第5話
むにゅっと頬に手を当ててくる。そしてむにむにぐりぐりと動かす。彼女の手のひらの温度が直接伝わってくる。
少し前までの私であれば、動揺して、目をひん剥いて倒れていただろう。しかし、私はもうそんな限界オタクではなくなった。卒、限界オタク。いや、そりゃさ、悪くないなぁとは思うよ。この現状に。そもそも推しでなくても親しい人に頬をむにむにされるのは悪くない。ただ時と場合というのは考えて欲しい。この場じゃたくさんの目がある。
冷静に彼女の手首を掴んで、私の頬から彼女の手を遠ざけた。
この一連の流れになぜか周囲が騒つく。
お、おかしい……。
特に「あのまききんがさゆちゃんのボディタッチを避けた、だと?」「さゆちゃんの手臭かったのかな」「明日もしかしたら大地震でも起きるんじゃ……帰り防災グッズ買って帰ろう」というような声が聞こえてくる。
なぜかアイドルからボディタッチをしてきたことにざわめくのではなく、私がさゆちゃんから物理的に距離を置いたことにざわめいているのだ。
なにこれ。いや、本当になにこれ。
というか、周りから見た私ってどういう評価なのだろうか。ちょっと低すぎやしないか。アイドルが手を差し出してきたら、ペロペロ指を舐める、とか思われているのだろうか。解せないな、流石に。そんな下品なことしないよ……あ、あれ? しないかな、しないよね。うん、多分、きっと、しない……と思う、かも。
時間が経過していくと共に自信は失われていく。前の私ってそういうことしそうな勢いとか頭のおかしさはたしかにあった。
まぁ良いか。考えれば考えるほど、やりそうという結論に至りそうだからそっと蓋を閉めておく。
「ふむふむ、でも戻ってきてくれたし、良しとしよう」
手首から手を離すと、さゆちゃんは満足気にそう言って胸を張る。とはいえ、積み上げてきたキャラクターをすべて壊すようなセリフなので、大声では言わない。小声で私にしか聞こえないような声量で。
そこまで気にするならそもそも言わなきゃ良いのに、と言うのは野暮だろうか。
「はいはい。チェキ撮ってよ」
「冷たい」
「冷たくはないでしょ。誰でも同じような反応すると思うけど」
こっちからスタッフさんに指示を出す。チェキ会なんて初めてじゃないし、流れは頭に入っている。彼女が進めようとしないのならば、私が進めてやる。今日から私がアイドルだ。
「ポーズは? どんなのが良いの」
周囲に聞こえるようなやり取りはしっかりと己のキャラクターを維持する。そうそう、この絶妙な冷たさと視線。これこそが私の知っているさゆちゃんである。
実家のような安心感。これだよこれ。
「ハートとかかな」
「これ?」
彼女は片手で片ハートを作る。彼女の手に合わせて私も片ハートを作れば、一つのハートが完成する。ツーショットチェキにおいてスタンダードなポーズである。ちなみに名称は知らない。オタクなんてこんなもんだ。
「そう、それそれ」
私はこくこく頷く。伝わるからなにも問題ない。名称なんて二の次。大事なのは伝わるか否かだ。
「このポーズでも良いけど。君、今までリアリティ思考だったのに。自撮りっぽいポーズ好きだったでしょ」
私のこと良く見てくれてるっ! って、普通のオタクなら感動して、涙を流すレベルのセリフだ。後ろの方から羨望の眼差しを向けられている。なんなら嫉妬すら混じっている。あぁ、私これ殺されるかもしれん。グッバイ今世。
さゆちゃんの認識は正しい。今までチェキのポーズはスマホで自撮りをする時にするようなポーズと距離感のものが多かった。二人の顔を近付けて下からダブルピースをしてみたり、スマホを持ってさも鏡で自撮りをしているみたいな構図にしてみたり。やり方は数多ではあるが、どれもこれもさゆちゃんの指摘に共通する。
意味もなくやっていたわけじゃない。
さゆちゃんと距離が近い、と思えるようなチェキが欲しかった。まるで友達、みたいな。
だからそういうポーズをお願いしていた。
まぁ今はもう距離の近さとか求めていない。なんなら距離が近いとか……ありえんっ! という感じだ。
「まぁ、そういうこともあったりするよね」
一々説明なんてしていられないし、そもそもここで説明なんてできるはずがない。さゆちゃんと距離を置きたいなんて言ったら周囲のオタクから軽蔑されるし、なんならこの場で罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。流石に無いと思いたいが、可能性が全くないと断言はできない。オタクという生き物総じて言えることだが、オタクは興奮するとわけのわからないことをし始めるのだ。常識的に考えたらやっちゃいけないし、普段の自分なら絶対にやらないようなことでも興奮して変なスイッチが入ると、暴走してしまう。
それに「家に来るような奴とリアリティのある写真を撮ったって意味無い」とは言えない。それこそ後ろにいる同担が暴徒になってしまう。
「それよりも早く」
「急かすね」
「ほら」
「え、あ、はい」
チェキ会でオタクがアイドルを急かすという訳の分からない状況が生まれている。本来私が色んな人から急かされるんじゃないんですかね。
「お兄さんっ! お願いしますっ!」
ツーショットチェキを撮る。
二人で一つのハートを作るポーズをさゆちゃんに指示をしておきながら、私はグッと親指を立てる。所謂片思いポーズってやつだ。ふふ、人生で一度はやってみたかったんだ。中々やる機会がなかったので純粋に嬉しい。
チェキをちらっと見たさゆちゃんは、私の背中を思いっきり叩く。服の上からなのでパシンっという音は鳴らない。でも痛いもんは痛い。
……なんだよ、なんだよ。良いじゃんか。片思いポーズでこっちが親指を立てたって良いじゃんか。
「ばか、ばーか」
立つ鳥跡を濁さず。
というわけで、颯爽と立ち去ろうとした時、さゆちゃんは私の耳元にぐっと口元を近付けて、小学生でもしないような語彙で私のことを罵倒する。
そして、まるでなにもなかったかのように、すっと元のポジションに戻って、ひらひらと手を振り、私のことを見送る。
反論もツッコミもさせてもらえない。ただ罵倒されただけ。全く心に響かない言葉で。
「てかさ、馬鹿はどっちだよ……ほんと」
途中でぽつりと呟きながら、会場を後にした。
外で例のオタクたちと集合する。
三人ともしっかりとチェキを持っている。オタクしてんなぁと感心する。
「お二人のチェキ、見せてもらっても良いですか」
「フォースさん。こういうのって言い出しっぺからするもんでは?」
「そうですか、そうですか、ぐへへ、それでは遠慮なくッ!」
フォースは黄門様の紋所みたいにチェキを見せつけてくる。私たちが譲った訳だが、素でコイツうぜぇ、と思ってしまった。いかんいかん、私まで当たり強くなる必要はない。
日野灯とのツーショット。真ん中には開場前に作成していた大きな紙があり、二人でそれを持っていた。
完成したんだねめでたいじゃんという気持ちと、なんか一人の手柄にされていてウザイなぁという気持ちが混ざる。嬉しいのか腹立つのか良くわからん。
「まききん。これ殺しても良いかな」
「ダメだよ。今殺したら幸せなまま死ぬことになるよ」
「たしかに……どうせなら不幸に上塗りしたいよね」
「ちょっ、不穏な空気が流れているのですが……」
フォースはおろおろし始める。
「じゃあ次は私―、ドーンっ」
フォースの態度に一切触れない。塩対応である。推しとお揃いで良いね。
彼女は星空未来に抱きつかれている。星空未来はハルヒの肩に手を合わし、ダブルピース。ふむ、それありなの?
まぁなにはともあれ、顔が良い人間と顔が良い人間のイチャイチャツーショットチェキである。精神衛生上とても良い。これはきっと将来、癌の特効薬として注目される。
「認知されている上に同性だからできることだよね」
フォースを煽る。
なにも言い返せない彼はぐぬぬと黙る。なんだか可哀想になってきたかもしれない。
最後は私。別に人に見せるようなもんじゃないんだよなぁと思いながらも見せる。
「推しを」
「振ってますねぇ」
推しを振っていることに衝撃を受けたのか、二人は顔を合わせて、珍しく息を合わせたかのように苦笑した。
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