第6話

 新垣紗優は質素な部屋にある椅子に座り、タオルで汗を拭っていた。部屋は本当に広くない。下手すると田舎のカラオケの一室の方が広いかもしれない、というレベル。もっとも狭いだけであって、小綺麗ではある。しっかりと清掃が行き届いている。汚くはない。


 「二人に大切なお話があります」


 ALIVEというお世辞にも有名とは言えないアイドルグループのリーダー、日野灯はライブ終わりの楽屋で、メンバーである新垣紗優と星空未来に語りかけていた。

 二人は顔を見合せて、こてんと首を傾げる。若干訝しむような表情も浮かべる。

 それでも話を聞く姿勢は作る。手に持っていたスマホは机上に置かれ、視線は日野灯へと向けられている。


 「話ってなに」

 「もしかしてっ! 大きなライブが決まった! とか?」


 素っ気ない態度の新垣紗優。対極な反応をする星空未来。勢い余ってバンっと机を叩く。とても大きな音であるが、日常茶飯事なのでこのことくらいで一々驚いたりしない。二人とも気にする様子すら見せない。完全にスルーだ。


 「そういう嬉しい話だったらこんな前置きしないで教えてるよ」


 腕を組む日野灯は顔を顰める。


 「じゃあ悪い話ってことじゃん」


 星空未来はうげーっと露骨に嫌そうな表情を浮かべた。


 「そうだよ。悪い話だよ」

 「悪い話なら聞きたくない。帰る」

 「ちょーっ、さゆちゃん、ストップ、ストップ。八割くらいさゆちゃんに向けたお話だからね。帰っちゃったら意味ないのよ」


 帰宅しようと歩き始めていた新垣紗優を取っ捕まえる。両肩を掴み、さっきまで彼女が座っていた位置まで引き摺り戻す。

 不服そうではあるが、反論も反抗もしない。素直に大人しく引き摺り戻されている。


 「で、話ってのは?」


 新垣紗優は頬杖を突きながら問う。


 日野灯は唇に指を当て、思案するような表情を浮べる。

 しばらくしてからむっと表情を歪ませる。


 「その前に」

 「うげっ、まだなにかあるの?」

 「みぃちゃんあるから、ちょっと黙ってて」


 日野灯は語気を強める。

 結構キツイ言い方をされた星空未来はしゅんとする。ご主人様に叱られてご機嫌ななめになったワンコのようだ。


 「とりあえず、こっからはプライベートの時間ね。だからその営業モード終わらせて良いよ」

 「ならメイク落としてきても良い?」

 「それはダメ。さゆちゃんシャワー浴びてきちゃうじゃん。そこまで引っ張るようなことじゃないし」


 不満そうな新垣紗優。それを横目に、日野灯はパンっと手を叩く。


 「こっからは素でよろしく」

 「やーっとだぁ。ぐへー、つかれたー」


 新垣紗優はぐーっと背をのばし、そのままぐてーっと机に突っ伏せる。それを星空未来は冷えた目で見ている。


 「単刀直入に伝えるけど、ALIVEはアイドルだからね」

 「わかってる」


 食い気味に反応する。


 「さゆちゃんもわかってる?」

 「さすがにねー、アイドルってわからずにアイドルやってるわけじゃないしさ、わかるよー、それくらい」


 話を振られた新垣紗優は頷きながら答える。それを見て、日野灯は眉間を指で抑えた。ふぅ、と小さく息を吐き、一度視線を落とす。数秒もしないうちに視線を新垣紗優へと向ける。そして息を吐いてから視線を元に戻すまで、同じ動作をした。

 わざとらしい一挙一動に対して疑問でも持ったのか、新垣紗優はんーと声を出しながら首を傾げる。


 「わかってるなら良いや。それなら話早いし」


 そこまで喋って、口をとざす。

 視線をキョロキョロする。新垣紗優から星空未来へと移し、また新垣紗優へと戻る。


 「ALIVE……というか、アイドルは恋愛禁止だからね。肝に銘じておいて」

 「しってる、しってる。アイドルが恋愛禁止なのくらいしってるよ」

 「じゃあしないでね」

 「してないし。ね、みぃちゃん」

 「私に話を振るな」


 頬杖を突く星空未来はポケットにしまっていたスマホを取り出し、画面を凝視する。


 「不都合あるの? そんなわざとらしく逃げちゃってさー」

 「逃げてない。勝手に人を逃げたことにしないで」


 スマホをこつんと置いて、ビシッと新垣紗優に向けて指をさす。差された新垣紗優は指先をじーっと見つめてから、ぷいっとそっぽを向く。


 「大体、恋愛してるのはそっちじゃん」


 星空未来はボソッと呟く。


 「そう。私が言いたいのはそれ」


 日野灯はポンっと手を叩き、星空未来の言葉に乗っかった。


 二人からの攻撃の的となった新垣紗優は居心地悪そうに肩を竦める。


 「恋してないよ。恋愛なんてしてないよ。だって彼氏いないし」

 「別に恋の形って異性だけじゃないよ」


 新垣紗優の反論に反論をぶつける。まるで想定していたかのような切り返しだ。右ストレートで殴ったと思ったら殴られてしまった新垣紗優は目を見開く。


 「まぁ正直な話、アイドルの恋愛禁止なんてあってないようなものだけどね。犯罪はバレなきゃ犯罪じゃない……じゃないけどさ、極論アイドルも恋愛してることがファンにバレないならしたって良いと思うよ。ファンにバレないってのが難しいから基本しないんだけどね」

 「不真面目かよ」


 星空未来は苦笑する。


 「やめて、私が悪いみたいじゃん」

 「してないなら灯が悪いと思う必要は無いと思う。してないなら、ね」


 と、星空未来は庇う。日野灯を庇っているはずなのに、視線は終始新垣紗優へと向けられていた。


 「で、結局なにが言いたいの? イマイチ答えが見えてこないけど」

 「わからない?」

 「アイドルが恋愛禁止なのはわかったし、わかってたよ。だから、どうしたのって感じ。今更忠告されなくてもわかってるよ、って話」


 日野灯は新垣紗優の言葉を聞いて、深々とため息を吐く。


 「デカイため息。幸せ逃げちゃうよ」

 「幸せ逃がしてるのはさゆちゃんのせいだけどね」

 「私?」


 新垣紗優は自分自身に向けて指をさす。


 「アイドルのくせして恋愛してるから。さゆちゃんは」

 「してないよ」

 「凄い。息吐くように嘘吐いた……」


 星空未来は吃驚していた。ぽとっと手に持っていたスマホを落としてしまうほど。


 「だからしてないってば! もーっ」


 むくーっと頬を膨らませる。今にも聞き分けの良くない子供のように地団駄でも踏みそうな勢いである。


 「あれは? 河合さんは?」

 「みぃちゃん。なんでここで河合さんの名前が出てくるの? おかしくない?」

 「おかしくないでしょ。あれは誰がどう見ても恋愛してるよ。いや、恋愛ってよりも片想い? かな」

 「いや、片想いじゃないし」

 「じゃあなんなの」

 「両想いだよ」

 「してんじゃん。恋愛」

 「してないよ」

 「今、自白したでしょ」

 「ううん、してない。だって両想いしてるだけで、恋愛してるわけじゃないし」

 「はぁ……なにそれ」


 星空未来は深いため息を吐く。もうダメだ、と言いたげな表情を浮かべてから、スマホに集中する。


 「いや、河合さんって誰……」


 会話に置いてかれていた日野灯はぽつりとつぶやく。


 「まききん。さゆちゃん推しの熱狂的な女の子」


 スマホを見ながら答える。


 「あー、あの子ね」


 ALIVEのメンバー間。なんならスタッフも含めて、さゆちゃん推しの熱狂的なヤバい女の子のファン「まききん」は認知されていた。古株だから、熱狂的だから、いつも見る顔だから。理由はそれぞれだが、とにかく認知されていた。だから、日野灯もハンドルネームだけでピンとくる。


 「ちなみに私もまききんさんとの関係を問いただそうと思ってたんだよね」

 「……たしかに仲は良いよ。それは認める。家に行ったりするような仲だし。最近は素っ気ないなーって思うことも増えてきたけど。なんだかんだ構ってくれるし」

 「別に惚気ろって言ったわけじゃないよ」

 「惚気けてないよ」


 新垣紗優は即座に否定した。


 「まぁそれはどっちでも良いか」


 日野灯もそこまで興味はないようで、追いかけることはない。


 「風の噂でさゆちゃんがまききんさんをストーキングしてるって話聞いたんだけど」

 「……?」


 新垣紗優は首を傾げる。

 寝耳に水といった感じだ。


 「してないよ」

 「してるでしょ。河合さんも言ってたよ。ストーキングされてるって」


 ここぞとばかりに星空未来は指摘する。


 「えっ、ほんと?」

 「ここで嘘吐かないよ」

 「……あれ、冗談じゃなかったんだ。私のことストーカー犯呼ばわりしてたの」


 新垣紗優は真剣な表情で考え込む。


 「ストーカー犯呼ばわりされる冗談ってなにそれ」

 「たしかに……でも、待って。それじゃあさ、私ストーカーだったの?」

 「ちなみになにしてたわけ、今まで」


 日野灯は呆れつつも一応問う。


 「うーんと、ライブ終わりに河合さんの後ろつけてみたり、住所がわかったから家の近くで張り込んでみたり、家で何してるのか気になったから窓から入り込んで押し入れに入ってみたり……かな」

 「うわー……」

 「河合さんそれに気付いて良く縁切らないね。私なら警察に通報するレベルだけど……」


 二人は本気で引いている。

 さすがに二人が引いているということに新垣紗優は気付く。そして自分がストーカー犯になっていた、ということにも気付いた。

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