第4話
やってきたのは最寄りのスーパーマーケット。よくある地元に根付く系のスーパーである。来た理由は特にない。強いて言えば家から近いから。それだけ。
「ここねー。ここが家からだと一番近いんだね」
「そうだよ」
「でも違うスーパーもあるよね」
「あっちは橋渡らなきゃいけないから」
だからなんだと言われたらそれまでなんだけど。気分的な問題だ。なんか橋を渡るってひと仕事終えたような気分になる。
「というか、結構地理把握してんだね。意外」
突発的に引越してきたのかと思っていたので驚いた。一応周辺になにがあるかくらいは把握しているんだなぁって。まぁそんなの引っ越す上で当然の行動だって言われたらそれまでだけど。さゆちゃんの場合、そういうの一切気にせずに引越しとかしてそうだなぁって思ったから。
「そりゃそうだよ。だって何回ここに来てると思ってるの?」
「そんな多くないでしょ。実際どのくらいなの」
「うーん……」
唇をなぞるように指を当て、そのまま流れるように首をこてんと傾げる。
ぴたりと足を止めて、ニヒッとアイドルらしく真っ白で綺麗でもはや輝いて見えるような歯を見せびらかしながら笑う。
それから左人差し指を立てて、右手は親指と人差し指を曲げて〇を作る。なにそれ。
「十?」
彼女の出てきたジェスチャーに対して私は疑問混じりの答えを出す。十にも見えるし、他のジェスチャーだって言われたら、まぁ違うかぁと納得できるような。あやふやなジェスチャー。
「ううん、違う」
ぶんぶん首を横に振った。
うーむ、外れてしまった。会話の流れ的に数字のことを指しているかと思ったが、この感じだと違うっぽい。じゃあなんだろうか。さっきの会話の流れとかを考慮して考えると中々他の可能性が出てこない。
私の脳みそがあまりにも歳とっているからか、さゆちゃんが若々しいのか。とにかくヒラメキ力がさゆちゃんと比較して足りていない。
私じゃファンをストーキングしようとならないし。もしかしなくても根本的に思考回路が異なる。
うん、考えるだけ無駄だね、これ。
「じゃあなに? わかんないんだけど」
考えて答えが出なくて、答えを求める。
「百」
「うん?」
「だから百。百回以上は来てるよ、この辺り。だから詳しいんだよね」
なるほど。
たしかにそれだけ足を運んでいるのなら、土地勘があってもおかしくない。むしろあって当然か。
「この辺に住んでた経験でもあるの? それとも学校? 高校何個かあるし。あとは……なんだろ。そんなに来る理由……」
郊外と言われるような場所ではあるが、東京から程良い距離である。電車一本で新宿駅にも東京駅にもいけるからね。仕事をするとなれば若干の不便さはあるかもしれないが、住むだけなら利便性の良い街である。
だから彼女がこの土地に住んでいた、という経験があってもさほど驚かない。家賃も二十三区内と比較すれば安いし。
「どっちも違うよ。私の出身校はもっと都会の方だし、住んでるのもハートビーオンの周辺。ずっと実家暮らしだし」
せっかく導き出した答えを簡単に否定されてしまった。うむ、ではなぜなのか。
「だって……河合さんの後をさ、ずーっとつけてたわけだから。そりゃ、百回は超えるよね、回数……」
なぜか恥ずかしそうにそんなことを口にする。頬は熟れたトマトのように紅潮し、手をモジモジさせている。恥ずかしがって言うことじゃない。
まぁでもドン引きもしない。
さゆちゃんならそういうこともあるかぁ、と納得してしまう自分がいる。
「あーっ、はずはず。顔あっついから早くお店入ろーよ。涼みたい」
さゆちゃんは逃げるように店内へ入っていく。置いてかれないように私も店内へと入った。
カートを押すさゆちゃんの隣を歩く。
日常の中に推しという非日常がぽつんと存在する。普通なら感動する所なんだろう。あぁ、私も変わっちまったぜ。
「じゃがいもに人参にたまねぎを……」
ぶつぶつ呟きながら、野菜コーナーから手際良く目的の野菜を回収していく。
「なに作るつもりなの?」
「そりゃ肉じゃがでしょ、肉じゃが!」
「当たり前みたいな雰囲気出されても困るけど……」
「え、だってさ、女の子が家に来て、手料理を振る舞うってなったら肉じゃがが普通じゃない? 急にガチ料理作っても引かれちゃうし、カレーとかじゃ簡単過ぎて記憶に残らないし」
力説されてしまった。私としては大きなこだわりはない。一切ない。自炊をしない人間にとって、なにか作ってくれる。もうその事実だけでありがたい。カレーであっても。むしろカレーなら何日分もの食事を確保できるのでかなりありがたい。ガチ料理ならガチ料理で普通に嬉しいし、引いたりしない。そもそもストーキング行為をしている人間が引かれるとか引かれないとか考えたって遅過ぎる。もう引かれてるんだよ。
「肉じゃが嫌いじゃないし、良いでしょ? それともそういう気分じゃなかった?」
「いや、嬉しいよ。うん、すごく嬉しい。ありがとう」
色々顔に出てしまっていたようだ。
作ってもらうんだから文句とか言っちゃまずいよね。
実際、料理に文句はない。
デザートコーナーに差し掛かったところで、彼女は突然足を止めた。
なに? もしかして肉じゃがにプリンとかぶち込んじゃうの? 流石にそれはどうかと思うけど。でもさゆちゃんくらい感性がズレているのなら、ありえるのかもしれない。ありえるのか?
「杏仁豆腐買う? 河合さん」
「え、なに突然」
「好きでしょ、杏仁豆腐」
「好きだけど。いや、杏仁豆腐好きだけどさ……」
待てよ、なんでさゆちゃん私が杏仁豆腐好きなの知ってるんだろうか。私、さゆちゃんに杏仁豆腐が好き、だなんて話しした覚えがない。あれかな。お渡し会とか握手会、サイン会のどこかでポロッと口にしたのかな。いいや、記憶にない。マジで記憶にない。でも杏仁豆腐好きって適当に言って当たるようなものではない……し。
「なんで知ってるの? 言った記憶ないけど……」
「大丈夫、言ってないから」
「じゃあなんで知ってるの?」
「良くコンビニで買ってるじゃん。杏仁豆腐」
あぁそうか。そういえばこの子はそういう子だった。
聞いた私が馬鹿だった。少し考えればわかることだったのに。
尾行中に私がコンビニで杏仁豆腐を何回も買っているところを見られていたのだろう。
もしかしたら彼女は私以上に私のことを知っているのかもしれない。
帰宅し、彼女はキッチンに立つ。
さっき「ちょっとだけ家に帰る」と言って、隣の部屋に帰り、すぐ戻ってきた。
エプロンをして。
推しが、エプロンをして、自分の家のキッチンに立つ。理想的な光景で、うっとりしてしまう。オタク仲間に自慢したくなる。もちろんしないが。
彼女は早速料理を始める。
申し訳ないけど、一応監視させてもらった。料理を手伝うという名目を使って。そりゃ、信用できないし。しょうがないよね。
しかし、彼女の手際はかなり良かった。
レシピは見ないし、一々動きを止めることもない。一挙一動がスムーズ。流れが止まる部分と言えば、時折「包丁ってどこにある?」というように、調理器具や調味料の場所を確認される程度。
「思っていたよりもぜんぶ使った形跡があるよね。自炊してたの?」
「一人暮らし始めた当初はね。すぐにそんな気力もお金も無くなったからしなくなったけど」
「そうだよね、知ってた」
そんなこんなしながら無事に肉じゃがを作り上げる。
肉じゃがは普通に美味しかった。もちろん変なものも入っていなかった。良かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます