第2話

 さゆちゃんのおうち。さゆちゃんの……おうち? まじぃ?

 玄関だけを見れば新鮮さは一ミリもない。推しの家に足を踏み入れたという感慨もさほどない。理由は単純明快。私の家と間取りが同じだから、である。玄関から見える景色は同じなのだ。そりゃ細々としたレイアウトは違う。でも玄関から見える景色なんて精々壁と扉と床とシューズクロークくらい。元々備え付けのものなので、違いがさほどない。そりゃ感慨なんてあるわけない。

 ただ明確に違う点がある。それは立ち込める香りだ。

 明らかに私の家とは違う匂いがする。

 若干あまーい香りがする。お菓子作りでもしてたのかなって感じの匂い。アロマか芳香剤か……それか香水でもこぼしたのかな。わかんないけど、人工的に作り出されている香りだろう。もしもこれを生活する中で自然発生させているのであれば、さゆちゃんはアイドルの鏡だ。部屋に気持ち悪くならない程度の甘い香りをさせているって……理想のアイドル過ぎる。褒めすぎかな。でも推しだし。褒めすぎなくらいがちょうど良い。推しは推せる時に押すべきだし、褒められる時に褒めておいた方が良い。


 「顔、蕩けそうだけど。大丈夫?」


 星空未来に心配されてしまった。顔を覗かれる。

 たるんだ顔を引き締めるのと誤魔化すためにわざと咳払いをした。ごほん、と。


 「なにもないよ」

 「それは無理があるんじゃ……」

 「うん?」


 知らぬ存ぜぬを貫き通すことにした。時にはそういうスタンスも大切だ……と思う。


 「二人とも玄関でなーにしてんのっ。玄関で立ち話ってママ友じゃないんだから」

 「友達でもないけど」

 「やーん、河合さんが酷いよー」

 「私に泣きつくな」


 星空未来は鬱陶しそうな反応を示す。


 「ほら、歩けないから。邪魔だから」


 そう言って星空未来は歩き方を思い出したかのように先へと進む。さゆちゃんと一緒に扉の奥へと消えていく。

 ぽつんと私は取り残された。今ならまだ逃げられる。さゆちゃんも見てないし。かと言って逃げる場所がない。私の家に逃げる? 逃げたところでどうせ数分もせずに捕まる。さゆちゃん勝手に私の家へと上がってくるし……って、えぇ。なんで、私この環境を許容してるんだろう。推しだから? 推しだからだろうなぁ。


 一つ壁を隔てたその奥にはさゆちゃんの部屋が広がっている。プライベート空間が広がっている。……って、これは私の家でも同じか。でもこれは状況が違う。目の前に見える扉の取っ手を動かしたら、プライベート空間に足を踏み入れることになる。

 一大事、だ。


 勇気を振り絞り、靴を脱ぐ。そして扉を開ける。


 「推しの部屋……。推しの部屋……?」


 取っ手を触ったまま、私はぼーっと部屋を眺める。ぐるりと目で一周して、瞬きをする。それからもう一度くるりと目で一周する。うん、うん、うん? もしかしてさゆちゃんの家来たつもりで私の家に来てしまったのだろうか。レイアウトも家具も家電も全く同じだった。


 「さゆちゃん」

 「ん?」

 「ここってさゆちゃんの家だよね」

 「そうだよ」

 「私の部屋と瓜二つな気がするけど」


 気がするというか瓜二つだ。

 怖いとかいう気持ちをすっ飛ばして、良くもまぁここまで完璧に再現できるものだなぁと感心してしまう。


 「やっぱそうか。この前お邪魔した時の部屋と似てるなと私も思ってた」


 星空未来は援護してくれた。本人に援護したつもりはないのかもしれないけど。


 「違うよ」


 さゆちゃんは否定した。違うらしい。首を横に振った。


 「違うは無理ない?」

 「でも違うものは違うし……」

 「じゃあどこがよ」


 このままでは水掛け論に陥ってしまうので違うという根拠を示してもらうことにした。


 「例えばこの冷蔵庫とか。河合さんの家の冷蔵庫の一個前の型だよ」

 「……」


 たしかに良く見てみるとデザインとか大きさとかが若干違う。とはいえ言われないと気付かないレベル。


 「ごめん、さゆちゃん。さすがにキモイ」


 私がツッコミを怠っていたら、星空未来が触れた。しかもかなり辛辣だ。キモイという三文字が突き刺さったようで、「うぅ……」と呻いていた。呻くぐらいならそんなことするなよと思うけど。


 「……そ、それよりも好きに座って良いからね。で、どうしたの? みぃちゃん」


 さゆちゃんはなんにもなかったかのように話を進める。強引に。

 あまりに強引な話の引っ張り方で、私と星空未来は顔を見合せて、苦笑する。


 「まぁ良いか」


 星空未来は少し悩むような仕草を見せて、軽く頷く。そしてちろりと私のことを見る。


 「……ALIVEのファンに聞かれたくない話なんだけど」


 真っ当な意見である。

 アイドルのプライベートを見たくないっ! とオタクが思う時、オタクにプライベートを見られたくないとアイドルも思っているのだ。


 「そ、そうだよね。私帰るから」


 座ってそうそう、立ち上がり帰ろうとする。

 正直この空間は落ち着かない。一見すると我が家なのだが、やはり漂う空気が違う。もしかしたら意識の問題かもしれない。ここはさゆちゃんの家、と無意識下で意識をし、緊張しているのかも。


 「え、なんで?」


 さゆちゃんは私の手を掴んで引き止めた。

 これなら無理矢理感なく逃げられるんじゃないかと思ったんだけど。そこまで甘くはない、ということか。


 「なんでって……みぃちゃんが嫌がったんだから帰るのは自然じゃない?」

 「河合さんが帰るのは私が嫌」

 「……」


 どうしてそういうことを素直に言えるのだろうか。本心か否かというのはこの際一旦おいておいて、その言葉に対して率直にきゅんきゅんしてしまった。推しはずるい。


 「ふぅん……」


 腕を組む星空未来は心底つまらなさそうに私たちのことを見る。茶番とでも思っているのだろう。


 「まぁ良いよ。家主の意向には従うから」


 星空未来は簡単に諦めた。もっと抵抗しても良かったんじゃ……と思うんだけど。あれかな。私が帰りたすぎるだけかな。多分そう。というか絶対にそう。


 「偉いじゃん」


 さゆちゃんはめちゃくちゃ上から目線で褒めてる。


 「当然のことをしたまでだけど」

 「そう?」

 「うん。だってこれからさゆちゃんにお願いする立場になるんだし」


 真っ直ぐな視線を星空未来はさゆちゃんに向ける。その眼差しを一直線に浴びているさゆちゃんは困ったように首を傾げた。


 「お願いって? なに? 死ねとかは無理だよ」

 「さゆちゃんは私のこと畜生だと思ってるのかな」

 「畜生まではいかないけど、けっこー毒とか吐くタイプだなーってのは思ってるよ」

 「ふぅん……じゃあ不仲で解散だ」

 「えーっ! ストップちょっとまてまてまてー」


 バンっと机を叩く。思わず興奮してしまった。冷静になるために深呼吸をする。


 私の慌てっぷりとは裏腹に、彼女たちは至って冷静であった。ぽかーんとしている。

 それから私に視線を向けて、さゆちゃんと星空未来は顔を見合せてから笑う。


 「じょーだんだよ。最近ALIVEの三人の中で流行ってるの」

 「えぇ……」

 「深刻な顔して解散するって言って重たい空気を楽しんでる」


 解散って話を切り出すのが流行ってるってどうかしてるよ、このアイドルグループ。まぁさゆちゃんが居る時点でどうかしてるか。でもやっぱり嬉々とした表情で語ってるのは、その、どうかしてる。言葉を選ばないなら狂ってる。


 「で? みぃちゃん。なに? 私にお願いって」

 「あ、そうそう。家出したから家泊めて欲しいな、って」

 「えー。行くあてとか他にないの?」

 「ないこともないけど。やっばり最初に頼るのは一番仲良いの方が良いかなって」

 「そ、そういうことなら。しょーがないなー。もー」


 えぇ、さゆちゃんちょろすぎる。なによりも先にそういう感想が出てきた。

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