第2話

 ハートビーオンでのライブを終えた新垣紗優は帰宅した。


 「ふむふむ、ふむふむふむ、私は……私が……ストーカー……?」


 新垣紗優はリビングにあるちょっとお高いが座り心地が良いと評判の椅子に座って考え事をしていた。真剣な表情を浮かべる。思考が声になり漏れている。そしてそれに気付かないほどに集中している。


 「ありえないけど、これだけ人から言われたらスルーもできないよねぇ」


 ALIVEのメンバーである星空未来、そして自分のファンであるまききん元い河合にストーカーだと言われる。現状彼女は二人からお前はストーカーだと指摘されている。本人はストーキング行為をしているつもりはなかった。しかし、認めるしかない状況へと追い込まれている。だからか、新垣紗優は渋々そう呟いた。自分自身に落とし込むために。


 ハッとなにか閃いたようで、彼女は慌てながらスマホを取り出す。

 そして手際良くスマホを触る。


 「うーん、そっかー。後をつけたり、無断で家に入り込んだりってストーキングって見なされるのか」


 インターネットでストーカーの定義でも検索したのだろう。スマホを見て、そう呟き、深々としたため息を吐く。

 椅子から立ち上がって、ぐーっと背を伸ばし、ベッドまで歩く。ベッドに辿り着くと、そのまま仰向けに寝そべった。そして手を伸ばす。スマホが手から滑って腹部に落ちる。ぐへっと彼女は声を出す。


 「もー、いだいなぁ……」


 腹部を擦っている。


 「てかさ、ふと思ったんだけど……」


 落としたスマホを拾ってまたポチポチ検索する。じーっとスマホを眺め、不機嫌そうだった表情は弛緩する。


 「良いね、良いじゃん。あそこなら別に通えない距離じゃないし、お金的にも問題ない」


 ぶつぶつつぶやく。


 「河合さんの隣の部屋に引っ越せば万事解決だよね。これならストーカーって馬鹿にされることもないし、河合さんの近くにいれる。私ってもしかしたらとんでもないくらい天才なのかもしれない……えへへ」


 彼女は流れるように内見の申し込みボタンを押し、必要事項を入力していった。



◆◇◆◇◆◇



 内見をせずに入居手続きを行った。彼女にとって大事なのは部屋の綺麗さとか、部屋の配置とか、備え付けの諸々ではない。河合の家の隣か、否か。それだけである。なので、彼女は内見はしなかった。「無駄だからしません」と、の一点張りで電話向こうの不動産屋さんを困らせていた。


 そして当日。彼女は引越し業者にあれこれ指示を出す。

 荷物の搬入を見守る中、彼女はやけにそわそわしていた。落ち着きがない。うろうろし始めたと思えば、急にぴたりと止まり、殺風景な部屋においてある白い紙袋を持って、しばらくしてそっと置く。そしてまたうろうろし始める。


 「どうしましたか。指示があれば申し付けいただければ配置変更いたしますが……」

 「あぁ、ごめんなさい。配置にこだわりはないので……最初に言った場所で構いません」


 引っ越し業者にすら心配される始末。本人は素直に謝罪を口にする。

 それから彼女は考え込む。


 「ずっとここにいるのも邪魔になるし、私の心は静まらないし……やっぱり……うん、そうだね。そうするべきだよね」


 と、独り言をつぶやく。

 顔を上げて、冷蔵庫を運び込む引越し業者に向かって声をかける。


 「あーっと、すみません。ちょっと外出てきますね。お隣さんに挨拶してきます」


 そう言って、新垣紗優はさっき下ろしたばかりの白い紙袋を持って飛び出す。

 そして隣部屋まで行き、インターホンを押そうとする。ボタンに手を伸ばす。あと少しでピンポーンと鳴る。しかし、鳴らない。押さない。


 「うわー、なんか緊張してきた。あれかな、こういうのやってみたかったからかな。一度やってみたかったんだよね。引越しの挨拶」


 表情は引き攣っていない。楽しんでいるようだった。

 彼女は深呼吸を一度してから、すぐにインターホンを鳴らす。


 しばらく待つ。部屋からは物を蹴飛ばすような音が聞こえてくる。新垣紗優は眉間に皺を寄せる。


 「部屋間違えた……なんてことはない、か」


 表札を確認し、しっかりと『河合』と書かれていることを確認する。

 安堵するのもつかの間、扉はゆっくりと開かれる。

 扉の隙間から家主は顔を出した いかにも不機嫌、というような表情を浮かべていた。


 「怒ってる……? かな」


 新垣紗優は誰にも聞こえないようなあまりにも小さな声で呟く。

 彼女と河合は見つめ合う。それから数十秒すると、河合はゆっくりと口を動かす。


 「なにしてんの。いつもインターホンなんて押さないくせに」


 そんなぶっきらぼうなセリフをぶつけられつつも、新垣紗優は嬉しそうに微笑んだ。


 新垣紗優はこれで周りからストーカーだと呼ばれることなく、またALIVEのリーダーである日野灯から小言を言われることもなく、河合真希と仲良くすることができるようになると本気で思っていた。

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