視線を二人から送られる。


 「……」


 怒らせちゃったかな。謝った方が良いかな。いや、でもなにを謝るんだ? ぐるぐる思考を走らせながらカラオケボックスに入ったのだった。

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