第5話
ピロンとメッセージアプリが私を呼ぶ。
スマホの時計も家にある掛け時計も『十時』を示している。まだ半分以上寝ぼけている中、身体を起こし、しゅぱしゅぱする目を擦る。そして一つ大きな欠伸。
「ふぁぁぁぁ、眠い……朝早いのに、誰だよ。こんな時間に」
あまり回っていない頭で呟き、また欠伸をする。眠い、眠すぎる。
二度寝しようかなと瞼を閉じたところでまたスマホは私のことを呼ぶ。
まぁ良いや、無視しよう。
どうせ私に入ってくる連絡なんて緊急性皆無なものばかりだし。
そう思ってまた無視をしようとすると、メッセージアプリの通知音が鳴る。
「なぁ……もうぅ。うるさいなぁ」
深いため息を吐く。
それからすべてを諦めたかのようにスマホを手に取り、メッセージをしっかりと確認する。
メッセージの差出人は大学の知り合いであった。まぁ要約すると『お前今日こそ大学来いよ。絶対に来いよ。さゆちゃんのグッズあげるから来いよ』というものであった。
大学内で唯一と言って良いほどの数少ない知り合いの一人。彼女は音楽を趣味にしており、色んなアーティストやアイドルを追いかけている。一つに対してどっぷりのめり込むことは無いが、その代わりに知識は豊富。広く浅くタイプだ。
「さゆちゃんじゃなかったかぁ……」
なんか勝手に期待していた。
どうせさゆちゃんが勝手に私の連絡先を追加して、鬼連絡してきたんだって思い込んでいたから。勝手に期待して、勝手に落胆する。
いや、そもそもこれが当たり前だ。
本当に感覚がおかしくなっている。
「いや、わかってたし。さゆちゃんだったら怖いし、ビビるし、まぁまずそもそもありえないし……」
恥ずかしくなって、あれこれ並べる。
「はぁ……大学行くか。今日の授業、出席点ないから行く意味ないんだけどなぁ」
さっさと着替えて、軽くメイクをし、無気力なまま大学用の荷物を持って、家を出る。
一歩出たところで、すぐに戻った。
腕を組み、眉間に皺を寄せ、そっと扉を開く。そして隙間から覗く。
「なんで帰るの?」
「いや、待て待て待て待て。なんで外にいるの」
「隣人なんだし当然でしょ? 外にいるのは。不思議なことじゃないと思うけど」
「でもさ、それは……う、うん? たしかに。おかしくはないのか……」
言いくるめられてしまった。
でもやっぱりおかしいよ。偶然外にいたんじゃなくて、まるで出てくるのを待っていたという感じだったし。さゆちゃん。君、とことん怖いね。
「で、なにしてんの。ほんとに。ごみ捨てに……とか、ちょろっとコンビニって格好ではないし」
明らかに外出用の格好である。ぶかぶか白パンツに、なんて書いてあるのかわからない英単語がプリントされている白ロゴT、その上にはベージュの薄いジャケットを羽織っている。
一見すると爽やかさがあるが、良く見ると暑そう。
少なくともこの時期にするようなファッションではない。春とか秋とかが気温的にはちょうど良さそう。
「出かけるんだよ」
推しアイドルの私服チェックをしていると、彼女は私の問いに答えてくれた。
「そっか」
出かける。なら、不思議なことはなにもない。
まぁアイドルとはいえお出かけくらいはするだろうし。
「レッスンとか?」
「レッスンは今日は夕方からだよ」
じゃあ普通にプライベートのお出かけか。
というかさ、グループの予定、ペラペラファンに向かって喋ったりするのまずいんじゃ。どうすんのよ。私が他の人に話したりしたら。
危機管理があまりにも杜撰。甘過ぎる。私のことを信用している? それはまぁ……そうかもしれない……けど。やっぱりアイドルならアイドルらしくアイドルとしての自覚を持って欲しいと思ってしまう。例えそれが私のわがままであるのだとしても。
「ん?」
ただ首を傾げる。それだけ。なのに妙に可愛い。私が同じことをしたら地獄絵図になるのに。ただ首を傾げるだけで可愛いとかずるい、ずるすぎる。流石アイドルだ。世間的には三流以下かもしれないけど、私にとっては一流アイドル。だからアイドルらしくしていて。ストーカーとかしないでね。
「なんでもないよ」
とはいえ、アイドルらしくしててと説教するつもりはさらさらない。そもそも説教できるような立場じゃないし。そんなことしたら、ただでさえ厄介オタクだったのに、救いようのないダルすぎる厄介オタクになってしまう。
それは嫌だ。
「じゃあ……私は行くから」
特にこれ以上会話することもないし、遅刻しそうだし。
だから私は軽く手を振って、その場を後にする。
最寄り駅へと向かう。
なぜかさゆちゃんは着いてくる。しかもこそこそではなく、堂々と隣を歩いている。なに? 堂々と歩けば許されると思っているのかな。いや、たしかに、ストーキングではないかもしれないけど。そういう問題じゃないと私は思うよ。
「なにしてんの」
思わず立ち止まって問いかけてしまう。結構語気強めに。
「うん? 駅に向かってるんだよ、一緒に」
純粋無垢な瞳。
そりゃそうか。この辺から電車を使うってなったら、今向かってる駅から乗るしかないし、一緒に向かうのはなにもおかしくないか。
偶然会ったから、一緒に駅行こう……って話でしょ、要するに。
今までのさゆちゃんの奇行が頭に過ぎって、今日も私に着いてくるんだって勝手に勘違いしていた。いや、恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。今、刀を渡されたら即切腹できてしまう。うぅ、恥ずかし過ぎて死にたい。
ガタンゴトンガタンゴトンと電車に揺られる。
当然のように隣にはさゆちゃんが座っている。
変装はしていない。する必要がないくらいの知名度、ということだ。
なんというか、私の応援力が足りないせいだなぁと虚しくなる。もっとお金注ぎ込まなきゃ……。
と、考えていると、私の肩に温かな感覚がじわじわーっと広がった。フローラルな香りが私の鼻腔を刺激する。
どうしたのかなと視線を肩へ落とす。
さゆちゃんは気持ち良さそうに眠っていた。
うはっ!
やば、やば、ちょ、やば。
著しく語彙力を失ってしまったので、深呼吸をして落ち着くことにした。
すーっと息を吸う。
さゆちゃんの良い香りがさらに私の体内へと吸い込まれる。なんだこれ。天国なのに地獄だ。
電車の中で一人悶えていた
一人で苦しんでいると、乗換駅に到着する。
名残惜しいが、ここで乗り換えないと遅刻してしまう。
「さゆちゃん。さゆちゃん。私ここで降りるから、起きて」
とんとんと優しく彼女の肩を叩く。
すると、少し眠そうな顔をしながらも彼女は起きる。そしてノールックで立ち上がる。
「んっ」
彼女はすっと手を差し出してくる。なにかなとぼーっとしていると、私の手を無理矢理とった。それからグイッと引っ張る。
「え、なに」
「乗り換えでしょ。ほら、いこーよ」
引っ張られながら電車を後にする。
ホームに降りると、彼女は足を止めて「どっち?」と案内板を指差す。
私は「あっち」と目的の電車が停車するホームを指差す。
そうすると彼女は私の手を握ったまま走り出す。
「え、いや、ちょ……」
「大丈夫、大丈夫! ほら、いこー! れっつごーだよ」
「なにが……? てか、さゆちゃんの用事は?」
「私の用事? 河合さんの大学について行くことだけど」
「うわーっ! なにも大丈夫じゃないよ、大問題じゃんっ!」
ぐーっと足を止める。少しだけ引き摺られるような形になって、彼女も足を止める。
周囲の駅利用客からは微笑ましい眼差しを送られる。どういう風に見えているんだろう、となぜか冷静な感想を持つ。
「大学なんて在校生以外が入ってもバレないよ。若ければ余計に」
「そういう問題じゃなくてね……」
「うーん? ならなにも問題ないよ。ほら、行くよ」
と、無理矢理引っ張られた。周りの視線が恥ずかしくて着いていくことにしたけど。
あぁ、これからどうしよう……。
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