アイドルの行動

第1話

 梅雨も終わり、夏の暑さが日に日に強くなっていく今日この頃。寝る時はさすがに冷房消しておきたいなと思って、窓を開けて眠っていたが、これが失敗だった。暑すぎて、目が覚めてしまった。全身汗だくですごく気持ち悪い。できることなら今すぐシャワーを浴びたい。でも体力が蝕まれているせいで起き上がる気力すらない。気持ち悪さと二度寝したいという感情を天秤にかけ、後者に傾きかける。そうだ、そうじゃん。もう朝だし、冷房つけちゃおっかな。熱中症になってしまうよりも冷房で電気代がかさむ方がマシだ。まぁ冷房つけて寝たらそれはそれで体調不良になりそうな気もするけど。

 と、うじうじしていると目が覚め始める。

 せっかく二度寝しようとしていたのに意味がなくなってしまう。

 なんたる失態だ。

 これじゃあ二度寝なんてできやしない。


 「二度寝こそ至高。二度寝こそ私たちに安息をもたらす……! あー、寝たい寝たい寝たい寝たいよー。暑いし……」


 ベッドの上でばたつく。小学生が見たら大泣きしそうな光景。


 「……うるさい、な」


 すんっと暴れモードから冷静さを取り戻す。ぽつりとつぶやく。

 私自身に言っているわけじゃない。これはうるさいんじゃなくてやかましい、だから。


 空室であるはずの隣部屋から物音がするのだ。ガタガタゴトン、ビビビビ、キューッ、と複数の物音である。私は眉間に皺を寄せ、口元に指を当て、熟考する。この音の原因はなにか、と。


 しかし私の思考をこのうるさい物音が妨げる。

 もはやわざとやってるんじゃないかっていうような勢いだ。もっともその指摘はあまりにも無茶苦茶で言いがかりだってのは理解している。が、それはそれ、これはこれ。邪魔をしているというのは紛うことなき事実わけだし。


 そんな中で音の原因に対する一つの答えに辿り着く。


――もしかして、幽霊なのでは?


 という馬鹿げた答えだ。


 答えを出してから、ありえないとその答えを一蹴する。ありえない、幽霊なんてありえるはずがないって。

 私があまりにも非現実的かつ非科学的な答えであった。音に気を取られてしまったが故であろう。


 「あー、もうほんとやになっちゃうなぁ。天然系おバカキャラじゃないし、私は」


 文句を垂れつつ頬をむにっと触り、もう一度考え直す。

 と、言ってもそもそも答えは限られている。

 隣部屋で内見が行われているか、引越し作業中か、大規模な清掃業者を呼んだか、どこかの部屋のWi-Fiやら水道管やらの工事のために業者が入って作業をしているか、だろう。

 だからまぁこのうるささは一時的なものであり、いずれ収まると考えて良い。すなわち考えるだけ時間の無駄、ということだ。


 もちろん壁ドンもしない。

 したって状況が改善されるとも思わないし。改善されるならするけどね。無駄な労力はかけない主義なんだよ、私は。


 「なんか頭使ったからか眠くなってきた……なぁ。二度寝、できそう」


 瞼が重くなってくる。頭の中がぼわぼわしてくる。眠くなってきた。あくびをするとその睡眠欲は加速する。眠いし、眠いし、さらに眠い。隣部屋はたしかにうるさい。だが、極端に耳障りかと問われれば正直なんとも言えない。うるさいだけに過ぎない。うるさいだけなのでこの騒がしさもなれてしまえば支障はない。トゲトゲしたASMRということで、受け入れようじゃないか。






 二度寝から目覚めた。覚めてしまった。はっきり言って目覚めは最悪であった。もしも私が魔界を統べる最悪の王、魔王であったなら間違いなく地球は滅ぼしていただろう。そのくらい酷い目覚め方であった。良かったね、私にそんな力なくて。

 なぜこんなにも怒っているのか。それは自主的に起きたわけじゃないからだ。起きたというよりも起こされた、という表現の方が適切だろうと思う。

 だって誰かがウチのインターホンを鳴らしたのだ。その音で目が覚めてしまった。

 ネットショッピングでなにかを注文した記憶はない。だからなおのことイライラしてしまう。せっかくの安眠を妨害しやがって。返せ、私の安眠を。

 と、嘆きはするが、文句を垂れても詮無きことだってのもわかっている。

 だから口には出さない。不機嫌そうな顔をしているくらいは許して欲しいと思うが。


 立ち上がり、玄関へと向かう。途中床に転がる放り投げたリュックサックやらペットボトルやらを蹴飛ばしてしまう。そのせいでつま先が若干痛む。とはいえ一々「痛いぃ……」と言っていられない。だからまるで何も無かったかのように取り繕う。別に誰かが私のことを見ているわけじゃないのに、顔も作ってしまう。


 やっと玄関に辿り着く。

 ここまで辿り着くのに色々あった。そのせいでインターホンのモニターで相手が誰なのかを確認することを怠ってしまった。完全にミス、だ。とはいえ今更引き返して確認するのも億劫。なので、覗き穴で確認する。うーむ、わからない。なんか前も覗き穴覗いて相手がわからないみたいなことしたな。ほんと、これ使えない。正直あんまりあてにはしていなかった。なので見えねぇじゃんとショックを受けることはない。


 ゆっくりと玄関を開ける。一応相手が見えていないので、警戒しつつ。

 もしもなにかあればすぐに扉を閉められるよう準備しながら。


 そーっと開けて、隙間から様子を伺う。誰がいるのかな、と。

 私はすぐに唖然とする。マジか、と動揺してしばらく固まってしまう。


 それも無理はない。だって向かいに立っているのは私の推し、そしてストーカーである新垣紗優であった。

 そもそも推しが家の前にいるという状況がおかしい。だが、私は完全に感覚がおかしくなっている。だから思わずホッと安堵してしまった。なんださゆちゃんか……と思ってしまったのだ。そう思う自分に驚き、若干引く。まじかーって。


 「なにしてんの。いつもインターホンなんて押さないくせに」


 いつもは我がもの顔でリビングに上がってくる。インターホンは押さずに、ノックもせずに。もちろん合鍵も渡していない。傍から見れば不法侵入である。

 それが当たり前になっていた。彼女は勝手に家に上がってくるもんだって。そういう生き物だからしょうがないって。

 だからインターホンを律儀に押したことに驚く。

 驚くを通り越して怖さもある。心配もする。変なもの食べたんじゃないかとか、体調が優れないんじゃないかとか。


 「自分の行動を見直したからねー。インターホン押さずに家に上がるってのは良くないかなーって思ったわけよ」

 「だから押した、と」

 「そうそう。そういうことー」


 片手にぶらさげている謎の白い紙袋を揺らしながら答える。


 「指摘されたからねー、色々とさ」


 多分星空未来あたりに注意されたのだろう。

 それでしっかりと見つめ直す彼女は偉いし尊敬に値する。


 「まぁ良いや。で、なんのよう? こんな朝……昼間に私を起こして」


 朝とは呼べない時間だなぁと思って即座に訂正した。


 「私怒られてる?」


 困った顔をしながら自分自身を指さす。

 私はこくこくと頷く。


 「夜勤とかじゃないのに昼間に寝てる方が悪いような……」


 彼女は慈悲の無い正論をぶつけてくる。

 あまりにも正し過ぎてぐうの音も出ない。


 「その紙袋も意味わかんないし。あまりにも質素だから爆弾でも入ってるのかと思っちゃうじゃん」


 とりあえず話を逸らす。あんな正論これ以上ぶつけられたくない。

 つまり都合が悪くなったから、逃げた……ということだ。


 「これはね、お菓子だよ。折菓子」


 ふーん、誰かに謝罪デモするつもりなのだろう。

 あっ、もしかして私に謝罪するつもりなのでは? 今まで迷惑かけてごめんなさい、って。それなら納得できるし、理解もできる。


 でも一つ疑問がある。


 それはさゆちゃんがそこまで気を利かせることができるのかなぁという疑問だ。

 彼女はそういうビジネスマナー的なことを知らない。知っているのかもしれないが、行動に移すような場面は見てきていない。だからできるとは思えない。

 誰か……ってALIVEのメンバーである星空未来か日野灯しかいないだろうけど。


 「これ、つまらないものですが」


 彼女は嬉しそうに頬を緩ませながら、折菓子が入っているらしい紙袋を渡してくる。渡すというか半ば強引に押し付けた、というような形ではあるが。


 「ありがたく頂戴します」


 とりあえず一度素直に受け取る。


 「ちなみに『つまらないものですが』って物渡すのは最近ダメらしいよ。言葉通りつまらないものって相手に受け取られてしまって失礼にあたるかもしれないんだってさ。面倒な世の中になったよね」


 大学の講義で聞いた知識をそのまま流す。


 「え、そうなの。じゃーなんて言うの? こーゆーとき」

 「心ばかりですがとか、ほんの気持ちですがとかが良いらしいね」

 「うげー、日本語って面倒だね」


 彼女のその言葉には深く同意できる。

 同じ意味なのに複数言葉があるとかわけわからん。


 「というか……結局なにしに来たわけ? 意味もなく折菓子渡しにきたんじゃないでしょ」


 普通折菓子渡す時に謝罪の一言、二言あるんじゃないかと思う。でも彼女はただ折菓子を渡しただけであった。


 「そうだ。忘れてた、忘れてた」


 彼女はあははーと笑う。

 わざとじゃなくて本当にただただ忘れてたんだなぁってのが伝わってくる。


 「新しく隣に引っ越してきました、新垣紗優です。お隣さんよろしくね。おー、なんか様になってる。良いね、良いね、良い感じ!」

 「えっ……えぇー!?」


 推しがついに隣に引っ越してきました。

 もう愛が重いとかそういうレベルの話じゃねぇーぞ、これ。


 また私なにかやっちゃいました? みたいな感じで不思議そうな顔をしている。

 やってるよ、やってる。やり過ぎだよ、これ。

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